かわうそ日記 ( 2003年07月 ) こよみのページ こよみのページ
藪萱草(やぶかんぞう)  (2003.7.28[月])

少し早めの夏休みをとって、まだ梅雨寒の故郷へ戻った。今回は春に亡くなった父の墓参りのつもりで、妻と子供を連れての帰省である。子供たちにとって長男は三度目、次男は初めての私の故郷である。
父の墓に参った日、小雨の降る中で息子たちは何のために連れてこられたのか判らない様子で、言われるままに線香を手向けていた。

父の墓は、私の通った小学校に接する墓地にある。夏休みに入った小学校は閑散としてグラウンドを隔てて遠くに人影が見えるだけだった。
小学校を見ているうちに、育った場所を見に行きたくなった。高校に入って引っ越して以来、行くことも無かった。大分変わっているだろう。

小学校から 2km。近づくに従って見覚えのある森や池が姿を表す。阿武隈川に近いかつて家の有った場所は、隣接していた田んぼが広がって、今は稲の根の下に埋もれてしまっていた。
ヤブカンゾウ 
二十数年の経過に驚きながら昔の記憶をたどって、見覚えのある物を探していると、一本の桜の木が目に入った。ひと抱えも有りそうな太い幹の桜が川辺に枝を広げてたっている。こんなところに桜の木がと思いながら近づくと、小学生の頃に家の前に植えられた桜の苗木のことが思い出された。

子供の腕ほどの細い苗木の末がこの大木であった。植えられてから三十年あまりの時間の経過を、幹に刻んだ桜の木がこの場に家が有ったことを証してくれている。

葉の茂った桜の枝の下に、子供の頃の家が姿を変えた田んぼが広がる。私の部屋のあった辺りは田んぼの畦のとなり、草の間に藪萱草の花が咲いていた。


ハードな帰省のレポート  (2003.7.23[水])

現在、かわうそは早めの夏休みをとっている。
夏休みで鋭気を養い、夏を乗り切る算段である・・・というのは個人的な望みであるが現実は厳しい。今回の夏休みは、かわうそ一家でかわうその生まれ故郷へ向かう、「帰省」が最大の目的。

現在千葉在住のかわうそであるので、生まれ故郷の福島までは新幹線を使えば2時間少々。車でも高速で3〜4時間。近いものである。が、ここで問題。
かわうそ本人は近い場所にいるのだが「かわうそ一家」としてみると、3/4は和歌山(それも和歌山市じゃないぞ)に。

さらに、家族年齢や体調と言った諸事情を検討した結果、公共交通機関案はすべて「却下」され(だれにだろう・・・)、片道1000kmあまりの距離を車で移動。それも、都合2往復・・・。
運転手は、かわうそ本人である。
これを1週間と少々の間にこなさなければならないとあっては「鋭気を養う」どころではないことは想像に難くない。
そして今、およそ1/2 を経過して、現実は想像以上であったことを認識している。

そういったわけで、HPの面倒やメールの返事が滞りがちになってしまっている。
申し訳ないとは思いつつも、厳しい現実の前に討ち死にの毎日である。

あと1週間後、本当に「死んで」いなければ、また復帰してくるつもりなので、それまでは死にそうな「かわうその日記」で厳しい帰省の日々を、お楽しみいただきたい。


祭りの夜  (2003.7.16[水])

 夜、駅に降りると向かいに見える普通列車のホームがいつになく華やかである。赤や黄色の浴衣姿の女性が人混みの中に混じっていからだ。

 改札を抜けると浴衣の女性の数はますます増えた。それにいつもならこの時間、帰宅を急ぐ人々をはき出す一方の駅へ、今日は大勢の人が向かってくる。そういえば、帰り道にある浅間神社の祭りが7/15だと知らせる張り紙を見た気がする。

祭りの去った道 人の波を分けるようにして進み、バスへ乗り込む。窓の外に流れるヨーヨーや綿菓子を手にしたの人の流れを眺めているうちにバスは動きだした。混み合う駅前を抜けるとバスは、祭りの混雑を避けていつもと違った道を走り始めた。

 夜が明けて、今度は駅へ向かうバスに乗る。バスの経路はいつものそれに戻り、いつものように通勤の人々を乗せてゆく。神社に近い公園の停車場にさしかかると、バスを待つ人の後ろに堆く積まれたゴミ袋の山が、祭りがあった証のように残されていた。
 ゴミの山も日中には片づけられて、今夜帰る頃には、祭りが有ったと言う跡さえも無くなり、神社の通りはいつもより、寂しい道となっているのだろう。


送梅雨  (2003.7.11[金])

枝の雫7/10 小糠雨の降る街の朝。

傘をさそうかどうしようかと迷いながら、横断歩道を渡りはじめた。歩き出してみると、顔や手に感じる雨の感触は心地よい。傘をさすのはよすことにした。

歩き出して10分。服や荷物がわずかに湿り気を帯びた頃、いつもの公園にさしかかる。公園の草や木の葉には小さな雨粒が「降り積もった」水滴が光る。ビルの背景に黒く浮かび上がる枝にも、空を写して輝く水の一滴が見える。

