かわうそ日記 ( 2001年09月 ) こよみのページ こよみのページ
ケロリンの放浪  (2001.9.28[金])

ケロリンの横顔ケロリン
 我が家(本宅)の守り神。玄関先の傘立て(使われた形跡はない)に住み着いてる雨蛙のことを家内はケロリンと呼んでいる。
かわいがっているようだが、だからといってなでてやるわけでも、餌をやるわけでも無い。
ただ玄関を出入りする度に「ケロリーン、元気?」と声をかけるだけである。
 ケロリンはケロリンで、声をかけられて愛想を振りまくわけもなく尻尾を振るわけでもない(尻尾、無いし)。
ただ、物静かな目でじっと前方を見つめ、雨の日には思い出したように小さく鳴くだけである。

 ケロリンが我が家にやってきたのは梅雨に入る頃。
我が家の緑色の外壁が保護色になると思ったのかどうか、理由は定かでないが以来、玄関先の傘立てに住んでいる。
たまにしか帰らない私より、この家になじんでいるような気がしないでもない。

 そのケロリン、どうしたわけかこのごろ放浪の旅に出るようになった。先日も2日間ばかり姿を消し、「鳥に獲られたんかな」と心配していたところにひょっこり戻ってきた。
そしてまた昨日も、夜になって小雨が降る頃に、何かに誘われるように道を渡って草むらへ向かうケロリンがいた。
急に寒くなってきたから、冬眠の場所でも探し始めたのだろうか?

 「ケロリン帰ってこんね」

心配そうに言う家内と二人、朝からケロリンのいない傘立てを見ていた。
今度帰ったら冬眠用の土でも用意してやろうか、とそんなことを考えながら


  (2001.9.24[月])

本日も快晴。久々に長時間寝た(9時間)ので頭スッキリ。
今日を一日どうして過ごそうかと、そんなことを考える幸せな時間をおくっている

遅い朝食は、餅。餅は好物。醤油さえあれば小振りの丸餅なら6〜7個はあっという間。
和歌山の南部、紀南地方では何かあると餅撒きが行われる。こちらでは称して「もちほり」。多分「餅放り」のことだろう。最初は「餅掘り」と勘違いして、誰が埋めるのかと真面目に考えたものだ。
今回の餅も、何かの祝いで行われたもちほりの収穫物。普段はとろい息子が、特異な才能を発揮したのか十個ばかり拾ってきた。そして父親は息子の獲物を横取りして今日の朝食となった。

遅い朝食が済んだら秋彼岸でもあるし、読みかけの本をもって妻と子供とで散歩がてら、お墓参りでもしてこよう。
窓の外ではイネ科の雑草が密生した野原に風が吹き、草の海を波が渡っている。何でもない秋の風景。
草の波


雑草の庭  (2001.9.23[日])

セイタカアワダチソウ 現在、和歌山の本宅で夏期休暇中。本宅周辺の雑草たちは夏の間にため込んだ太陽の光でたっぷり肥え太り、秋となって思い思いに花を咲せている。

花作りも名人の域に達すると、野生の花々の風情を作り出すようになるとか。
その点からすれば我が家の周囲は、どんな名人の手も及ばない野趣にあふれた雑草の庭である。「誰も草刈りしないの?」などというのは無粋というものである。

 今朝は寒くて目が覚めた。一瞬暖房をとも考えたが、まだ9月だというのに暖房などつけると家内の顰蹙を買いそうだったので思いとどまりトレーナーに手を伸ばす。暖房の件は、舞鶴に帰ったら真剣に考えることにしよう。
起き出して2時間ほどすると、太陽の高度も上がり日差しが強くなる。変温動物かわうそも活動可能に。1週間の時間もあるし、天気も良いので、デジカメもってぶらぶら散歩でもしてこよう。

 写真は雑草の庭の一部。まだ蕾の堅いセイタカアワダチソウ。この舶来の植物も今ではすっかり秋の野草である。


ちょっとブルー  (2001.9.21[金])

嵐の青 明日から1週間夏休みである。
夏には少しばかり(少し?)乗り遅れた気はしているが。

さて、今晩舞鶴を出て和歌山の本宅へ向かう予定。
持ち物は、ノートPCと本(?冊)+ラケットと言ういつもの装備。
ただし、いつもより滞在期間が長いので多少、量が多い。
朝早く目が覚めた(寒くて)ので、出発の準備でもしようと思いノートPCにメールデータの転送を始めた・・・つもりでデータの消去をしていた。ネットワークで削除したのでゴミ箱にも残っていないし、復活させるにも数が多すぎて・・・。
 最後のバックアップは9/15。1週間分だから受けた質問など重要なメールはコピーを転送しているPHSのメモリにも残っている。「大惨事」はさけられた。ただ毎日のHPのアクセスログは5日分消えた。起きていたつもりだったが、寝ぼけていたのかな(おかげで目が覚めた?)。

