かわうそ日記 ( 2003年12月 ) こよみのページ こよみのページ
落ち葉の霜  (2003.12.26[金])



    霜晴れの朝、白い息が流れる
    昇りきらない朝日に照らされて、空の絹雲は白く光り
    地上の木々は長くその影を伸ばす

    葉裏を見せる落ち葉には、夜の間に降りた霜が
    白く葉脈を浮き立たせている
    春に芽吹き夏に伸び秋に色づき今地に落ちた
    この一年の記憶とともに凍っている

    やがて日が昇り霜は融け、季節が巡り葉が地にかえれば
    そこからまた新しい葉が生まれ永遠に巡り続ける
    霜に覆われた一枚の葉が
    その永遠の前の一瞬に落ちている



雪の便り  (2003.12.21[日])

この冬一番の寒波が日本を覆った朝だそうだ。TVのニュースは日本各地の「雪の便り」を流していたが、外を見ても辺りに雪の便りの気配は無かった。

午前中にすませたい用事があって近所に出かけた。出かけたついでにコンビニまで足をのばすことにした。大分風邪も良くなったようで、それほど寒くは感じない。
コンビニへはポプラの並木に沿った細長い公園を通る。公園にはブランコで遊ぶ女の子と、築山に腰掛けてそれを眺める母親がいた。

十五分後の帰り道、公園を通るが人影は無い。ブランコもただぶら下がるばかり。
葉を落とし尽くしたポプラの木々は、針を並べたような細い枝を、冬の青空に向かって伸ばしていた。

午後になって、注文しておいた品物が届いた。その中に「ゆき」と言う名のお香があった。
雪の香りとはどんなものかと、注文のリストに加えたものだった。今日届くとはこれもまた雪の便りかと、包みを開けながら思った。

雪と山茶花その後は、本棚に「積ん読」していた本の中からいくつか取り出し拾い読みし、気になっていたこのサイトの解説記事の一部を手直しし、1週間の内に録画していた番組を整理していた。気が付けば長かったはずの土曜は終わって、曜日は日曜になっていた。

明日は予定があるからそろそろ寝ないとなと考えているとき、どこからかメールが届いた。開いてみると、そこにも雪の便り。

 「家の周りは全てさらての雪です」

という山陰に住む N.Fさんが、雪のない千葉に、今朝の雪を届けてくれていた。添付されていたのは雪をかぶった韓紅の山茶花の写真。

このメールを読み、急に今日の雪の便りを書き留めておきたくなった。


真っ赤  (2003.12.19[金])

真っ赤な鼻 
ここ数日、洟をかみ続けている。屑かごには白いティッシュペーパーが山を成し、その山の高さに比例して私の鼻の赤味は増した。洟をかむたびに鼻は悲鳴をあげるのだが、それでも容赦なく「洟」は垂れる。
今私はいい歳をして、昔日の洟垂れ小僧に戻っている。

真っ赤な嘘 
本日、自衛隊のイラク派遣(派兵じゃないの?)の準備命令が下るそうだ。イラク復興のために必要だから、危険であっても派遣しなければならない、だから危険に対処できる自衛隊を派遣するというのならまだしも「絶対安全だから自衛隊を派遣する」という矛盾した、誰の目からも嘘と解ることに立脚しての派遣。「安全だから行け」と言われる自衛隊員こそいい面の皮である。

その昔ある軍人は、「指揮官として、国のために死ねと言うに等しい命令も出さねばならないときがある。しかし、国策のために死ねと兵士に命じることが出来るか」と言ったが、「国策」どころか、どこかの政党の都合で、「安全な場所」へ派遣される自衛隊員の胸中はどのようなものだろうか。

ナンキンハゼ真っ赤な・・・ 
昨日の朝、街路に植えられた木の葉が仄かに赤く色づいていた。他の木々はすでに裸木に近いのにその木だけは、まだ沢山の葉をつけて、落葉の兆しも見せていない。ナンキンハゼの木である。

多分「南京櫨」と書くのだろう。種類は違うが、少し前の日記に写真を載せた櫨の木と同じく紅葉する木である。

まだ、真っ赤にはほど遠いけれど、仄かに赤く色づきだした。
いつかは櫨紅葉(はぜもみじ)と呼べるほど鮮やかな赤となって、色の乏しい冬の街を彩るのだろうか。

追記.
新しいデジタルカメラによる最初の写真でした。


「祝」 かな?  (2003.12.11[木])

詩三百、一言をもってこれを蔽(おお)わば、思い邪なし

本日はいきなり格調高く、論語の一文から書き出した。と言いながら、最近はとんと読み返していない論語のことなので、記憶を頼りに書いた上記の文に間違いないとは言い切れない。試験の答案に利用するような用途には用いないように。

