かわうそ日記 ( 2004年07月 ) こよみのページ こよみのページ
嵐の兆し  (2004.7.29[木])

夕雲の色嵐が近づくある日の夕暮れ。雲に覆われた空の一角、夕日が沈む方角にだけ切れ間があった。
夕暮れの雲の色がビルのガラスに映っていた。

「ドキリッ」
と動きが止まる瞬間がある。
尋常一様でない何かに、目を奪われる。

いつもより早く夜へと向かう街のシルエットが、そこだけ明るく輝く空に浮かぶ。
光の明るさと、シルエットの暗さ、
無数の色に輝く雲と、薄墨色に沈む街、
光と色とのコントラストの妖しさに目を奪われた。
嵐が近づいていた。


なぜか快適  (2004.7.23[金])

今週はの東京は、過去の記録を塗り替える暑さが続いている。夏らしくなったと言えば夏らしくなった。熱中症で倒れる人もいて、大変な暑さなのだろうとは思うのだが、なぜか私はそんなに暑いとは感じていない。

 「冷房が効いた部屋にいるから」

というような、反則業的落ちのある話ではない。本当に暑くないのだ。
7月の初め頃は、暑さでぐったりしたものだが、早々になれてしまったのか、身体のセンサーがいかれたのか。

芙蓉東京39.5℃、千葉では40.2℃を記録した火曜日の昼下がり、東京の街中を歩いていたときも、日射しは強いけれど街路樹の作る陰にはいると涼しい。夏はこれくらいがいいなと暢気に思っていたのである。
家に帰ってニュース番組で昼間の気温を知ってびっくりし、翌日からは注意して自分の「体感」をチェックしていたが、それでもやはり「結構涼しい」と思える。

自宅のエアコンは今のところ、たまにドライ運転しているだけで、冷房としては活動していない(去年は結局一度も冷房を使わなかった)。
もしかすると、ちょっと異常かな?

自分の身体は異常かもしれないが、今朝見かけた花は正常。
夏の花、芙蓉。既に高く昇った太陽の光を浴びて嬉しそうに咲いていた。
夏の花は綺麗だし、程々涼しく感じるなら東京の夏も快適。佳い季節になったとしておこう。


トラトンへの道  (2004.7.15[木])

かめ 2004/07/01我が家にかめが来てからそろそろ2ヶ月。
この間、沢山食べて沢山排泄して沢山暴れて大きくなった。
特に、連れてきたときにはうーんとチビだった「タツノリ」の方は倍くらいになった気がする。
近頃は現在の水槽では大分窮屈そうである。もう少し大きい水槽を探してやらねば。

少し前に、以前から気になっていた「フューチャー イズ ワイルド」という本を買った。
サブタイトルに”驚異の進化を遂げた2億年後の生命世界”とあるとおり、人類絶滅後の地球の500万年後,1億年後,2億年後の環境を予測し、そこに適応するように進化した様々な生物の姿を予想した本である。
荒唐無稽というのではなく、科学者が真面目に遊んだなと言う感触の本。

その本が描いた1億年後の世界には熱帯のベンガル低湿地帯に住む、地球史上最大の陸生動物となった亀が登場する。名前はトラトン。
体高7m、体重120t。あんまり大きいので彼らを捕食する天敵もいない無敵の草食獣という設定である。天敵がいないので、甲羅は現在の亀のように敵から身を守ると言う目的が消え、その重量から内蔵を守るための外骨格としての働きのために部分的に残っているのみ。

その想像図は、ちょっと見た目は間抜けな印象も受けるが、120tもの体重の亀がのっしのっしと歩いている姿を実見出来たとしたら、さぞ壮観なことだろう。

現在は、縦35cm×横20cm×深さ20cmのこぢんまりした水槽内を、のし歩いているに過ぎない彼らだが、もしかしたら地球史上最大の陸生動物トラトンのご先祖様になるのかもしれないと想像するとなんだか愉快である。

今朝も沢山のエサを食べていた彼ら。身体の大きさも未来の子孫、トラトンに少しだけ近づいているはずだ。


晴れる  (2004.7.13[火])

夏の雲駅から外へ出ると、既に暑い一日が始まっていた。
梅雨明け宣言はまだのようだが、外は既に夏である。
夜余りよく眠れないためか、ボーっとしたまま歩いていたが、ビルの間に見える雲の白さに目が覚めた。
嫌なことがあって、二三日気が塞いでいたが、目が覚めたと同時に塞いだ気持ちも一気に晴れた。

雲を見上げて晴れるような思いなんて何でもないじゃないかと思えて、おかしくなった。
何でもないことにとらわれて、いつも空に浮かんでいる雲にさえ目が向かなかっただけか。

気が晴れて、目が覚めて、外の暑さがただの暑さじゃなく、夏らしい暑さと思えるようになる。
雲を見上げる前と後、その一瞬で周りの世界がちがう。
歩き出す道の先に、何か楽しいことが有るような気が、急にしてきた。


