かわうそ日記 ( 2003年05月 ) こよみのページ こよみのページ
驟雨到来  (2003.5.31[土])


台風の風

木曜の夜から和歌山の本宅に戻っている。
前後するように台風が日本に上陸。
和歌山もその予想経路に。

金曜は雨模様。
前触れなしに激しい雨が降り出し、前触れなしに止む天気。

雨の合間、電車が見たいとせがむ次男を連れて外へ出た。だがやって来たのは雨だった。
若い竹を風が激しく揺らし始めると、すぐにそれはやってきた。

息子を抱えて走る玄関までの30m。
二人を濡らすには十分な距離だった。
台風の風


栴檀の花  (2003.5.26[月])

昨日と一昨日の二日間は手伝い仕事が入って、慣れない仕事をしていたため、朝になっても疲労感いっぱいである。朝の電車は込んでいたこともあったし何より残った疲労で、開いた本も10ページも進めず、以後は目を閉じて電車に揺られながら駅へと着いた。

外へ出るとジットリとしたまとわりつくような蒸し暑さ。空は薄曇りで、気温も高いことは無いようだから、自分の身体が火照っているだけかもしれない、やはり疲れが残っているのだ。
不思議なもので、駅から人の流れにのって歩き始めてみると最初に感じた蒸し暑さが薄らぐ。自分が歩くことで生まれるわずかな風でも、風には身体の中の疲れを吹き流す力があるようだ。ちょっぴり元気になる。

いつもの公園に入ると、いつも進む方向の反対に翠の葉を茂らせた木が見えた。葉の間に煙るように薄紫の色が見える。栴檀(せんだん)の木だ。今までは何の木かも気が付かなかった、と言うより存在自体に気付かなかったなかった木が、花の時期になってやっと目に入った。

栴檀の花は、厚い葉陰に隠れて目立たない地味な花である。意外によく見かける栴檀の木だが、花好きな人ですらも今ではこの花の名前を知らないことが多い。

栴檀(せんだん) 妹が見し楝(あふち)の花は散りぬべし 
    わが泣く涙いまだ干(ひ)なくに (山上憶良)

昨年出かけた柿田川の河口では、崖の上から川の上に枝を差しのばしている栴檀の花を見た。あの日の清々しい風の記憶が、水気を好むこの木から呼び起こされた記憶の風がまた、身体に残る疲れを吹き払ってくれる気がした。

追記.
「楝」は栴檀のこと。憶良の歌は大伴旅人の妻の死に際して歌われたもの。
ひそやかで、高貴な女性の死を悼むと言ったイメージが浮かぶ(歌はいいけど写真は失敗・・・)。


近頃の朝の楽しみ  (2003.5.23[金])

最近、密かな楽しみが増えた。
朝の「饅頭」である。ファーストフード店で言うところの「朝マン」である(言わないか?)。

私の職場は08:30出勤と09:30出勤のいずれかが選べる。東京の通勤ラッシュ軽減のための時差出勤からはじまったの制度なのだろうが、どういう訳か90%以上が09:30出勤。
私のいる部屋でも10人程のメンバー中、08:30出勤を選んでいるのは私一人。そのため、朝の内に「静かな1時間」を得て、コーヒーの準備(ユ○マット)をしながら、メールチェックなど行っている。

誰もいない時間、最初に入ったコーヒーがそこにあり、PCに向かってメールにざっと目を通す。十分にゆったりした時間である。が、何か今ひとつ・・・。
そして最近その、「今ひとつ」を探り当てた。それが朝の饅頭である。

今は、入れ立てのコーヒーの湯気の向こうに饅頭が一つ。なんて優雅な朝であることか。コーヒーに代わって「渋茶」が登場するようになると、もう一段大人の階段を昇ったことになるのだろうが、まだその境地まではたどり着いていない。

最近発見した、この「朝の饅頭」のおかげで、私の楽しみがまた一つ増えた。もしかすると体重も増えたかもしれないが。


地獄から天国まで  (2003.5.20[火])

