かわうそ日記 ( 2001年08月 ) こよみのページ こよみのページ
共時性 Part-2  (2001.8.31[金])

 世の中狭いな

と思わせる出来事があった。
このHPを良くのぞいて下さる方々のお一人と、最近何度かメールの交換をしていた。
その方は、私が現在住む舞鶴出身の方とか(現在は大阪にお住まい)。
何日か前にこの日記に「空き家と百日紅」のことを書いたところ、その方から反応があった。

   「もしかしてあの家は・・・」

そう、あの写真の家はその方のご実家の離れの建物だったのです。いくら狭い舞鶴の街とはいえ、この偶然にはびっくり。
これって、前回書いた共時性のバリエーション?

追記.
その方が里帰りなどで来舞なさる際は、連絡をとってお会いすることに。こよみのページではじめてのオフ会。今から楽しみにしておきます。


共時性  (2001.8.27[月])

「あいつ、今頃どうしているかな?」と考えていると、当人から電話がかかってきた。
誰しも一度や二度は体験したことのある「偶然の一致」。ユングはこういった事柄を共時性と呼び、偶然ではないと言っている。

昨日和歌山の本宅で、重陽の節供について記事を書こうとして内容をプロットしたり使用する写真を撮ったりしていた。記事はまだ書いていない。どうも今ひとつ締める部分が無いからだ。
ちょっと行き詰まったので一休みして、物置と化しつつある「書斎」で本の背表紙を眺めていた。すると漢詩鑑賞という本が目に止まった。
その本の題名を見て急に杜甫の「登高」という漢詩が読みたくなった。好きな詩だが後半部分の記憶が薄らいできていたので早速本を開いて登高のページを読んでみた。

そうか、こんな結びだったんだなと思いながら解説に読み進むと
「この詩は重陽の節供に作られたもの」
と説明されていた。全く知らなかった(不勉強?)。

重陽の節供のいわれを考えているときに重陽の節供に作られた詩を読むことになった、これも共時性というものだろうか。

追記.
記事の締めに「登高」を使うかもしれない。


ねむい  (2001.8.25[土])

 今日は和歌山(那智勝浦)の本宅に戻っている。
昨日の晩遅くに出て途中仮眠をとりながら車で戻ったので到着したときは既に朝だった。。
生活時間を無理矢理変更しての帰宅だったので、この文章を書きながらも頭の一部分(半分?)は眠っているような気がする。
こっちで少しでも読めればと思って本、雑誌の類を10冊くらいもってきているが雑誌2冊に目を通したところで思考が停止してしまった。無駄な抵抗は止めて寝たほうが良さそうだ。

 今回は土日だけの帰省なので明日にはまた舞鶴に帰る。夏休みは9月の終わり頃とれればと思うが、夢に終わらないことを祈りたい。
さて、少し早めだが本日はこの辺で、お休みなさい。


台風一過  (2001.8.23[木])

みかづき 「台風一過」、夕暮れ時の空は澄んでいた。

 つい最近、野分の話(二百十日)を書いた。
書いた直後に本当に野分が来てしまった。
舞鶴では、さほどの風も吹かずに済んだが、本宅のある那智勝浦は野分(台風11号)の直撃を受けていた。
お陰様で、家族に関しては無事何事も無かったが。

 北上中の件の野分は、現在実家の福島県を過ぎた頃のようである。
嵐の勢力はだいぶ弱まり、実家も被害を受けることはないだろう。

台風一過の空は晴れ、
夕方会社を出ると澄んだ暮色の空に三日目の月が掛かっていた。



空家と百日紅  (2001.8.18[土])

空き屋 朝早く散歩に出た。いつもの路地裏散歩である。
 30分ほど歩くと空き家があった。昭和初期までの小説に出てきそうなちょっと古めかしい木造住宅。着物姿の芥川龍之介でも出てきそうな雰囲気の家である。

 住人がいなくなって何年たったのか建物はやや荒れた感じ。それと対照的に庭の百日紅は生き生きとして、鮮やかに花を咲かせていた。
 家から人間の主人は去ったが、それに替わって百日紅の木がこの屋の主人となっているようだ。
 いつか家の建物が朽ち果ててもこの木はこの庭に生き続けるのだろうか、そしてこの木の前に立った私がこの世から消えるときが来ても、この木はこの庭で生き続けているのだろうか。生き続けていてくれるだろうか?


夕暮れの雷  (2001.8.17[金])

夕闇の雷雲 近頃、「涼しくなったな」と感じることが多くなった。
 夏の終わりが近づいている。

 夕方になると聞こえてくる虫の声も、秋めいている。
 大音量の虫の声を聞きながら、初秋の夕暮れの静寂を感じることが出来る。不思議なものである。

 ふと、虫の声が途絶え静寂の中に別の静寂が訪れる。虫たちが何かを感じた直後、鈍感な人間の私の耳に雷鳴が届いた。
 闇の中に全てがのみ込まれようとするこの時刻に、遠雷がそれを生み出した雷雲を内側から照らし出す。照らし出された雷雲は空に浮かぶ精霊船のよう。
 盆送りの精霊船のように、夕闇の中に浮かぶ雷雲は夏を載せて去って行くのだろうか。


