かわうそ日記 ( 2001年02月 ) こよみのページ こよみのページ
筋肉の痛い話  (2001.2.26[月])

 先週末は本当は「本宅」へ帰る予定であったが、仕事の都合もあってこの件は翌週へ持ち越すことなった。
 その不幸な出来事の結果、参加できないはずだった試合(団体戦)に急遽参加となった。家庭の不幸の上に成り立った試合参加である、悲しみを振り払いつつのプレーである(「嬉しそうにしていた」と言う人もあるが、誤解である、としておいてほしい)。
 現在は、その後遺症で腹筋と背筋が痛い。
 歳をとるに従って、筋肉痛の出るのが遅くなると言われから、試合の翌日筋肉痛となったことは・・・と朝、一人ほくそ笑んでいた。
 だが、夕方になって朝の笑いは早すぎたと気づいた。朝よりも今の方が痛いからだ。もしかして明日は・・・。いくらかの不安を残して、明日から3日程出張。明日の筋肉痛の状況報告は、帰ってからになるかな?

追伸.
PCの不調は続き、OSの再インストールを考えている。こちらは筋肉が痛い話ではなく、頭の痛い話でした。


予定外の週末  (2001.2.25[日])

 今週末はいろいろと予定が狂った。
 そして今、極めつけの「予定しない事態」が発生。今のんびり日記を書いているが内心は焦っている。
 自宅で通常使っているPCが、夜電源を入れると不機嫌である。まともに起動しない。メインで使っているのはWIn98(2nd)であるが、起動したと思ったらVGAモードだ。
 どうしたことかと思ってコントロールパネルを開こうとしたら、マウスが動かない。ショートカットキーを使ってコントロールパネルのシステムデバイス項目を開き見てみるとマウスのドライバが壊れているようだ。
 ぶつぶつ言いながら、壊れているドライバを削除して再インストールする。でも動かない。safeモードや、同じPCにインストールしているLinuxなどではきちんとマウスを認識しているのでマウスが悪いわけではないようだ。
 修復セットアップでもしようかと思ったら、こちらも途中で転ける。なんかレジストリに問題が有るよう。仕方がないのでsafeモードで立ち上げてレジストリの掃除。でこれを書いている間はレジストリの再構成中。さっきから遅々として進まない。現段階でまだ14%しか終わっていない。この調子だと朝までかかるかな・・・。
 いろんなソフト詰め込んでしまったのも有るし、使わなくなったボードなんかも刺さったままのPCだから、もしあんまり状態が改善しないようなら思い切ってクリーンな状態からOSをインストールするのもいいかな。でも面倒だ・・・。まあいずれにしてもしばらくはお出掛け用ノートPCでHPの更新作業しないといけないみたい。
 みなさまにご迷惑をかけないようにしないとね。


妙薬・坂田靖子  (2001.2.22[木])

 疲れたときに良く効く薬に、坂田靖子さんの漫画がある。
坂田靖子さんの画
(潮漫画文庫より)

 坂田さんの漫画がどのくらいの人気なのかは知らないが、随分以前から愛読(?)している。
 特に民話や、古典を題材にしたもの、妖怪(ばけもの・・)物などが好きだ。右のカットは坂田さんの作品の一部をカットしたものだが、極端に単純化した画に何とも言えずほのぼのとしたものを感じてしまう。彼女の描くところの人間もばけものも、どこかにくめない者ばかりで、読んでいると顔がゆるんでしまう。疲れているときなどは、誠に良く効く漫画である。
 それでいて読み終わった後、ただおもしろかったというだけでない何かが胸の奥に残る。
 坂田さんは、多作とは言えない方だが、細く長く書き続けてくれることを願いたいものだ。


夜の雪  (2001.2.16[金])

夜の雪 子供の頃は雪は遊び道具だった。
 学校からの帰りはいつも、吹き溜まりを見つけては飛び込んでおぼれそうになったり、松の枝に積もった雪に雪玉をぶつけて落とし枝の跳ね上がる様子に興じたりしながら、1時間の通学路を2時間も3時間もかけ、雪まみれになりながら帰った。
 夜は夜で、家の外灯の下で台所から持ち出したしゃもじを使って固めた雪を彫刻していた。雪の彫刻の薄い層に透けて見える外灯の光は不思議な透明な青色をしていた。