雫に映る空は曇り空。それでも梅雨を迎えた頃の暗さは消え、今にも日の光が漏れてきそうに明るい。
間もなく今年の梅雨も明けるのだろう。
もしかしたらこの雨が、送梅雨の雨かもしれない。


連続試合も終盤へ  (2003.7.8[火])

 6月からはじまった7連続試合の日々もそろそろ終盤、昨日の日曜日に6つ目の試合を終えた。さすがに試合後の疲労感は初めの時期より強くなってきたが、昨年同時期に比べると大分マシ。疲労回復の為に、練習回数を減らすことが出来る(練習を我慢できる!)様になったからかもしれない。

 今回の試合はミックスダブルス。レベルダブルを普通の将棋にたとえれば、ミックスは詰め将棋である(と私は思っている)。そういう意味で、詰めの定跡を学ぶにはいい。
 だが、普段行っているレベルダブルスとは動き方が異なる為、急造ペアでは上手くいかない。そのため、今年から参加資格を得た年代別(40代)のミックスには固定したパートナーと参加している。

 お互いの特性から、かなり変則的なプレースタイルとなるため、組み始めてからは自分たちの形を作る為にいろいろ実験や調整を行っていた。なかなか思うような結果が出なかったが、今回はようやくそれらしいプレーが出来、結果も出すことが出来たので、週明けの疲労の中でも、気分は良好。

 来週の日曜は、7 連続の試合の最後。それも今までで一番大切な試合である。先週、今週の試合では自分自身の調子は上向き。出来れば最後のこの試合(男子ダブルス)でも目標の成績が出せればいいのだが。
 さて、来週はどんな日記を書くことになるか。


智慧と戒め  (2003.7.5[土])

「あのさ、子供じゃないんだから」
近頃、世間に増える様々な規制を目にして、こう思うことが増えた。
子供は、行動に関しての善し悪しの判断が不完全であるからこれを補うために外的な規制が必要である。
その規制の意味が完全に理解されるかと言うことは、この場合は問題ではない。その時点で理解できないことであっても、正しいことならば理解は後から付いてくる。

大人といわれるほどにもなれば、内部に自身を規制する「戒め」が生まれる。だから外的な規制をゆるめ、物事の判断を各人に委ね得るのだろう。

 自宅以外での飲酒に関しては、原則として禁止。必要な場合は、報告すること

酒の絡んだセクシャルハラスメントで物議を醸し出したとある政党からのこの発表。反省のポーズなのだろうが大の大人(しかも、一国の政治に関わろうとするほどの人が)からのこの発表、聞いているこらが恥ずかしくなる。

私自身はあまり酒を飲むことはなく、そのせいか「酒の上での失敗」ということには厳しい方である。
それでも、法的にも宗教的にも問題ない飲酒を、自分のお金と時間を掛けて行うことにとやかく言おうと思ったことはない。
アガパンサス・愛の訪れその上で失敗したのならそれは、当人の責任で処理する問題だし、そうならないように自ら戒めるのは大人として当然だと思っているからである。

先の発表のように、何らかの外的規制を掛けると言うことは、「我が党党員は自ら戒めることもままならないのです」と満天下に知らせるようなもの。よくTVカメラの前であんなことがいえるものだとあきれてしまった。
 智慧と戒めをもつは沙門なり
 智慧あれば戒めあり
 戒め深ければ智慧もまた深し
 釈尊

さすがに党内でも批判があったのか、一夜明けて先の発表は撤回されたが、この撤回発表も含め何とも智慧の足りない行いを見せつけられた。恥ずかしい。


今日は何の日・雑感(7/2)  (2003.7.2[水])


  • 半夏生
    七十二候に「半夏生ず」とある。半夏生という植物もあり、はっぱの半分だけが白くなることから、白い部分を白粉になぞらえて「半化粧」なのだという尤もらしい説がある。真偽のほどは?
    昨年、半夏生を見つけたが、なぜか白粉がほとんど無い「無化粧」の葉っぱだった。今年こそは、半化粧の葉っぱを見つけるぞ。
  • 一年の折り返しの日
    今日の正午が一年の折り返しとなるそうな。「もう半分か」なのか「まだ半分か」なのか・・・。
    残念ながら、マラソンコースにあるような「折り返し」表示は見あたらないので、折り返しと気づかないことが多い。
  • 郵便番号記念日
    通勤の経路に郵便局がある。 4月から公社化されて、民間との競争のためにサービス強化。
     「真っ向サービス」
    のスローガンの張られたキャッシュサービスコーナーの取扱時間は、相変わらず09:00-17:00
    普通に仕事していると開いているところを見ることがない。真っ向サービス・・・
  • 蛸の日
    記念日の本など漁ると、びっくりするような楽しい記念日を見つけることが出来る。
    5月頃から何を思ったか「蛸釣りに行きたい」とうわごとのように言うようになった(そんなには言ってない?)妻と、偶然この記念日を発見して大笑いした。
    それはそうとして、蛸釣りってどんなふうにするの?
最後に・・・
今日は何の日のデータを集めているとき、記念日の名前や由来を読みながら、あらぬ妄想に駆られて何度も笑ってしまった。かわうそのコメント付き、
  メールマガジン 日刊かわうその[今日は何の日]
を発行したら、読者は付くかな(←発行予定無し)


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