昨日の午後のこと、一冊の小冊子が郵送されてきた。
毎年、某所(同業者)が発行する冊子。自分も仕事でその冊子の中にあるのと同じような計算をしているので、早速冊子を開いて既に刊行済みの自分の仕事と比較して、間違いのないことを確認する。
例年ならば、大差ないことを確認して、冊子を資料の棚に載せて終わりである。が、今年は違った。
今回はちょっと珍しい計算が入っていたので、「大丈夫だったかな?」と不安に思っていたので、該当ページを恐る恐る開いて、自分の結果と比較した途端、血の気が引いた。

  「全然違う」

わずかな差ならば、計算に用いた手法や、もとになった資料の違いからあってもおかしくはないのだが、今回に限って言えば「全然違う」のである。一瞬パニックに陥りそうになったが、何とか堪えて自分の計算資料を取り出し、関連しそうな情報を集めて、もう一度考えることに。
この状態で血圧計ったら、きっと近年の記録となるくらい高かったに違いない。

それから、2時間。原因がわからないまま関連する情報を関係機関のWeb サイトから拾っていた。と、某国の機関のサイトに、私の計算した結果に非常に近い値と、今回の冊子の値に近い値が両方載っているのを発見。
なぜ2通りの数値が載っているのかざっと説明を読み、地獄は一転して天国へ。

柿の葉計算の基準が違っていたのだ。件の冊子には計算に使った基準が明示されておらず、そのため私は私と同じ計算の基準で行ったと早とちりしていたのである。
解ってみれば、なるほどと得心が行く。結果の違いの大きさも妥当なものだ。

一瞬にして、緊張から解放されたが、それまでの2時間の精神的な疲労で、以後働く意欲ゼロ。

  「今日は定時で帰ります」

と言って、まもなく訪れた「定時」に職場を後にした。曇り空だがまだ日もあり、表は明るい。
朝の通勤経路となっている公園に寄り道して、気分を変えてから帰る。
何の変哲もない緑の柿の葉っぱを見ても、「よかったー」言葉の漏れる初夏の夕暮れであった。


恐竜の風景  (2003.5.16[金])

シダの林からある日歩いていると、宅地造成中とおぼしき土地に、沢山のワラビが生えていた。
中には土を押し上げて顔を出そうとしているものもあり、それをのぞき込むためにしゃがみ込んでしまう。道草癖は子供の頃からのこと。

しばらくして、しゃがみ込んだまま視線をあげると、大きくなったワラビが大地を覆っているように見えた。もう少し視点を下げると、周囲の建物もワラビに隠れそうだ。
試しに視点を少しずつ下げてゆくと、視野はワラビに覆われ、いい感じになってきた。終いには、地面に顔をつけんばかりまで視点を下げてワラビを見上げて見ると、巨大なシダの林に迷い込んだような気分。

 「おお、これは恐竜の風景!」

そう、図鑑の中でみたトリケラトプスやブラキオザウルスがのし歩いた、中生代の林の出現である。
あまりの感動に、一人で恐竜気分を味わっては申し訳ないと、本日は皆さんに「恐竜の風景」のお裾分けである。
このシダの林の中でなら、私はおそらく「史上最大の恐竜」。なぜか感じる優越感。
本日は、大恐竜「カワウソザウルス」の林からの、かわうそ日記でした。


甘いものは好きだけど  (2003.5.15[木])

私は自他共に認める、「甘いもの好き」である。
どちらかと言えば洋菓子より和菓子が好きだが、「どちらかと言えば」という程度の差。どっちがあっても嬉しい。
とはいえ、甘ければ何でもいいわけではない。中には不味いものもあり、甘いもの好きだけにこういうはずれに当たると、強烈な悪印象が残る。