 大事には至らなかったが、朝から気分をブルーにするくらいの効果はあった。
と言うわけで、本日の写真は現在の舞鶴の空の色。嵐のおとずれを告げるStormy Blue(嵐の青)。気持も天気もブルーである。


彼岸花  (2001.9.18[火])

まもなく、秋彼岸。
野も山も、秋の色を深めている。
出張から帰り、一週間ぶりの舞鶴。
ここしばらく天気が悪く、しとしとと雨が降り続く。
初秋のこんな雨を秋黴雨(あきついり)というのだそうだ。

久しぶりに歩いた伊佐津川の土手の道には、雨に濡れて彼岸花が咲いていた。
葉は花が終わる頃にようやく伸び出すことから「葉見ず花見ず」とも呼ばれるとか。韓国では「想思華」と呼ばれるそうだ。花は葉を思い、葉は花を思うという意味。

今はまだ、花は葉を思い葉は夢の中。


定有堂書店  (2001.9.15[土])

鳥取の夜 昨日の日記に書いたが、暇な時はよく本屋さんに出入りする。
出張中でもその生活パターンは変わらない。それどころか知らない街の未知の本屋さんに入れるのでかえって楽しかったりする。
そんな未知の本屋さんの中に、今夜入った定有堂書店があった。

どの街にでもあるような小さな本屋さんで、外見にはこれといった特徴はなかった。が、中に入って見ると「お!」と思わせるものがある。ありがちなベストセラーと、作家順に並べただけの新刊本と雑誌、それと漫画・・・といった本屋さんとは何か違う。

「こんな分野の本集めてみましたがいかが?」「この本を読んだならきっとこの本も読みたくなるんじゃないかな?」といった本の好きな人が、別の本好きに本を紹介しているような書棚。思わず一冊一冊のタイトルを目で追いながら、

  「ここはこう来るか!」
  「やっぱり、この本読んだらこの本もだよね」

と独り言してしまうような書棚。書棚を眺めながらなぜか「ニヤニヤ」してしまう。
こんな本屋さんがあるなんて、この街の人は幸せだと思ってしまった。鳥取市に立ち寄る機会があれば、またのぞいてみたい嬉しい本屋さんだった(写真は、本屋さんの脇を流れる小川の夜景、橋の上から)。

追記.
定有堂書店さんは、HPも作成していらっしゃる。というわけで勝手にリンクコーナーに入れさせていただいた。


濫読(乱読)の効用  (2001.9.14[金])

 濫読(乱??)にも効用があった。

 現在出張で、鳥取市に来ている。
夜、仕事が終わってから外に出た。
外に出るといっても、食事をするか本屋さんを覗くか、路地を散歩するかくらいのものだが。食事に関してはあまり「情熱」がない方なので食事と言うより「栄養補給」に近い。
また、本日は途中から小雨が降り出したので、傘を持たずに出歩いた私は路地裏の散歩もままならず、残る選択肢は本屋さんだけ。
ということで、せっかく初めての街に来ているにもかかわらず日常生活をおくることに。

 いろいろ物色し「買おうと思っていた本1冊」と「買っちゃった本4冊」の計5冊を鞄に入れて帰ってきた。

   予定1冊:予定外4冊

私の計画性なんてこの程度のものである。それと同時に買ってきた5冊を並べて他人に見せたらどんな繋がりがあるんだ?と言われそうな、脈絡のない本が並んでいる。かわうそは雑食動物だが、本についても雑食である。

 レジに並んで順番を待っていると、隣で本を探している人がいた。「こんな風な内容で・・・」と店の人を相手に話しているが、作者もタイトルも出版社も覚えていないと言うことで店員さんも困っていた風である。
聴いていて、ちょっと迷ったが横から口を挟むことに。
   「多分それ、○○さんの書いた××じゃないですか」。
正解だったらしい。「何だこいつは?」と最初は思ったようだが、言われて本のタイトルを思い出したらしく、「変なやつ」から「親切なやつ」に分類変更が為されらしいことが表情から読みとれた。目出度し。

 濫読も役に立つ場合があると知った、今日の晩であった。

追記.
 今日購入した5冊の本と件の本もまた、何処から見ても関連性はないと思われるだろうな。


目には目を  (2001.9.13[木])

