かわうそ日記 ( 2002年04月 ) こよみのページ こよみのページ
連休前半  (2002.4.29[月])

連休の前半は、千葉の自宅で過ごしている。
(後半4連休は和歌山の本宅で過ごす予定)

昨日は、こちらに来て最初のバドミントンの試合。
何とか賞状に届くところまでは行ったけれど、最後の試合は本人は不本意な内容。
あまりの情けなさに、試合後練習に出かけ憂さ晴らし。

本日は、お誘いもあり古い仲間と会うこともできるのでこれからラケットを背負って練習に出かける。
移動が長くなりそうなので、本とノートも鞄に入れて。
帰ってくるのは深夜となりそうなので、帰ってきてから日記は書けないだろうな。

外は晴天。駅まで自転車で走るのが気持ちよさそう。
何か良いものが見つかるかも知れないので、デジタルカメラももって少し早めに出かけよう。
PDA には、好きなCDの曲を何曲か入れて。

では、そろそろ出発するとしよう。


花とビールジョッキ  (2002.4.24[水])

バラとカーネーション友人のYさんにメールを書いた。メールの中で近況として書き送った内容がどうもかわうそ日記向きだ。と言うわけでYさんへのメールの一部を流用してかわうそ日記を書く(写真が増えたけど)。

母の日・父の日が近い、1つ記事でも書くか。
記事を書く上で母の日と言えばカーネーション、父の日と言えばバラの花の写真は欠かせない。
自分の写真や、購入した素材集等を探してみるが余りよい写真が見つからない。
ないものなら自分で何とかしないとと言う訳で、花を買いに出かける。

それぞれ「赤と白」の花を買う。花屋さんが「領収書には何と書きます?」と尋ねる。領収書はいらないと断ったが、おじさんが花を買うのは仕事絡みと見られたようだ。似合わないかな?

花を買っての帰り道ではたと気づいた。私の部屋には花瓶がない。いくつかの鉢植えは有るが切り花で部屋を飾ったことなどついぞ無い事なので花瓶の事を忘れていた。
部屋の中にあるものを一つ一つ思い出してみるが、どうも花器に適するものが無い。いくら何でもごみ箱では花が可哀想だし。

途中の雑貨店をのぞき、何か良いものはないかと探してみたが花瓶は無いようである。あきらめて店を出ようとしたとき、視野の端に「花瓶」が映った。足を止めて目した物体に近づいてみるとそれは花瓶ではなかった。ビールジョッキだった。
ところが、手に取ってみると大きさも手頃、重さも手頃である。男やもめ(みたいなもの)の部屋で花を活けるにはピッタリな花瓶かも知れない。

あれから3日、花たちはビールジョッキに活けられることを嫌がりもせず、結構おいしそうに水を飲んでいる。蕾だった花も開いて徐々ににぎやかになっている。宴もたけなわと言った風情。
白のカーネーションの花が心なしか桜色に染まっているように思えるのは気のせいだろうか、それとも我が家の花瓶の効能だろうか?


遠いなー  (2002.4.21[日])

東京と地方での最大の違いは通勤時間の長短である。平日は普通に帰れたとしても午後10時前の帰宅は難しい。
そのため、下手の横好きで楽しんでいるバドミントンに関して、平日用の勤務地に近い場所と、休日用の住居に近い場所の2つの拠点が出来る。
「平日用」に関しては、前回と同じ。転勤が決まると同時に以前のクラブに連絡して復帰。休日用のクラブに関しては現在探索中である。

さて、3年前と同じ部署に転勤となったのだが、住む場所は前回と今回では都心を挟んで正反対の方向にある。そのため、昔の「休日用」の練習場所へ行くのは大変だが、昔の仲間には会いたい。
土曜日は仕事が休み。社会人クラブの練習はほとんどが夜であるが、昔の練習場所の一つに「土曜の朝」に練習をしていたところが在ったことを思い出し、練習日時が変更されていないことを祈りつつ出かけてみる。電車で行くと片道3時間。しばらく迷って車で出発。
甲府街道朝のうちは車も空いていて首都高速を使って約1時間40分で到着。久しぶりの体育館へ入ってみると、練習の日時は変わっていなかった。既に1時間ばかり遅刻しである。練習の残り1時間30分。時間を惜しんで羽打ちを行う。
帰りは朝と違って道路が混雑していた。ノロノロ進む甲府街道の車の流れに乗りり東へ向かう。街路樹が繁るこの辺りは緑のトンネルのよう。渋滞の最中でなければ、いい道なのに。
帰りは高速を使わず、のんびりと下の道で帰ろうと思ったが写真の地点でその計画は放棄し、上高井戸で首都高に乗る。次回は電車で来ようかなどと考えながら。

