かわうそ日記 ( 2004年06月 ) こよみのページ こよみのページ
繊月  (2004.6.22[火])

繊月台風が近づきつつある日曜の夜、外に出るとまだ檜葉の枝先に月が掛かっていた。
台風の風はまだ地上には届かないいが、月の掛かる空の上では風を切る音が聞こえそうな勢いで雲が流れていた。
遙か彼方の台風の作る巨大な渦の中心へ向かう雲の一団だろうか。

街の灯火を映して暗赤色に光る雲が月を横切っては飛んで行く。
生まれたばかりの月はまだ細く、繊月と言う呼び名の似合う細い姿。
飛び去る雲との対比から、月が風を切って空を駆け抜けて行くような錯覚に陥る。

昼の残した暑さの中で、雲の彼方を駆けて行く月を眺める。
明日にはこの空は、台風の引き連れた雨雲に覆われていることだろう。
見上げた細い月は、檜葉の枝先にかかったまま、空を駆け抜けて行った。


息子の家出  (2004.6.17[木])

昨夜、息子が家出した。
夕食の前、何が原因でか解らないが、兄ちゃんに叱られた。
ふてくされて、台所で夕食の支度をしている家内の元へ。

ここでも忙しい家内には相手にされず、そのうち台所のものでいたずらをはじめて、今度は家内に叱られた。助けを求めて来たはずが、何処にも救いの手は無い。
四面皆、楚の歌を歌う状態。
 「じーちゃんちにいく、ばーちゃんちにいく」
そう言い残して彼は家を出た。

正確には家を出ようと玄関まで行き、誰かがドアを開けてくれるのを待っていた(まだ自分ではドアが開けられない)。
様子を察知した家内が玄関に行くと、なぜか私の大きな靴を履いてドアの前にたたずむ彼がいた。
 「行くんか?」
と聞かれてうなずく彼。
家内がドアを開けると、嬉しそうに大きな靴をバタンバダンとならしながら隣(じーちゃんの家)へ向かった。

 「タツがそっちに行ったから、玄関開けたって」
と家内がばーちゃんに電話をした頃、隣の玄関先ではバタンバタンと音がしていた。
そして15分後。再び我が家の玄関先にバタンバタンの音が。

 「すっきりした?」
 「した」
という玄関での会話後、何事もなく大好きな兄ちゃんの元へ走り出す彼。
こうして、彼の初めての家出は終わった。
(以上、昨夜の家内からの電話連絡から状況を再現してみました)

補足1
「タツ」と呼ばれる彼の年齢は2歳(と8ヶ月)。

補足2
彼が玄関やリビングの掃きだし窓からふらふらと抜けだし、近所の家に遊びに出かける行動を我が家では、
 「脱走」
と呼び、家出とは区別しております。


葦の舟  (2004.6.16[水])

笹舟と言われても、イメージがわかない。
笹と言われて真っ先に浮かぶのは「笹のはさらさら」と歌われる笹。
あんな小さな笹の葉で、舟なんか作れるかなという疑問が首をもたげてしまう。
私は笹の葉で舟を作ったことが無い。

週末は和歌山の本宅で過ごした。
田圃の稲はたくましく育ち、山の緑も夏の濃さに近い。日のさなかには道が陽炎にゆれていた。
熱にゆれる道と青い田圃の間に幅二十センチの用水路。苔の生えたコンクリートの壁の間に、田圃を潤す水が流れている。

葦の舟青い稲の育つ田圃のに隣りあって、自然の湿地に還りつつある休耕田がある。田圃としての役割を終えて十年以上が経過しているのだろう。
用水路から昔通りに分け前の水をもらうこの湿地はガマや葦に覆われている。

道からひょいと手を伸ばし、堅い青緑の葦の葉を頂けば、河近くに育った昔、船団を成すほどこの葉で舟を作ったことを思い出す。
笹より大きく、笹より堅い舟作りの良材、葦の葉。
子供の頃、河原へ降りればこの良材がふんだんに手に入ったのだから、笹の舟を作る必要もなかったのだ。

葦の葉を手にした二分後、完成した葦の舟を幅二十センチの大河に浮かべる。
帆に追い風を受けた葦の舟が、滑るように大河を降って行く。
その昔建造した、葦の船団に加わるために。


  (2004.6.4[金])

流れ空の雲を映しながら同時に底の雲母のかけらが透けて見える水が不思議でならなかった。謎を解明する気はさらさら無く、ただ「なんでかな」と首を傾げるばかり。
幸い、河や池や田圃の周囲を縦横に走る水路に囲まれ、不思議がって眺める水には事欠かない環境だったので思う様首を傾げる日々だった。

ただ不思議がって眺め、時折水中を泳ぐハヤやカジカに気付いては、水の不思議など忘れてひとしきり網をふるい、一段落すればまた水を眺めていた。今にして思えば優雅な少年時代である。

水がその表面で光をどのように反射し、どのように屈折させるか、教科書の上で学びそれなりに納得出来るようになった今も、流れる水が雲を映し、映る雲が水面を流れて行くことの不思議さは変わらない。
これからも多分ずっと。


気づきませんでした  (2004.6.2[水])

なんだか蒸し暑い朝、出勤途中に手のひらにジトリと汗の感覚。気持ちが悪いのでポケットからハンカチを取り出して何度か手を拭く。

駅の長いエスカレーターに乗って、見るとはなしに前のスカートの女性を見ていると、女性もポケットからハンカチを取り出して、おでこのあたりを拭いている様子。
ん?、待てよ、今ハンカチを取り出したのは「スカートのポケット」。
スカートに、ポケットがあるの?

考えてみると、有っても不思議では無い。と言うか無いと考える方が不思議かもしれない。自分の穿いているズボンを見れば4つものポケットがある。ポケットの1つくらいスカートについていたっておかしくはない。

スカートを穿く機会はあまり無かったため、ポケットの存在に気づかなかった。スカートのポケットの存在のように、当たり前のことで気づかないで過ごしていたことって、意外に多いかもしれない。

5月末から6月頃に水辺や湿り気のある土地でドクダミの花が咲く。十文字に開いた白い花びらが、楚々として可憐な花だが、「ドクダミ」という名前の少々きつい語感と、摘み取ったときの臭気とからか、あまりその花の美しさは称揚されない気がする。
子どもの頃の記憶でも、道端のジメジメした場所に生える臭い草という印象ばかり。

ドクダミの花ドクダミは「毒矯」とか。生薬としては十薬の別名も持つ役立つ植物である。見れば花も濃藤色の縁取りをした葉もなかなか美しい。
きれいな花だなと気づいたのは、いい年になってから。ずっと昔からなじみの花なのに。

 「気づきませんでした」

ですね、本当に。
気づかないことって多いものですね。


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