 彫刻の手を休めて見上げた真っ黒な夜空。そこから果てもなく落ちてくる雪片。今では明日の交通渋滞のもととしてとらえてしまう雪が、あのころは無限、永劫といったものを教えてくれる相手だった。


梯沽の花  (2001.2.10[土])

デイゴの花,11kbyte 部屋の片づけをしていたら、懐かしい写真が出てきた。
 もう十年近く前に写した梯沽(でいご)の花である。場所は東京都小笠原村硫黄島。
 戦前は、人が住む島であったが現在この島には空自の基地の自衛隊員が住むだけで一般の住民はいない。
 この島は亜熱帯に属する。写真を撮ったのは二月であったが、日中は冷房が必要な気温であった。島へは一月ほどの滞在。島での生活にもなじんだ頃、一日の休みがとれて島を巡ってみようとカメラを持って出かけた際に写した一枚である。
 硫黄島は太平洋戦争末期の激戦地。南端に今も噴気をあげる火山、摺鉢山はその際の艦砲射撃の凄まじさのために形が変ったといわれている。この島への上陸のため米軍は多大の戦死者を出したそうだ。そして日本軍は玉砕した。
 島の西側の海にはその戦いで沈んだのだろうか、沢山の船が巨大な魚の骸のように錆びた船体をさらし、中央部の草原には跳ぶことの出来なくなった戦闘機を機銃の代わりに使ったトーチカがまだ残っていた。
 草原の戦闘機のトーチカからわずか500mほど離れたところで、真紅の鳥の群が舞い降りたような木があった。その真紅の鳥の正体が梯沽の花である。
 人間が死んで悲しいのは人間だけ。梯沽の花は、強い日射しを受けて燃えるように鮮やかな紅の色を見せていた。半世紀前のあの時代も梯沽の花は今と変わらずこの日射しの中で燃えていたのだろう。
 今夜、十年前の写真を見つけて、風の無い熱い昼下がり、少しだけ悲しかったことを思い出した。


奇跡  (2001.2.4[日])

 現在話題となっている新大久保での事故、人を助けようとして無くなった2人の人のうち1人が韓国からの留学生ということで「日韓の架け橋」という表現でその行為が紹介されるのを聞いた。特に政治家と呼ばれる方たちがそういった表現をとりたがるように思えた。
 戦争中、自軍に投げ込まれた手流弾の上に身を伏せて戦友たちを救ったという例が、洋の東西を問わず多数有ったそうである。これを行った者は模範的軍人もありそうでないものもあり、その最後の行動以外にこれといった共通点の無い人々だったとか。ごく普通の人の間から自然にそうした行動をとる人が現れること、それが奇跡かもしれない。
 今回犠牲となられた方の行動が結果として「日韓の架け橋」となるかもしれない、この点に間しては異論は無い。しかし、この行動が「日韓の架け橋となるための行動」と解されるなら悲しいことである。


昼の月  (2001.2.2[金])

 今日は休暇をとって、本宅へ戻ってきた。車で帰ってきたが昨日の出発が遅かったことと前日の寝不足から途中での仮眠の回数が増え、たどり着いたのは朝だった。
 帰ってきて一寸だけ寝てから活動開始。妻につき合って雑貨の買い出しに出かける。田舎の生活では車は不可欠。日用品の買い出しも車。寝不足でボーッとした私が「話しかけないと居眠りするぞ」と妻を脅しながら運転して出かけた。
 世間一般は平日ということもあって、店も道も空いている。買い物が昼過ぎに終わったので途中で昼を食べて行くことにする。「天気がいいから」という妻の提案で弁当を買って途中の公園に立ち寄る。
 すぐ近くに国道が走っているような小さな公園のベンチでの昼食ではあったが、暖かい日差しを受けながらの食事は楽しかった。
 夜は冴え冴え冷たく見える冬の月も、公園の松の梢にかかった昼の姿はのどかであった。


  (2001.2.1[木])

 昨夜は冬のこの街には珍しく星がきれいだった。星がきれいな夜は冷え込みが厳しい。
 案の定、朝起きると寒さに身震いしてしまう。
 出勤のため車に向かうが、車のフロントグラスは霜のため磨りガラスのよう。
 エンジンをかけ、フロントグラスの霜が解けるのを待つ間、車から降りてあたりを見ると、日陰の草が凍えていた。


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