かわうそ日記 ( 2003年02月 ) こよみのページ こよみのページ
早春の夜  (2003.2.27[木])

よるのはな

まさにしるべし、
空は一草なり、
この空必ず華さく。
百草に
華のさくごとし。
「正法眼蔵」

バックネットの裏に街灯の光が作る自身の影の中に、散り遅れた紅い華を留めて山茶花がたたずんでいた。
夜はまだ寒く、着込んだコートも真冬の頃と変わりないが、寒さの質は変わったようだ。
駅から家までの道すがら感じる寒さは冬の寒さから既に早春の寒さに。
散り遅れたと見えた山茶花も、時が来て華開き、時が来て散って行くだけのこと。
人がどう見ようと、そんなことに関わらずただ時を待っている。


話題性無し?  (2003.2.26[水])

昼のランニング、冬の間はウィンドブレーカー上下で防寒対策。
本日もまだ「冬のうち」ということで、いつものいでたちで出発したが、3km 程走ったところで暑さに耐えかね上を脱いでTシャツ姿になった。街角の寒暖計の表示は11℃。一桁の気温になれた体には「酷暑」である。

折り返しての帰り道、H離宮公園のお堀をのぞくと水面が黒い。
いつも汚い水だけれど今日はまた一段と汚い。
と、その黒い水の間にキラリと光るものが見える。何だろうと意識を黒い水に向けてもう一度お堀を眺めると、黒い水が多数のの黒い流線型物体で構成されていることが見て取れた。

なんだ、ボラ(大きさから言えば、まだ「イナ」だね)の群れじゃないか。

最近立会川(←この字?)で話題を振りまいたボラの大群。でもすぐに海につながっているH離宮公園のお堀では、話題性が無いのか気にとめる人もほとんどいない。たまにのぞき込んでいる人もいるが、

 「わー、沢山のフナがいる!」

と予想外の発言をする程度。
同じ魚が同じように群れているのに、話題性の有る無しの差は大きい。
まあ、注目されたからと言ってボラたちに何かメリットが有るわけでもないけれど。
お堀を後にする間際、ミーハーな人間たちと違って話題性などには左右されない海鵜が一羽、不運なボラを捕まえたのが見えた。生活かかってるんだよね。


淡雪と紅梅  (2003.2.25[火])

昨日の朝は小雨模様。久しぶりに駅まで歩いて出勤。
ちょっと早足で20分位の距離で歩くにはちょうどよい距離なのだけれど、ここのところ自転車で通うことが多かった。暖房への未練から、ぐずぐずして歩いていては電車に間に合わない時間になっていただけだけど。

寒明けの小雨の中を傘をさして、道筋の家々の庭の草木を眺めて歩いているとなんとはなしに優雅な気分になってしまう。電車の時間までの時間限定の散歩であることを忘れそうである。

紅梅午後になると朝よりも冷え込んできた。降り続いていた寒明けの雨がいつの間にか雪に変わっていた。
朝眺めた見知らぬ人の庭の紅梅も、この淡雪の中にあって冬の風景に春の姿を織り交ぜているだろう。

雪明かりやがて紅梅明かりかな
       原田 南海子


寝ぼけまなこの  (2003.2.21[金])

昨日の晩は寒かった。仕事が予定外に長引いて駅を降りた段階で「午前様」。最終のバスも出た後だった。
朝、駅まで自転車で来ていたのでバスが無くても問題は無いはずなだが、吹きすさぶ寒風を前にすると、行ってしまった最終バスが恨めしかった。

一夜明けて、目覚めると6時。連日の「夜更かし」がたたって昨夜は風呂に入る前に意識不明に陥ったので、目覚めてからおもむろに風呂へ。小原庄助さんの朝風呂と違って私の「朝風呂」は優雅とはほど遠い。
とは言いながら、朝風呂に入ると体の方は「お、後は寝るだけか?」と思ってくつろいでしまうのか、いつもの通勤電車では本も読めないほど眠くなる。
マンサク朝風呂に「朝寝」までつけられるのなら優雅な生活なのだが、身上を潰してしまっては大変なのでこれは我慢(潰す程の身上はないか)。

