かわうそ日記 ( 2001年12月 ) こよみのページ こよみのページ
年の瀬の月  (2001.12.29[土])

 気の早い年末休暇で本宅に戻って早5日。あっと言う間に時間が過ぎる。
 HPの正月用に書こうと思っている記事も今ひとつ筆が進まず、気がつくと膝に生後間もない次男を載せて記事とは無関係の本を読んでいる。また明日へ持ち越しか。
 
 今日も、ここ勝浦は晴天。良い天気に誘われ、散歩の虫が疼く。
 夕方近く、大人しく次男が寝込んだ隙に出かける。
今日は、近くを流れる太田川に添って河口へ向かうコース。スタートが遅かったので、川岸についた頃には日は山の端に隠れてしまった。
暗くなる前にと足を早めて河口へと向かう。1kmほど離れた河口は葦に囲まれた小さな入江。凪の海へゆっくりと川が溶け、空には太陽に替った月が姿を現していた。
今年最後の満月まで、あと2日。写真を撮そうと手にしたカメラが冷たかった。


ライバルはトナカイ?  (2001.12.24[月])

これより、和歌山の本宅へ戻る。ちょっと早い冬休み(休んでばっかり?)

本当は朝のうちに帰るつもりだったのだが、いろいろとやり残していることの後始末をしていたらこんな時間に・・。
あとちょっとだけ作業をしてから帰るのだが・・・。

あんまり遅くならないようにしないと。
競争相手は、時間か、はたまた、赤鼻のトナカイさんかな?


影絵の山  (2001.12.21[金])

影絵の山雪は先週末に降ったきり、降りて来ない。
直ぐにでも雪の衣をまとった山の写真を撮れるかと思っていたが、それはどうももう少し後になりそうだ。

この数日、朝の山は霧に包まれ、まるで影絵の様。
色とりどりの紅葉の山は美しい。そして薄墨で掃いたようなこの光景、これもまた美しい。
今は色の無いこの風景、だが記憶の中の春の若葉、夏の緑、秋の紅葉の思い出が脳裏に浮かぶ。

これから数ヶ月、山は様々な彩りの記憶を秘めて影絵の中にまどろむことになる。


忙しい週末  (2001.12.17[月])

今週末は、公私(「私?」)に忙しかった。
気がついたら再び月曜の朝である。
ちょっと、もったいない気もするのだけれど、仕方が無いな。

舞鶴では、金曜日から雪が降り始めいよいよ冬本番。
目次の背景の「すすき」にも間もなく退場を願うことになる。
結構気に入っていたので、後任の冬バージョン背景はあんまり変なのでもいけない。
どんなのにしようかと思案中。

あと、積み残し企画も沢山抱えて・・・。
年越しまで少しは積み残しを減らさないとね。


頑張れ! (続報)  (2001.12.12[水])

Aさんの赤ちゃん、無事に手術を乗り切ったそうです。

「関わってくれた人全て、心配してくださった人全てに感謝します。」

Aさんのメールでした。
皆さん、有り難う。

手術が無事に終わっても、これからもまた大変なことは続くでしょう。
Aさんも、その赤ちゃんも、これからもまた

  頑張れ!


頑張れ!  (2001.12.11[火])

時雨の山茶花 「今日、ちょっとしたことがありました」
昨日、Aさんからのメールはこの書き出しで始まった。

十月末、次男が生まれるのを待っている時期に「私も今、臨月です」というAさんからメールをいただいた。そして11月の下旬には無事出産との連絡も届き、話したことも無い者同士だが互いに喜び合った。

そして昨日、お子さんの心臓疾患が見つかり急遽手術をすることになったとのメール。

 「ちょっとしたことが・・・」

と書いてはあったが、昨夜Aさんは眠れなかったのでは無いだろうか。
今日は手術の日。生まれたばかりの赤ちゃんにも、生んだばかりのお母さんにも「頑張れ」としかいえない。それでも、
 頑張れ!

初冬の時雨の中に咲く山茶花。来年もまたAさん親子が眺められますように。


冬と秋  (2001.12.8[土])

 海が間近に迫る舞鶴では、冬の朝「けあらし」と呼ばれる光景が見られる。
季節とともに低下する気温と、まだかすかに夏の暖かさを残す海水がふれあって起こる気象現象である。

気嵐 けあらしは、「気嵐」の意味か。放射冷却により冷え込んだ朝は一際見事な光景が広がる。
職場が海に面しているため、初冬のこの時期には出勤時にこの光景を目にするチャンスが多い。
この日も舞鶴湾は気嵐の中、その深い靄の隙間から日の光が射して、対岸に残る遅い紅葉を照らし出した。
冬と秋の交差する朝だった。


深い霧の夜  (2001.12.4[火])

 この日記、どうもタイムラグがある。
書いている人間がのんびりしているからなのか、はたまた他の理由からなのか。日付と書いている内容とに1〜2日のずれがある。
「日記としてはまずい」かもしれないが、即時性のある内容を書いているわけではないので問題はないかだろうな。
先に長い言い訳を書いたところで、本日も1.5日前の日記を書く。「2日前」でないところに努力の跡を見ていただきたい。

 週末を本宅で過ごした私は、いつものように月曜の明け方に舞鶴にたどり着く。中国道から分かれて舞鶴道へ入ると、まもなく車は霧に取り囲まれる。ここを通るとき霧に出会う頻度は高い。地形的なものなのだろうか。
それにしても今回の霧は深い。ヘッドランプの光もすぐに白いカーテンに覆われてしまうようだ。
風景も見えない単調な道で頭にも霧がかかりそうになり、危険を感じ、舞鶴を間近にしながらも、パーキングエリアで一休み。
交通量の少ない舞鶴道、パーキングエリアに止まっている車は、2台だけだった。
深い霧の夜自動販売機でコーヒーを買い、頭の霧を晴らす。少しすっきりすると、霧に滲む高速道路の街灯とその下に列をなして歩いているような木の影が気になった。Edgar Allan Poe の Dreamland を彷彿とさせるような光景。
その詩の一節にあるように、霧に包まれた暗い森をとおり、ようやく舞鶴にたどり着くというわけか。舞鶴まであと40Kmだった。


お宮  (2001.12.2[日])

鳥居 「鳥居って?」
6歳の息子は鳥居を知らなかった。
「鳥居って言うのは、これ」

 鳥居をくぐり玉砂利を踏んで歩くと、どこからか花の香りがした。
今日は、下の子が産まれて一月。
上の子の時は、那智大社に詣でた記憶があるが、妻の体調が今ひとつということもあり、近場の村社へ出かけた。
近所の社は私の家族4人が御参りしている間、他に詣でる人もなくひっそりしていた。

 東北で生まれた私には神社の杜は杉の杜だった。しかし黒潮の流域で温暖なこの地では神域の木々も明るい雰囲気の照葉樹である。
参道脇にはナギの木がその実を落とし、クロガネモチの赤い実が木の葉の隙間から見えていた。

 御参りを済ませて帰ろうとすると、再び風にのって花の香りがする。
家内と辺りを探してみると山茶花と名前を知らない白い小さな花をつけた木があった。芳香はその白い花の香り。
何という木なのか今もまだわからないが、香りの記憶だけは長く残るそうだから何年か後に判明することもあるだろう。この木は逃げないだろうし。

追記.
この日記のアップは、1日遅れてしまった。
私の家族が社殿の前で賽銭の額を検討していた頃、巷では「内親王誕生」のニュースが駆けめぐっていたらしい。
白い花の木


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