かわうそ日記 ( 2002年06月 ) こよみのページ こよみのページ
雨の日はかたつむり  (2002.6.30[日])

雨の雫 雨の日に、傘を差してしゃがみ込むとかたつむりなった気がする。
花に落ちた雨の雫を眺めようとしゃがみ込むと、その花の下うずくまるかたつむりになった気分だ。

 雨の日の午後、小学生となったウリボウが友達と一緒に帰ってくる。黄色と赤色の傘が並んでいる。
見ていると、何かを見つけたのか道ばたでしゃがみ込む。友達も一緒にしゃがみ込む。
小さな体が傘に隠れ、黄色と赤色のかたつむりが二匹。時折背負った殻を揺すりながら、なにやら話し込んでいる。

 雨の日の時間はかゆっくりと流れて往く。


夏至の頃  (2002.6.25[火])

 夏至の翌日、久々に空が晴れた。
 土曜の朝は、2日前から生じたこよみのページの一部プログラムの障害対応に費やし、気がつくと昼を回っていた。何か食べないとと思い、冷蔵庫をあさってあり合わせのもので食事。食べることに関してはあまり執着は無い。
櫟の影 作業も一段落したので、誘われていたバドミントンの練習に。出発が遅かったので2時間だけの参加だったが、程良く楽しんで帰る。珍しく車で出たので、帰りは寄り道。
 幹線を離れて、畑や雑木林が点在する場所に向かい車を降りる。もうすぐ6時になろうという時刻だがまだ日没までには時間があり、畑の間の道をウロウロと歩く。土の道は今日一日日差しを受けて乾いているが、畑の土は昨日までの雨を含んで黒く湿っている。風景も蒸気のためかぼんやりとかすんで、薄いスクリーンを透かして見ているようだ。
 畑と道の間には転々と櫟の樹が並んでおり、ぼんやりとかすむ背景に、くっきりとしたシルエットを描いていた。
追記.相も変わらず3日遅れの日記である。


雨の日の紫陽花  (2002.6.19[水])

雨の日の紫陽花 紫陽花ほど、雨の似合う花はない。
晴れ渡った空の下で、鮮やかな色を見せる紫陽花の花も美しいには違いないが、梅雨の雨空の下で花の色合いもくすみ気味に見える時の方がより紫陽花らしく美しい。

 昨日は朝から雨。雨足は差程激しくはないが、一つ一つの雨の粒が大きいとみえ、ポンポンと傘を打つ音が聞こえる。
 駅から職場へ向かう道で、大通りを跨ぐ最後の陸橋を降りる。左に行けば最短経路。右の道を選べば5分ばかり遠回り。

 右の道を通って、職場が大分近づく辺りに、細長い公園様の場所がある。ビルの間のわずかな空間に樹や花が植えられている。晴れた日には石造りのベンチに腰掛ける人いるが、今朝は通る人もなく紫陽花が雨の中に咲いていた。


没写真  (2002.6.17[月])

 「財布・携帯電話・本」私のお出かけ三点セットである。最近はこれにデジカメも加わり、四点セットとなっている。デジカメが加わったのはここ2〜3年のこと。手軽に絵日記の「絵」の部分が撮れるわけで、こよみのページにかわうそ日記を書くようになってからはますます手放せなくなった。

 さて、こうなってみるとちょっとばかり困った事態が出現。「没写真」の大量生産である。
 季節の花や、解説記事に使う目的の写真ならば、需要と供給のバランスはさほど崩れない。だが、日常でちょっと気になって撮ったような写真は公開する場所が「かわうそ日記」くらいしかない(今年からは、季節のページも使っているけれど)。
 大幅に、「供給過多」である。かわうそ日記の場合、写真はおまけ。その上日記自体も「日記が止まってるぞ」と苦情がメールが来る程ペースが遅いからなおのこと写真の消費量は少ない。写真自体は佳い出来であっても、日記の内容にそぐわなければ出番は無くなり、気がつけばハードディスクの上に死屍累々と没写真の山が出来あがる。

