思いこみ
(2001.7.8[日])
出張先からの第2弾です(出張3日目の早朝に書いてます)。
昨日は(たぶん今日も)、ずっと戸外に居たのでずいぶん日焼けしました。もっともこの時期でも日が陰ると「寒い」と感じる寒がりの私ですので、服装は長袖。うんと暑い時間は袖まくりしてましたが、それでも肌の露出は少な目であったので、普通の人に比べると「日焼け」もやや軽症。でもあと3日もしたら大分焦げていることでしょう(かわうその丸焼き)。
さて、昨晩この街の本屋さんにぶらりと入ってみると、夏休みの読書フェアと言うやつか「名作」と言われるような本が平積みで並んでいました(ただ、紹介文を書いたプレートが全部の上に載ってましたので、かえって表題が読みにくかったのですが)。
その中に、
「沈黙の春・・・レイチェル・カーソン著」
がありました。今を去ることおよそ20年前、何となく手にして読んだことのある本です。中身はかなり印象が薄らいだのですが最初のページにキーツの詩(もちろん訳文)が載っていて、その詩の印象は強く残っおり、このため本自体の名前も私の脳に刻まれておりました(沈黙の春と言われれば、レイチェル・カーソンと著者の名前が即座に出てくるくらいには)。
懐かしくなり、平積みされたその本を手にして開いてみてびっくり。カバーの折り返した部分に著者の写真とプロフィールが印刷されていたのですが、それを見て
「レイチェル・カーソンて、女性(!?)」
そう、20年来私はこの本の著者は男性だとばかり思っていたのでした。気づいてみれば「レイチェル」という名も確かに女性の名前だ。何で男性だと思いこんだのだろう。
帰り道、思いこみの原因は何だろうかと考えてみた。そこで気づいたのは、先に書いた「キーツの詩」。
多分、本文より強烈に印象に残っていたキーツの詩で、この本の著者のイメージはキーツのイメージになってしまっていたのだ。納得。
作者男性説の謎(私以外には無意味な謎ではあったが)は解けたが、今日本を手にしてもう一つ気になった。
「湖水のスゲは枯れ果て、鳥は歌をうたわない」
とこの本には書いてあった。私の記憶の中は
「岸辺の葦は枯れ果てて、鳥も歌をうたわない」
となっている。訳文だから訳した人が違うのか、それともこれも私の思い違いたっだりして・・・。いつか家の本棚を探してみよう。
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昨日の月食
(2001.7.6[金])
昨晩は月食だった。
9時を過ぎた頃帰宅し、本宅に電話すると月食の話しになった。
「明日の晩は出張先で月食を眺めながら仕事かな」
と言ったところ、
「え、今晩てTVで言ってたよ」
と妻。私が日付を間違えて覚えていたのだった。その昔、天文少年だった頃は月食なんてイベントがあるとわくわくして、今か今かと待っていたのに、近頃は感動が薄くなっている。歳かな?
忘れられていて月がすねたわけでは無いだろうが、昨晩の月食の時刻は雨。かすかに雲が薄くなったとき、おぼろな月が確認できただけだった(確かに欠けていたようだった)。
そういえば、高校生の時に平日の昼間に金星食(金環食じゃないよ、金星が月に隠される現象)があり、これの観測がしたくて正直に「金星食の観測がしたいので先生の授業休ませてください」と言ったら、許可されたことがあった。
理解のある先生もいたものだ(たしか、生物と地理の2コマ休ませて頂いた)。懐かしい思い出である。
(あのころ、僕も若かった・・・)
追記.
予定していた月食は無いが、出張は予定どおり。でも本日も雨。
明日は晴れてくれるかな?
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自宅到着後の1日
(2001.7.3[火])
本宅から自宅へ戻った。
本宅にいる間は、梅雨はどこかへ行ってしまったらしく、全く雨が降らなかったが舞鶴に戻るとあちこちに雨の降った痕が見えた。太平洋側と日本海側の気候の違い。昨日は大分降ったらしい。
朝になると、道路はすでに乾いており、舞鶴にも「夏の空」が広がっていた。今回の本宅行きでなぜか数の増えた植木をベランダに並べて水をやる頃には、既に十分暑かった。
その後も気温の数値は単調増加を続け、昼休みに外へ走りに出かけた頃はうだるようなという表現がぴったりの暑さ。走り終えて帰ってきた時にはめまいがした。夏だな。
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パン以外が欲しい
(2001.7.2[月])
一夜明ければ、本宅最後の日(今回の休みのということ)。
平日ではあるが、身重の家内の検診の付き添いのため、1日余分に休ませてもらった。これからしばらく仕事がつまりそうなので今のうちに1度くらいはという、半ば罪滅ぼし的な1日である。
その1日のおかげで、ちょっとだけ余分な時間が出来、久しぶりに調べもの以外の本が読めた。近頃調べものや役に立つ本の類ばかりを読むことが多くて、「たぶん、役立たないけれど読みたい本」を読むことがなかなか出来なかった。これに関しては、自分の怠慢の故もあるので、自業自得ではあるが。
私だけかもしれないが、現在必要な本ばかり読んでいると、何とはなしに自分がどんどん低俗になってしまうような気がする。さして高尚な生活を送っているわけでは無いが、いくらかは「パンのみにて生くるにあらず」と言う部分を残しておきたいのである。
今回は、身重の家内のおかげで日曜の深夜からしばしの間「パン以外のもの」をかじる機会が得られて、ちょっとだけ生き返った気がする。
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