かわうそ日記 ( 2003年01月 ) こよみのページ こよみのページ
年々の春  (2003.1.27[月])

本宅のある和歌山の南の先ッポと生まれ故郷の福島の田舎、どちらにも直ぐ近くに山(山林のこと)がある。いわゆる里山。

冬になると葉を落とす雑木が多く混じる里の山は、中に入っても日当たりがよく風の無い日は思いの外暖か。ちょっとした「探検」には好適な場所である。
子供の頃はこういった場所をうろうろするのが好きで、その好みは今も変わっていない。

そして昨日もまた、本宅近くの里山へふらふらと入ってしまった(1歳の息子を抱きかかえて)。踏み跡をたどってしばらく歩くと周囲を取り囲む木々が途切れて山と山の間の小さな窪地に出た。
梅一枝窪地はただの葦の原のようであるが所々には崩れかけた石積みの跡があり、うち捨てられた農地の蹟であると判った。今一度よく見れば葦原の上に点々と顔を出した何本かの木は確かに、梅の木であり、茶の木であり、蜜柑の木である。
葦の原にまで更に続く踏み跡をたどり木々に近づけば、蜜柑の木は実をつけ、茶の木は濃緑の葉を繁らせ、梅の木は花をつけた一枝を空に向かって差し伸べている。

主が去っても春を忘れるなと心に掛けられた梅では無い。忘れ去られ、再び山に帰って行くこの場所で、それでも年々歳々新しい花をつける梅。
今年で何度目の春なのだろう。


小望月  (2003.1.22[水])

年明けからずっと出張で和歌山に居る。
東京での生活に比べればのんびり過ごせるかと思っていたが、来てみればそうでもない。結構やることが多い(そのための出張か、当たり前だな)。

今回はずっと「夜の仕事」。言い方を変えれば「朝早起きしなくてもよい仕事」である。元々夜更かしの私なので「夜の仕事」になっても、寝る時間は普段と大差ない。しかし起きる時間はと言うと・・・。一日が短いと感じるのはこのためか。
体感的に短くなった一日のお陰で、日記を書く時間が無くなり気が付けば丸一週間。これはいけないと今日は、仕事が終わって直ぐに書き始めたている。

小望月本日の写真はちょっと古めのもの。金曜日の夕方、仕事に出たときに東の空から昇ってきた満月一歩手前のお月様である。仕事場の双眼鏡で眺めていたぽっかり浮かんだ月。その双眼鏡にデジカメをくっつけて撮してみた。月面で餅つきしているうさぎの姿が良くわかる。

その日は小望月、私が仕事を終える頃にもまだ月はようやく最高点を通り過ぎたばかりで、うさぎも相変わらず忙しそうに餅をついていた。


あれから四日、今夜も空はずっと晴れ。金曜日と同じ。違うこと言えば、仕事が終わる頃にもまだ月が東の空にあることと、その形が少しばかり凹み始めて、餅つくうさぎの耳のあたりに、欠け際の影が迫っていることくらいかな。


三連休中日  (2003.1.13[月])

現在、大変幸運な出張中である。
なにせ、本宅から車でわずか数分の場所にある部署への出張。
出張先も土日は原則として休みとなることが多いので、この3連休は本宅で過ごせている。
お陰様で、潰れてしまった年末年始の休みの分を、今取り返している気分である。天気もよい。遅ればせながら近所の村社へお詣りに出かけると、石垣の下にお日様をいっぱい浴びた水仙の花が咲いていた。

一群の水仙の花が、気持ちよさそうに日を浴びて咲くその様子には、自己愛のために命を落としたナルキソッスの神話の病的な影などかけらもない。ポケットからカメラを取り出して写したその花には「可憐」より「たくましい」という言葉の方が似合いそうである。
さて、たくましい花を撮した私はと言えば昨日今日と2日間、歩くのが楽しくて仕方のないという次男(1歳と2ヶ月)の放浪に、水曜日に痛めた足(軽い捻挫)を引きずってつき合っている。敵は小さいながらも無限の体力を持っているようで、つき合うだけでも大変。
下里神社の水仙とは言いながら、普段一緒にいる機会の少ない私なので、文句を言わずに明日もつき合ってやるか(罪滅ぼしって言うのかな?)。
追記.
年明けに本宅に戻った時刻は夜中だった(1/6なので、大分前だが)。空を見上げて星の数に一瞬驚いた記憶が鮮明である。あれから1週間、空の星の数にも慣れては来たが、それでもやはりすごい。
千葉で夜空を見上げて、「千葉でも結構見えるじゃないか」と思っていたけれど、本宅での夜空を見た後では、結構見えると言う表現は出来無くなりそうである。
更に追記.
父は順調に回復しているようで、周囲に憎まれ口も叩く様になったらしい。