寝ぼけまなこのまま職場に近づくといつもの公園の隅の木の枝の先が、錦糸卵で飾られていた。満作(まんさく)の花。
枯れ枝の先にいきなり咲き始める満作の花、春が近づいたことに気づいてあわてて起き出したようである。寝ぼけまなこの私と満作、どっちもそろそろ目を覚まさないと。

(←このあたりに、今朝写した満作の花が載る予定。たぶん今晩帰ってから・・・)


侘助(わびすけ)  (2003.2.13[木])

わびすけ名は体を表す、まさにその通りだと思うことがある。
侘助(わびすけ)、この花を見るときもこの言葉が思い出される。

立春を過ぎて、暖かさを増し朝の通勤途上に見かける梅の花もまもなく満開といったところ。いよいよ春かなと思っていたが、昨日今日は寒の戻りで寒い朝。
冬もそう簡単に季節の座を明け渡しはしないようだ。

春だ春だと、芳香を振りまく梅ばかりを見ていると、
 「まだ冬は終わってないよ、忘れないで」
というように、梅と並んで少しだけ背の低い侘助の木がひっそりと紅の花をつけていた。
侘助、椿の仲間で葉も花もよく似ているが、椿と違い花が開ききることがない。
いつまでも咲き初めたばかりの風情でひっそりと咲く冬の終わりの花。
秀吉の朝鮮出兵の折り、侘助という人が持ち帰ったという話の真偽はともかくとして、何とも花の風情と相応する名前ではないか。

侘助のくれない淡し目白来て 水野美智子

偶然に目白(?)とおぼしき鳥が二羽、侘助の花をかすめ飛び、隣の梅の枝にとまった。
まるで冬から春へ向かうかのように。


春の兆し  (2003.2.10[月])

白梅寒い寒いと思っているうちに、春はそこまでやって来ていた。
いつもの公園を歩くと、冬の間公園を飾っていた山茶花や木瓜の花がその花期を終え、替わってあちらこちらに、梅の花が咲き始めた。

「白梅に明くる夜ばかりとなりにけり」と、心待ちにしていたと言うほどのの恋慕の情は無けれど、それでも日一日と蕾を開き、黒く無骨な枝に咲く白梅に、春の兆しを眺めるのは楽しいものだ。


蝋梅 (ろうばい)  (2003.2.4[火])

素心蝋梅一月は末まで和歌山の自宅で過ごした。
2つ前の日記には、そのとき写した梅の花を載せたが、今回の写真もまた同時期に和歌山で咲き出した蝋梅の花である。
蝋梅は花の芯が紫色のはずだが、写真の花は芯まで同じ色の素心蝋梅(そしんろうばい)と呼ばれる種類らしい。
蝋細工のようなつややかな花弁をもっていることと、梅と同じ頃に咲く花であるということから「蝋梅」と呼ばれるとも、蝋月(十二月の別称)に咲くからともいわれる。

いずれにせよ見事な自然の蝋細工は、暖かな春の頃には消えてしまう。暖かな春の陽に融けてゆくかのように。


気を取り直して頑張ろう  (2003.2.2[日])

今日は、試合の日で朝から出かけてきた。
「30代」で登録する最後と試合となったが、結果は・・・。

「40代」で一花咲かそうと、ペアを組んだ方との第一回目の試合だったが、練習不足と自分のミス連発で反省点ばかりの目立った試合だったけれど、その直後の練習で少しだけ修正するとある程度の結果が見えたので、腐らずにプレーの修正をして行こう。

当面の合い言葉は「鳥取に行こう!」 ← 判る人いるかな?

千葉の自宅に戻ったが、まだ多少体力も残っているようなので、この日記を書いたらまた練習に行こう。
今年は、はっきりした目標が持てたので、1回の敗戦くらいでメゲテなんていられない。
 「頑張るぞ! オー!!」 (← 一人でやって危ないやつ)


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