七夕  (2004.7.7[水])

今日は七月七日。
新暦の日付で言えば七夕。

現在の東京の空はぼんやりとして、曇っているのか晴れているのか判然としない空模様。足下に出来る影もぼやけた輪郭。
ぼんやりした日射しなのに、気温ばかりはぐんぐんあがって摂氏34度。
風のない外へ一歩でればまとわりつくような不快な暑さ。
出来ることなら今夜は、すっきりと晴れて涼風が吹いてくれればと、天上の織り姫と彦星のため、そして地上の私たちのためにも祈ることにする。

不快と言えば、もう一つ不快な話。
またも、解説記事の盗用が有った。それも一つや二つではなく、五節句について書いた記事全て(つまり五つ)。
サイトを訪れた方から、「ほとんど同じ記事が掲載されているサイトがある」と教えていただのでわかったのだが、呆れるほど「忠実に」コピーしてくれている。お陰で「盗用の疑い」ではなく、「盗用」と断定しても問題なさそうだ。
その上さらに、記事の中で使用している画像まで勝手に使われている。
盗用したことを隠そうともしていないのは、罪の意識が無いのか、どうせわからないと思ってのことなのか。

解説記事をコピー(「引用」ではない。引用ならOK)されて、そのまま使われたことは何度か有るけれども、今回の事例はあまりにひどい。その上、そのサイトが個人のサイトではなく、会社のサイトだというのだから呆れる。

サイトポリシーでも、この日記や掲示板でも何度か書いたことだが、きちんとした引用や、転載の許可を求められたものに関しては、無下に断るようなことはしない。
記事の一つ一つはそれなりの時間をかけて書いたものだし、使用した画像も自分で映すか、使用許諾を得て使っているものである。コピーをする事が簡単で有れば有るほど、安易なコピーをしないという倫理的な歯止めを、それぞれに持ちたいと思う。

合歓の木合歓の花が盛りのこの季節、七夕の夜に織り姫と彦星は一年二人を隔てた天の川を渡ることができる。
簡単には会えないからこそ、一年一度の出会いの喜びは大きい。
簡単に出来ないからこその喜びもある。
今夜は、眠たさを「ネムノキ」に載せて川に流し、夜空の星を眺めてみようか。不快なことはさっさと忘れて。

写真は六月に和歌山へ帰った折に撮した、合歓の花。
現在七夕の節句の記事に使っている合歓の花は、少々みすぼらしいので、今回の騒ぎが収まったらこの写真に替えようと思っている。


天使  (2004.7.1[木])

 天使が舞い降りる

夜一人仕事をしているときに、集中力が増して異常なほど作業がはかどることがある。こういった状態になることを天使が舞い降りると言うのだそうだ。時間時間帯としては深夜。
そして一昨日の夜、天使は私にも舞い降りた。

あるプログラムを書いている時に天使はやってきた。
時間は午前1時を回った頃。
もう少しだけやって寝ようかと思っている頃に、なぜか調子が出てきてしまった。
それまで少しぼんやりしていた頭の中が、磨き上げられてピカピカになったようである。目の前にしているソースコードだけでなく、関連するいくつものルーチンの隅々まで見える気がする。トンネルを脱していきなり視界が広がった様な感じだ。

天使のお陰で快調に進む作業が一段落しようやく疲れを感じはじめる頃、時計は6時を指していた。舞い降りた天使に欠点があるとすれば、時計をもっていないことがそれだろう。
天使が降りてきてくれるのは良いが、毎日だったらこっちの身が持たない。
お陰で、昨日は徹夜のまま出勤することとなった。

眠くならないかと心配しながら出勤したが、仕事は仕事でまた忙しく、眠気を感じる間もなく(全然無かったとは言えないが)、帰宅すると時間は既に午後11時。
眠いような気もするが、まだやりたいこともある。さてどうしようか思っているところで、停電した。
電子レンジのスイッチを入れた途端に、停電した。窓から街灯がともっているのは見えるので、家だけらしい。懐中電灯を探して玄関の配電盤を見ると、ブレーカーはそのままで、フューズがとんでしまったらしい。

フューズがとぶなんて近頃では珍しい。もちろんフューズの替えはない。コンビニエンスストアにフューズがあるかなと考えたが、あんまりありそうにも思えない。

櫟の葉の上の陽今日はおとなしく寝よう。
暖めるはずだったウーロン茶を電子レンジから取り出してのみながら、そう考えたのは最後に起きてから41時間目のことだった。

 そろそろ寝た方が良いんじゃない?

そう言いながら、前夜舞い降りた天使がアフターサービスでヒューズをとばてくれたのかもしれない。
そんなことを眠りにつく前に考えていた。

追伸.今日は、ヒューズを買って帰らないと。
二伸.話題と写真に関連がありません。悪しからず。


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