風止んで  (2003.1.10[金])

樹年末年始の休みで和歌山の本宅に戻ったその日、福島の実家から連絡が入り数年ぶりに冬の福島(郡山)に帰った。

和歌山の本宅から実家まで7時間強。出発直前にの電話では既に意識は無いとのことであった。親の危篤と言う知らせにもかかわらず、不思議と落ち着いて車窓の風景を眺め、本を読んで過ごす。
多分15年前に一度、やはり危篤の連絡を受けて帰ったことがあり、2度目ということと、既に高齢の父であったので、どこかで心の準備があったのかも知れない。

途中、名古屋と東京で電車を乗り継ぎ郡山に到着したのは夜の8時。雪景色を想像して駅舎を出たが、駅前の風景の何処にも雪は無かった。
病室に入ると、母や兄弟が揃っている。駆けつけた兄弟の殿だった。
父はやや持ち直したのか、途切れ途切れに意識が戻り、自分の妻や子供の顔に反応するようになっていた。

今回の年越しは、病室と実家の往復だった。
それでも、兄弟やその子供たちのほとんどが集まることになった(私の妻と子供は、子供が小さいことと、妻が風邪をひいていることから和歌山で留守番)ため、考えようによっては良い正月だったかも知れない。

看護婦さん達も入院直後には何時亡くなっても不思議では無いと思ったと言う父も、年明けから徐々に快方に向かい、軽い食事が出来るまでに回復した。
病状が安定してきたことから、集まった家族もそれぞれの生活に戻ることに。私も1/6に和歌山へと帰ってきた(仕事の都合で1月末まで和歌山の本宅に滞在)。

 樹静かならんと欲せども風止まず
 孝尽くさんと思えども親待たず

今回もまた風は止んで、風樹の嘆きを見ることなくすんだ。何れはまた風が吹くことは判ってはいるが。

追記.
「年末年始の休みに」と思っていたいろいろな計画は、今回の実家への帰省でそのほとんどが実行されずに終わった。
このサイトを利用して下さる方々にも、いろいろとご迷惑をお掛けしたと思う。済みませんでした。


雪と藪柑子  (2003.1.4[土])



・・以下、埼玉のA.Sさんから頂いたメールより・・

 この雪の消(け)のこるときにいざゆかな
山橘の実の光(て)るも見む
 大伴家持
  藪柑子(ヤブコウジ)の古名は山橘、降り積もった雪が、まだらに消え残っているうちに、さあ、輝くように美しい山橘の実を見に行きましょう、白い雪の中でいっそう美しさが際だちますよ。
   関 葉子より(←A.Sさんではありません。引用です)
・・・・・・・・・ 以上 ・・・・・・・・・・

年の初めに頂いたいくつかの年賀メールの中から、雪の中の藪柑子の写真を添えて下さったA.Sさんの文の一部を掲載させていただきました(事後承諾をお願いします)。
(写真は、水野克比古さんの撮影なさったものと言うことで、掲載できませんでした)
「冬」は「殖(ふ)ゆ」身体とする説がある。厳寒のこの時期は、植物が繁殖のための準備をする時期と考えてのことだろう。
雪の下に全て埋もれてしまう時期と見えて、埋もれてもなを燃えさかる生命の強さを見る思いです。

A.Sさん、有り難うございました。

追記.
さて、事後承諾のお願いメールを書こう。



初便り  (2003.1.3[金])

新春の草飾り?一行の心を籠めし年始状  高浜 虚子

年明けが立春の頃にあった旧暦の時代なら、「初春」の表現も違和感が無いが年初が冬の最中に移ってしまった現在では今ひとつピンとこない。
それでもやはり、新年の挨拶は初春であり迎春かな?

今年は久しぶりに生まれ故郷の福島(郡山市)での年明け。昔は当たり前だった雪の降る中で新年を迎えた。
懐かしくはあるが、ここにいる理由を考えるとあまり目出度いとは言えない新年ではあるが、それでもやはり新しい年。節目として挨拶しておくべきだろう。

この日記をお読み下さる方々が迎える新しい年が良い年でありますように。
新年もまた「こよみのページ」をよろしく。

追伸.
写真は、旧い下水管の蓋の穴から生えだした、若い草。新年の松飾りと見立ててみたが如何?

二伸.
前回の書いてから、日記の日付が開いてしまった。
済まないと思いつつも私的事情により如何ともしがたい。ご勘弁願うのみ。もうしばらくの間、私的事情は続きそうである。


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