甘いもの以外に、結構好きなものとしてTVのCMもある。自分の子供の様子等見ると小さな子供もTVのCMが好きらしい。メインの番組放送中は背を向けて遊んでいるのにCMに切り替わると途端にTVに向き直るのだから、CMには引きつける何かがあるのだろう。

ある日、いつものようにCMを見ていると、どこかの家庭教師派遣会社のものが流れた。

------------(以下CMの内容より)-------------
母親 「どうしても降りてこないんです」
教師 「いいですよ、僕が行きますから」
    (家庭教師、屋根に登る)
教師 「最初の授業は、星の下でしようか」
子供 「・・・ここまで来たの、先生が初めてだ」
---------------------------------------------

何か悩みを持って心を閉ざした子供と、その子供を理解しようとする家庭教師。
その家庭教師の行動で、子供の閉ざした心が開かれて・・・と今時珍しい安直なストーリー展開。不味いバタークリームたっぷりのケーキを食べた後のような、嫌な気分を味わった(おかげで記憶に残ってしまった)。

「ここまで来たの、先生が初めてだ」という言葉を聞いて、ある面では一安心。少なくともそれまでの家庭教師は屋根まで登るなんて馬鹿げたことをしないだけの見識はあったんだ。うんうん。
子供に媚びるようなこの家庭教師の姿勢だけでもかなり「嫌な甘味」を出しているけれど、それにもまして「嫌な甘味」を出しているのは親。

仮にも、ものを教わろうとする子供が、教える側の「教師(この場合家庭教師だが)」に初対面で屋根まで登らせるなどという破廉恥な行為を許す親がいていいのか!
家庭教師を付けて何を教えたいと考えているか知らないが、その前に家庭で最低限の礼節を教えるのが先だろう?

甘い物好きなだけに、かえってこんな出来の悪い「甘い話」には、過剰に反応してしまうようだ。(口直しに渋いお茶がほしいところだ)

追記.
現在、CMに引きつけられる幼児(次男)や、かつて引きつけられていた小学生(長男)に関しては、多分(絶対?)家庭教師などをつけることはないと思う。
そんな「難しいお勉強」をしないと困るほどのことってそんなに無いようだし、「困るほど難しいこと」がしたいと子供自身が思うようになったら、そのときはどうすれば良いかを考えるだけの知恵は付いているだろうから。


5/6の写真から  (2003.5.11[日])

月と土星と立夏(りっか)
5/6、春から夏へと季節の境を越えた。
春の後ろ姿を探してみたが、暮れてゆく空に後ろ姿は見みつからない。
静寂(しじま)
田んぼで鳴きかわす、うるさいほどの蛙の声。
蛙の声に満たされた、静かな夜を迎える。
静寂は無音ではない。静寂には静寂の音がある。
月と土星(つきとどせい)
14.7億kmの距離を隔て、月と土星が並んでいた。
納戸(なんど)
家の納戸の戸の隙間に目を当てて、息子が中を覗いている。
1歳半の彼はまだ入れてもらえない納戸。
狭い隙間から覗いたそこに、何が見えたのだろう。
夜の色(よるのいろ)
月の浮かぶ宵の空は微かに碧を帯びた濃い青色、「鉄納戸」
やがて日の残光もすべて消え、後に残るのは
Midnight blue ・・・ 真夜中の青。


三連休  (2003.5.4[日])

朝の花水木5/3 、連休後半。朝から天気は上々。
他よりも遅れて開いたのんびり屋の花水木に朝日が透けて見えた。
ラケットと、コンピュータを持って連休を東京で過ごす理由となった試合に出かける。
コンピュータというのは試合後、直接和歌山の本宅へ帰るため。
予定では「早々に敗退」して午後には東京を離れるはず。

試合は予定通り(?・・・)早めに終焉。多々あった反省点を話し合ってから試合会場を後にする。
3連休とはいえ、昼を過ぎての出発であるので、さほどの混雑はない。早めの敗退を予想して予約した新幹線も混雑の度合いはいつもと変わらない。名古屋で乗り換えた列車も閑散。連休の混雑を多少は心配しただけに拍子抜けである。

