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 【五十にして四十九年の非を知る】
 (ごじゅうにして しじゅうくねんの ひをしる)

 五十歳になってみて、それまでの四十九年間の人生の過ちの多さを知るとい
 うこと。また、その過ちの多さを知って反省するということを意味する。
 《遽白玉(きょはくぎょく)、行年五十にして四十九年の非を知り、
  六十にして六十化す》  出典『淮南子(えなんじ)』

  ※「遽」と書きましたが、正しくは草冠がつきます。フォントがないので
   この文字で代わりとさせて頂きます。

 遽白玉は、孔子と同時代の名大夫。
 その遽白玉は、幾つになっても自分自身の行いを省みて身を正し続けた人物
 だと言われます。それは当時としては晩年と言える五十歳になっても六十歳
 となっても止まず、老年となっても過去の非を改めて、新しい自分へと変え
 続けた(化す)という意味です。

 ある時、遽白玉が孔子に使いを送ってきました。
 要件がすんでから、孔子がその使いの者に、「近頃ご主人のご様子はいかが
 か」と尋ねたところ、

  主人は、自分の誤りを正そうと努力なさっていますが、未だ十分にはそ
  れが出来てはおらないご様子です。

 と答えたそうです。孔子は「ご主人はお元気か」程度の軽い意味で尋ねたの
 でしょうが、使者の回答は孔子の予想とは違ったものでした。

 しかしこの答えを聞いた孔子は、答えた使者に感嘆し、さらに使いの者一人
 一人にまで行き届いた教育している遽白玉に感嘆したそうです。

 だんだんと当時の遽白玉の年齢に近づいてきて、遽白玉のこうした話の数々
 を思い出し、我が身と引き比べると胸が痛んでしまいます。嗚呼。


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