追記.
首都高速箱崎ジャンクションでは予定したコースに載り損ね、予定外の都心一周をしてしまった。本日の走行時間と距離は5時間、200km。


近況二題  (2002.4.13[土])

ちぐはぐ
引っ越しして1週間、実質の生活日数は3日ほど。正常な生活への道のりは遠い。
印鑑はあるが朱肉はなく、ペンはあってもノートがない。
ADSLのリースのモデムは届いたが、電話の開通が遅れて無用の長物。
れんげ今朝はガス会社がガス漏れ検知器を取り付けてくれたが(14,175円也)、現時点で我が家にガス器具はない。
TVのアンテナケーブルが見あたらず、ニュース番組も衛星放送の「CS・日テレ」で見ていた。

冷蔵庫にペットボトルのウーロン茶を入れようとしたところ、昨晩電源を入れたばかりのそれの中には、よく冷えたTVの同軸ケーブルがあった。これでウーロン茶を飲みながらTVを見ることは可能となったが、このちぐはぐな生活はもうしばらく続くことだろう。

れんげ(右の写真)
4/8に那智勝浦の本宅近辺で下の息子(生後5ヶ月)をつれて散歩中に撮した写真。田興し前の懐かしい風景。よく見たこの眺めは、今は貴重なものなのかも知れない。
まだ一人では立てない息子を手で支え、蓮華と芹に覆われた田圃の上に立たせてみると、嬉しそうに地面を蹴っていた。


初めての道  (2002.4.12[金])

夜の横断歩道昨日初めて、通常の通勤経路を往復した。
総武線と都営大江戸線を乗り継ぐコースである。

最寄りの総武線稲毛駅までは、家から1.8kmの道のり。歩いて20分程。中程までは手頃な歩行者専用の道があり、その道を登校する中学生の群に混じって歩く。
道沿いに狭い緑地(半ば雑草)もあり、知らない花も咲いている。好きになれそうな道だ。

帰りは10時を少しまわった。天気予報のとおり夜になって雨が降り出した。降ると言ってもゆっくりと地面をぬらすほどの雨、傘はささずに歩いた。
朝は中学生で賑やかな道も、人通りが絶えてひっそりとしている。横断歩道も仕事を無くし、退屈そうに街灯の光を反射していた。


着いた?  (2002.4.8[月])

足柄SAからの富士山先週の金曜日に辞令を受けるためと、引っ越し荷物の受け取りのために東京へ。
前の晩に寄り道した和歌山の本宅を出て車で走る。東京までの距離はおよそ700km、一人で運転する夜の道、睡眠不足の毎日が続いていたので睡魔の来襲が予想される。
そして予想どうり何度か睡魔の来襲を受け、度々仮眠をとる。安全第一。

安全第一に摂った3度目の仮眠から目が醒めると朝になっていた。場所は東名足柄サービスエリア、東の空に太陽がまぶしい。
少しばかり寝ぼけた頭を刺激しようとコーヒーを買いに自販機へ。2分後カップを手に、もと来た道をたどると道の延長に富士山が見えた。朝日を受ける富士山の姿を見て、ここは関東なんだと実感した。

その日は予定どおり辞令を受け、新しい「自宅」で荷物を受け取る。「自宅」周辺の探索は時間の都合で先送り。一夜明けて土曜日には私用のため、再び和歌山の本宅へとんぼ返り。忙しい忙しい。
週が明けて月曜の夜には再び東京へ戻る。当分は「忙しい忙しい」。


さて、花の東京へ  (2002.4.4[木])

4/2に舞鶴を出てきたが、転勤先への着任は荷物搬入に併せて4/5としたので、これ幸いと和歌山の本宅へ寄り道。
少々疲れ気味だったので、本宅では「液状化」して過ごした。
現在4/4の夕方。車での移動なので明日の朝に辞令を受け取るので、余裕を見てそろそろ出発しよう。
都会の道路を走るのは3年ぶりなので、ちょっと緊張。安全運転での11時間かな?


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