新幹線+在来線での6時間、ほとんど目を開けることもなく寝て暮らす。久々に明るいときの電車なので風景を眺めないのはもったいないのだが、なぜか瞼が重くてどうにもならなかった。

夜の勝浦駅に降りると、どこかから椎の木の匂いがした。
空を見上げると、朝の千葉と同じく良く晴れた空。沢山の星座が見える中、その星々を圧するように一際明るい木星が西の空に輝いている。同じ空でも、星の数は千葉や東京とは違っている。
駅から家へ向かう車から通り過ぎる水田を見ると、そこにも輝く星一つ。空に輝く木星が田植えを終えた田の水に映って見えていた。
遅ればせながら、私の3連休が漸く始まった。


今日一日の始まりに  (2003.5.2[金])

風の強い昨日から一転して、本日は無風。
湿度も高いのだろうか、ジットリした空気を感じる。
朝の電車では、男子高校生集団に取り囲まれ、ほぼ40分の間聞きたくもない駄洒落の続く会話を耳元で聞かされ続ける。
一日の出だしとしては、あまりよくない朝である。

駅をおりて15分、気を取り直すべくいつものごとくあたりをきょろきょろ見回しながら職場へ向かう。
去年、なぜか茄子が一本だけ植えられていた道ばたの花壇には、今年はごく普通に花だけが植えられている。今となっては、ちょっと不思議だった去年のあの一本だけの茄子が懐かしい。

職場の門が見えるあたりまでくると、そこに脚立が並んでいた。植木屋さんが職場のツツジの植え込みの剪定をしている。
ツツジは、盛りを少し過ぎたと言ったところ。まだ綺麗に咲いているのだが、この時期が剪定の好機なのだろうか、咲き続けているツツジの花を小枝ごと、小型のチェーンソーで刈り上げてゆく。
三葉躑躅かな?剪定中の植木屋さんに近付くと、一群の花をつけた枝が一本刈り取られ、脚立の下に落ちてきた。
綺麗に咲いたツツジの花が惜しいと思い、その枝を拾ってしまおうかと考えたとき、私の5歩前を歩いていた女性がつと足を止め、かがんでその枝を拾い上げた。

女性は、拾い上げたツツジの花を痛めないようにか、手に下げたコンビニの袋と花とを持ち替えてから歩き出した。私もその後について歩き出す。
前を行く女性の背負ったオレンジ色のデイバッグを眺めていると、今しがたの何気ない動作が思出される。一日の出だしとしては案外悪くないかもしれないな。

追記 .花も私に拾われるより、幸せだったかもな。
追記2.写真のツツジと文中のツツジは別物です。


朝の風  (2003.5.1[木])

連休の谷間だけれど、今年は結構広い「谷間」なので朝の電車は空いていると言うほどでもない。
それでも空は青く五月晴れ(←誤った使用例です。はい)、駅から出ると結構強い風が吹いていて雲を吹き散らしてしまっているようだ。

少しばかりひんやりとした風だが、元気になった今はそれが気持ちよい。
元来、風は好きだ。それもそよ風と言うよりびゅうびゅうと「吹きすさぶ」と言うような風が好きだ。体が自然と前傾となるような強い風に吹かれながら歩くと、生きている実感がある(大げさですけどね)。
ビルの谷間で風が巻き、思わぬ方向へと街路樹の枝がなびいている。コンクリートに囲まれて大変だろうけど、街路樹も頑張って生きているな。

生きている気分にとっぶりと浸かったのもつかの間、もう職場のビルが見えてきた。いつもの公園ではエゴの木の花が咲き出したばかり。こんな日は仕事さぼって木でも眺めていたい気分だがそういうわけにも行かないのが残念。
ゆっくり眺めるまでは、あのエゴの木の白い花を吹き散らさないでくれよと、元気をくれた朝の風に思いながら、職場の門をくぐった。


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