秋雨に濡れるベンチ 昨日来、米国での大規模テロのニュースに騒然としている。
 最初に「国際貿易センタービルに航空機が衝突」というニュースが流れたとき、そんな映画のような事故が本当に起こったのかと驚いたが、その模様を伝える映像に別の一機の航空機がビルに突っ込む瞬間が写り、事情を知らない私にもこれが事故ではなくテロであるとわかった。

 通常のテロというにはあまりに衝撃的な事件。2つの世界大戦中にも直接本土を攻撃されたことのない米国にとっては、まさに衝撃的な出来事だっただろう。大統領の「これは善と悪の戦争である。そして最後には善が勝つ」とのコメント、戦意高揚のためのコメントのようだ。これを鵜呑みにしてしまうと、正義を標榜した無限の報復合戦の連鎖が続いてしまう。
「自国の千人の血は敵国の万人の血で償わせる」という拡大が起こらないことを願う。

 最古の法典といわれるハムラビ法典の「目には目を」の条文は復讐の拡大を防ぐための知恵であったことを忘れることなく対処して欲しい。


ちょっと恥ずかしい話し  (2001.9.10[月])

 こよみのページにはi-mode版がある。とはいえ、PC用のHPのオープニングページに相当する程度の内容のページがあるだけで、「とっても寂しいi-mode版」である。

 はなしはそのi-mode版。
一応J-Sky端末でもご覧になれるように画像はPNG形式も用意している。だから[i-mode/J-Sky対応]と書いていた。ところがある日、J-Skyユーザー用の雑誌が件のi-mode版を紹介してくれた。その雑誌が発売されてから、どれどれと紹介箇所を探してみた。そしたら・・・

 化けていた。そう、文字が化けていた!。

当初i-modeだけを想定して作り、後からJ-Skyでも見えるようにと一部修正したのだが、自分が実機を持っていないので、頭の中だけで「大丈夫だ」と思っていた。それにJ-Sky端末の来訪者も結構いたので心配していなかった。それが・・・。i-mode用の特殊文字(絵文字)を使っていた箇所があったのだ。忘れていた。PCでの表示に際しては絵文字を使わないようにしていたのだが、後から追加したJ-Skyについては配慮を忘れていた。
 i-mode版を作ってからかれこれ9ヶ月。あの化けた画面をずっとJ-Skyのユーザーにお見せしていたのかと思うと、恥ずかしいな。

 いつものように「こっそり」直すとするか・・・

追記.
実機と言えばJ-Skyのみならず、i-mode端末の実機も持っていない。ほんとに思ったように表示されているのかな?


朝 (その2)  (2001.9.8[土])

夜明けの街 夜明けに目が覚めることが多くなった。
 その分以前のように3時4時まで起きていることが少なくなった。年齢的な生活時間帯の変化なのかもしれないが、体や頭がそうしたいというなら受け入れることにしよう。

 日の昇る前に起き、徐々に明るくなる街を見る。低い雲がそのまま霞となって今朝の街を覆っている。霞の色は青みがかった灰色、ヘイズ・ブルー(haze blue)というのだろうか。

 その清浄な空気のせいか、朝の思考は不思議に日常の雑事から離れる。パン以外の事柄を考える貴重な時間。窓の外からは秋の虫の声に混じって蝉の音が聞える。

 日が昇り、街にわずかに残っていた灯りも一つ二つと消えて行く。街が少しずつ活気づき、覆っていた霞も薄らいでゆく。私にもそろそろパンの時間がやって来た。


  (2001.9.7[金])

 ちょっと、「お勉強」をしていたら夜が明けてしまった。
夜明けは一頃に比べて大分遅くなってきたが、それでも今の時間外は明るい。電車も走りはじめ、また1日が始まった。

 外は、霧雨。道や街路樹が濡れている。
音もなく降る霧雨に濡れる街の風景で目を休めてから、ほんの少しの時間だが、仮眠をとることにしよう。出勤まであと2時間。

追記.
一昨日、昨日と風邪気味で熱が出ていたが、今は大分回復。わずかに喉が痛むだけ。
週末は元気に過ごせる?


ブロードバンド生活?  (2001.9.6[木])

昨日、念願のADSLが開通。
今までのいらいらから解放された。
HPの保守管理もかなり楽になりそう。

しばらく、出来なかったあれやこれやもがんばって入れてみようかな?
「夢は広がるブロードバンド」である。

追伸.
夢は広がっているが、体は風邪気味。熱が出てしまった。
季節の変わり目、みなさんも気を付けましょう。


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