 芸術写真というわけでは無い、単なるスナップ写真の類ではあるが、気に入って撮した写真であるので [DELETE] するのも忍びなく、今日も没写真の山を眺めながらため息を吐くかわうそであった。

補足.
行き場の無い、没写真の何枚かは、時々メール友達に送りつけている。迷惑かな???。


立葵の記憶  (2002.6.16[日])

 まだ、子供だった頃、夕日に染まる立葵を見ては一日の終わりを感じていた。

 東京で知り合った、バドミントン仲間の練習に誘われ、松戸に出かけた。土曜の日中の練習、土日が休みの私には有り難い。1週間前のことだった。
 地図を手にして、初めての土地で電車を降りる。市街地からは離れた郊外の駅、周囲には櫟の雑木林と畑が多い。

 最初からいくつかトラブルがあったので練習へは大遅刻、それでも気持ちよく新入りを迎え入れてくれて、楽しい練習が出来た。
 帰りは駅まで車で送ってくれると言うことであったが、行きの道すがら見つけた石榴の花の写真を撮りたいため、駅から大分離れたところで降ろしてもらう。車から降りると、吹く風が涼しかった。

タチアオイ 目的の石榴の花の写真を撮り終えると、あとは駅まで徒歩15分の距離。1年で一番日の長い頃でもあり、日暮れまでにはまだ間がある。散歩の虫が、畑の間へ向かう路地へと足を向かわせる。
 畑はなだらかな岡の曲線をなぞるように広がり、所々に人家と雑木林、そして竹藪が点在する。浅い谷地を隔てたもう一つの岡の頂上には、さっきまで走り回った体育館が見えていた。

 畑の間の道や、点在する家々の庭には幾種類もの花が見える。梅雨入り直前の初夏の雰囲気を漂わせる夕方、次の角の向こうに見える初めての風景にわくわくしながら歩くのは楽しい。
 2時間歩いて、「日のあるうちに駅へ向かわないまずいかな」とそう思い始めたころ、長い一日の終わりを知らせるように、夕日を浴びた立葵の花が見えた。


変身  (2002.6.12[水])

 朝、いつものように通勤電車に乗り込むと、今日はいつもより大分混雑していた。
鎌倉の方で線路に木が倒れたとかで、その影響が千葉にまで及びダイヤが乱れたためらしい。
久しぶりで、「身動き出来ない」という状況を経験した。

 駅で止まる度、都心へ向かう電車であるから乗客は増えることはあっても減ることは無い。
もう、これ以上は詰め込めないだろう状態で電車が動き出し、前後左右に揺られるうちに、身動きできないはずの車内で少しずつ人が移動し、だんだんと隙間が出来る。
 瓶にもう入らないと言うところまで砂を詰めても、瓶を揺するうちに少しずつ隙間が出来る。あれと同じ。砂になった気分。

 東京都に入ったあたりで混雑は一応のピークを迎える。ここまで「瓶」の中で揺されて来た砂粒たちは既に最適な配置となっており、ちょっとくらい揺すっても前のように隙間が出来ない。隣の人とぴったりくっついて、本当に動けない。蜜柑のつぶつぶになった気分。

 東京駅について乗り換え。電車から出ると階段へと一気に押し出され、止まることは出来ない。人の列に押されるように、自分も人の列の中に入り出口へ向かう。ところてんになった気分。

職場にたどり着いて、まだ少し時間があるので朝の出来事を日記に書いて、かわうそになった気分。
あと5分で、次は人間になった気分にならないといけないな。


家族の話題(2002.06)  (2002.6.9[日])

 >Subject: カメが来た!
 >From: *************@docomo.ne.jp
 >
 >我が家に カメさんがやって来ました。
 >おじいちゃんが畑の帰りに道を歩いているところを連れて来ました。
 >25cmくらいの大きさです。餌捕りの為、お母さんは何年ぶりかで 網
 >を持って 近くの川に小魚とみみずを捕りました。みみずは食べてく
 >れました。知くんは硬筆を習いたいそうです。
 >たっちゃんは昼寝せず、今 ぐずってます。