夢は広がるブロードバンド  (2001.8.14[火])

 久々に暑い夏の日差しの一日だった。
 現在月遅れのお盆で、職場&通勤経路の道路は閑散としている。こんな時に仕事をしているのもいいものだ(のびのび出来るし)。

 さて、はなしは変わるがこの地方都市舞鶴にもようやく「ブロードバンド通信」の波が寄せてきたようである。NTTがADSLの受付を始めた。これで私も高速のインターネット接続が・・・・。
 自宅がADSLサービス地域かどうか問い合わせたのが先週の金曜日朝。
 「コンピュータで調べますので」と言われて早4日。NTTのコンピュータのCPUはカタツムリを集積したもののようだ。早く連絡してほしいな(もう、出来るものだと思いこんで、ルーターはどんなのにするかななんて考えてるんだから)。

 でも、今回の返事のように舞鶴のADSLが「カタツムリのブロードバンド」だったらどうしよう?
 (暑さで、思考回路暴走中のかわうそでした。水でもかぶるか?)


むなしい格闘  (2001.8.11[土])

 今日は朝から、HPの一部修正を行っていた。何を変えていたかというと NN6対応のための変更である。

 かねてより、レイヤーを操作しなければならないコンテンツが動かないという問題があり、直さなければとは思ってきたのだが、のびのびになっていた。
 今ではIEの前にかすんでしまった感のあるNN、元々はNN派であった私も今はIEがメイン。ちょっと寂しいけれど、泣く子とマイクロソフトにはかなわない。とはいえ一応NNも用意して自分のHPの表示などはチェックしているが現在のNNのメインはV4.73、最新版(?)の NN6はいろいろあって、滅多に使わない。周囲をみてもあんまり広がっていないようだ。
 「早い早い」と鳴り物入りで登場した新レンダリングエンジンも、「どこが早いんだ?」と首傾げるとこばかりだし、Javascriptの実行速度も遅いようだし・・・。私にはいいとこなし。その上、レイヤー関係は大幅に変更されたし。

 今回の改修作業で NN6でもメインのコンテンツで発生していた問題は解決できたのだが「何か新しいコンテンツが出来た」わけではないので、疲れるばかりの印象。まあ、NN6をお使いの方もいらっしゃるので、改修作業自体に意味が無いとは言わないけど。

 それにしても、もうぼちぼちHP作りに「使用するブラウザを意識する」必要の無いような時代になってほしいのだが。ああ疲れた。

追記.
NN6 の悪口になってしまったが、スタイルシートに関してはだいぶまともになってきたかな?(とは言っても、やっとIEと同じくらいにということだが)。


残暑お見舞い申し上げます  (2001.8.9[木])

舞鶴の花火 残暑お見舞い申し上げます。

 日曜日に見た舞鶴の花火で残暑見舞いとさせていただきます。
 立秋過ぎて、涼風至るということに暦ではなっていますが、皆さんのところはいかが?

 夏の風物詩、「花火」は私には盛夏の風物と言うより夏の終わり告げるもののよう思われ、どことなく寂しい連想を生み出します。
 花火自体も写真のように明るく輝きながら花開く場面より、色あせながら徐々に夜の闇の中へ消えて行く時間の方が心に残るために、去りゆく夏を連想させるのでしょうか。

 「暑い暑い」と連発していた夏ではありましたが、夏が終わるのかと思うと何処か寂しい気持になるものですね。


追記.
 とは言いながら、今日も残暑厳しい舞鶴の夕べでした。


路地裏散歩  (2001.8.4[土])

九頭竜川の夕暮れ 仕事が1日はやく終わり舞鶴に帰ることが出来た。仕事は昨日の夕方でほぼ終わり、残ったのは少々の雑事と舞鶴への帰路だけ。
 そう言うわけで余裕もでき、昨日は日が暮れてから散歩に出た。三国での最後の晩になって初めて付近を歩いた。
 近くには九頭竜川が流れていたので、散歩コースは川沿いの住宅地の路地に決定。よい趣味とは言えないが住宅地の路地を歩くのは楽しい。
 庭木の手入れをする人の姿、台所から聞こえる母娘の会話、断片的に聞こえるTVのナイター中継など、その街の人の日常のこぼれものを眺めることが出来るような気がするからである。出張や旅行で出かけた場所では時間があればこんな路地裏散歩をしている。

 今回の散歩の時間は2時間。その間何度か犬に吠えられ、一度打ち水をかけられそうになり、そして九頭竜川の川面は茜色の雲から銀白色の月へと映す対象を変えていた。
追記.
この週末は2日間の予定の無い休み。久々でとてもうれしい。


夏の海  (2001.8.2[木])



海辺(昼)Day Side
 毎日、「記録的な暑さ」と言う言葉を聞く。
本日もまた記録的な暑さ。
眠るように静かな浜辺の集落から見た海は、焼け付くような日差しの中にあった。
Night Side
 太陽が沈み、替わって月が海を照らす。
「今日も暑かったね」という言葉が、古い思い出話しのように交わされる夜。
十三夜の月の光に輝く海があった。
海辺(夜)

追記.出張ももうすぐ終わり。留守番の植木たちは元気だろうか?


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