格調高く書き出したには理由がある。かわうそ日記の書き込み番号が「400」となったことを記念したのである。
孔子の時代すでに古典となり、孔子をして言辞の全てはこの中にあるとまで言わしめた詩経は三百篇(ほんとはもうちょっと多い)。比べること自体が間違いだとは思いながらも、数だけはそれを百も上回っている。

「継続は力なり」と、継続してさえいれば善いのなら、たいしたものである。
詩経を百も凌駕した今の次の目標は論語の五百篇か。来年あたりは、また格調高い書き出しの一文を書けるかもしれない。
もっとも、「思い邪なし」と評された詩経と違って、「邪だらけ、希に縦縞も」というこの駄文が古典なることは絶対にないことなので、比較の対象は「内容」ではなく、あくまでも「数」に求めることにしておく。

何はともあれ、「400篇」である。

追記.
さて、ここで一つ悲しいお知らせである。
この「四百編」の日記を影で支えてくれた、デジタルカメラが、ついに死んだ。
すでにしばらく前から、液晶の表示が出なくなり、接写や夜景撮影に支障を来していたが、ここに来てついに電源が入らないようになった。

ぞんざいな扱いを受けながらも、雨の降る日は雨を撮り花の咲く日は花を写して、「書く内容に窮した」私をよく助けてくれたこのカメラ。苦労の多かった現世を去り、極楽浄土の蓮の花を写して過ごすような来世をむかえられることを祈るばかりである。アーメン(宗教的に混乱している)。


アカ! アカ!  (2003.12.9[火])

一月ぶりに和歌山の本宅へ帰宅(帰省?)。夕方新幹線で東京を出て、最終の特急と最終の鈍行を乗り継いだ終着の駅に到着するのは23:21。ここから更に車で15分走ると、ゴールの我が家である。子供達を寝かしつけたあとの家内が駅まで迎えに来てくれた。

 「うーちゃん、ないね」

夜、私用の布団を敷いていると、2歳になる次男がその布団をトントンと叩きながら、そういったそうだ。私が「うーちゃん」らしい。
私が帰ったときだけ使っている布団が敷かれているのに、私がいないので「おとうさん、いないね」と本人は言ったつもりなのだろう。次男から初めて「お父さん」に類する言葉が出た。嬉しかった。

にしても、なぜ「ーちゃん」かと思ったが、家内は彼に「ーちゃん」と呼ばれていると聞いたので、なるほど、おとさん、おかさんの「う」と「あ」なんだと判った。
直に彼から「うーちゃん」と呼ばれたのは翌朝。目が覚めた彼と顔を合わせたとき、「うーちゃん」と言って笑ってくれた。実際にそう呼ばれると、またひとしを嬉しい。

生後2歳と1ヶ月の現在、かなり無口だった彼もようやく言葉に目覚めてきたのか、いろいろなことを話すようになってきた。まだ電気(電灯)は「ガンギィ」だし、電車は「カンカン」だし、通訳がいるがそれでもどうやら言葉ではある。

 「さんぽ いった うーちゃん(と)」

と直訳英語のようでもあるが、何とか関連する単語を並べることも覚えはじめたようだ。
櫨のアカい葉物の名前だけでなく、色の名前もいくつか覚え始め、どうやら「赤」「緑」「黄」は判るようだ。「青」と「赤」は言葉が似ているせいなのか時々取り違えているが、まあ焦る必要はあるまい。

日曜日の午後、晴れていたので、散歩に出た。次男に「お父さんと、散歩に行くか」というとダッシュしてきたので連れて出た(長男は風邪でダウン中)。
よく晴れて日射しは暖かかったが、日陰にはいると空気は冷たい。やはり冬である。30分もすると、指先も冷たくなってきたので、まだ歩くと言う2歳児を抱えて戻ることに。と、突然抱えられた彼が

 「アカ! アカ!」

と興奮気味に言葉を発した。彼の視線をたどると、サーカステントの天辺にはためく三角旗のように紅葉した櫨(はぜ)の葉があった。その旗の色は赤ではない、「アカ! アカ!」の色に輝いていた。


-3℃の風景  (2003.12.2[火])

気がつくともう十二月、今年最後の月となっていた。
-3℃の風景うかうかとしている間に、日々に取り残されてしまったようだ。
この年内にしたいと思うことは沢山あるが、このまま行くとまた翌年に持ち越してしまいそう。一月を残して内心では既に白旗を掲げている。

十二月ともなれば、街の風景も「冬」がだいぶ板に付いて、減ってしまった木の葉の隙間から遠くの風景が見通せるようになった。最も東京の街中では、ビルに遮られて本当の遠くは見えないのだが。

いつも通り抜けるビルの間に歩を進めると、3日ぶりに晴れた街の朝が窓ガラスに映っていた。ガラスに映った街の風景は青味がかって、なんだか寒そう。見た目の感覚では現実より3℃低い街が映っている。
もしかしたら、鏡の中の世界ではすでに冬本番の年の瀬を迎えているのかもしれない。今より−3℃の風景を見ながら、そんなことを考えた。


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