いきなり引用で始まる今日のかわうそ日記。
ある日の仕事中、PHS にこのメールが飛び込んできた。

最近、内輪(バドミントンのクラブ)のBBS へ書き込む際のハンドルが「カメ」の私は、タイトルを見て、どきり。私が何処へ行ったって?。
内容を読んだら私ではなく、本物のカメだった。差出人は家内。たまに携帯電話からメールをくれるときがある(彼女のIT革命は、iモードでのEメールまで。そのためかわうそ日記を読まれる心配はなく、安心して時々「登場」していただいている。これ以上、IT革命が進まないことを切に願う)。

後で訊けば「小魚とみみず」を獲るため小川で網(虫取り・魚獲り用の竿の先についたあれである)を振り回していた時、硬筆をならいたいと言っている上の息子とその友達数人にその姿を目撃されていたらしい。情景を思い浮かべると笑える(内輪受けの笑い)。

家内が時々送ってくるメールは何か楽しい。短い文面だけれど何度も読み返したくなるものがある。
こうして日記など書きながら、同じ事件を扱っても私だとずっとくどい文章になってしまうだろうなと思う。この辺の違いは、人柄の差かな。ちょっと羨ましい(もちろん、家内には言わないけど)。
家内のこの人柄に覆われて、今日もかわうその一家は平和である(これは、実家の両親へのメッセージかな?)。

かわうそ家の次男追伸.
実家の両親へのメッセージのついで。
上のウリボウ(亥年生まれ)の写真は1度掲載したので、今日は下のツチノコ(巳年生まれ)の写真を載せることにする。
現在7ヶ月の彼の体重は、母親の体重の既に25% を超えた・・・。
写真は、前回の日記で書いた

 「あそんでくれるんだね、ありがとう!」

と言う瞬間のツチノコの表情である。よく見ると下の前歯がちょっとだけ見えている。
孫は二人とも元気だよ。


超大作の「6月号」  (2002.6.4[火])

 6月になろうと言うのに、季節のページが出来ていなかった。
 季節のページは、およその形が決まっているので、作る手順は次のようになる。


  1. その月の祝日・二十四節気・七十二候・雑節の日付を調べ、上中下旬に分ける

  2. 行事や季語をいくつか拾い出し、上中下旬に割り振る

  3. 自分の写真ストックから、それらしい写真を探して加工する(どうしても無いときは、素材集「具○たん」シリーズのお世話に)

  4. 文章の長さを調整して出来上がり


実を言えば、どんな写真をどこに配するかが決まれば後は難しくないのだが、こういう目的に使うつもりで写真を撮っていなかったので、困ることが多い(来年は楽になるように、今から撮り貯めしておくぞ)。
今回も、「どうしようかな」と思っているうちに6月が迫り、週末は本宅へ帰る予定もあり時間がない。

 仕方がないので、勝浦の本宅で過ごす週末は子守をしながら季節のページ6月号を作成しようと密かにもくろんだ。だが、目論見は実現せず、アップロードは今日まで持ち越しとなってしまった。子供は手強い。

  「あそべー」
  「あそんで」
  「おねがい、あそんで」
  「どうしてあそんでくれないの・・・」


と無段階に変化する唸り声(7ヶ月の彼は、まだ人間の言葉が話せない)で気をひく。唸り声が哀調を帯びる頃になると、父性本能かはたまた、普段一緒にいてやれない罪悪感からか、つい息子の方を見てしまう。すると、

  「あそんでくれるんだね、ありがとう!」

と彼は目を輝かせ(口元もよだれで輝かせ)、腕を伸ばしてくる。降参である。
度重なる中断により、作業は遅々として進まず、写真決定と加工までで時間切れ。仕上げは夜行バスで到着した東京で行うことに。

今月の季節のページは内容の割には超大作(制作時間のみ:当社比)だ。


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