日刊☆こよみのページ スクラップブック
(PV , since 2008/7/8)
【淡交】(たんこう)
淡泊な交際。わだかまりがなくあっさりとした君子のまじわり。
「君子之交淡如水、小人之交甘如醴」『荘子 山木』 《広辞苑》
君子の交わりは淡きこと水の如く、
小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如し
「醴」は甘酒のようなもの。甘くてベタベタしている。
立派な人物の交際は、水のように淡泊であり、つまらない人間の交際は、甘
酒のようにべたべたしている。
中学生の頃、学校で学習プリントというものが配られました。今では珍しく
もない業者のつくる学習ドリルのようなもので、一日一枚ペースで配られた
と記憶します。
このプリントを綴じるファイルには表紙に沢山の箴言・格言が印刷されてい
ました。配られるプリントにはあまり興味が有りませんでしたが、このファ
イルに印刷された箴言を読むのが好きで、毎月新しいファイルが配られると、
プリントの問題そっちのけでこれを読んでいました。その中の一つに、
順境にあっては招かれたときにのみ現れ、
逆境にあっては、招かずとも現れる者を、真の友という
といった言葉がありました。
誰の言葉だったのか覚えていませんでしたし、なんと言っても30年以上も前
の記憶なので、言葉自体も正確かどうか判りませんが、内容はこうしたもの
でした。「淡交」という言葉は、こうした関係を表わす言葉だと思います。
こうした言葉に影響を受けたわけかどうかは判りませんが、「友達だからど
こに行くのも一緒」という付き合いは苦手です。それぞれの人間を線だとす
れば、線と線とが交わる一点があります。たった一点でも交わった点では、
一体となった喜びがあり、これが人との交わる楽しみだと思います。
一点での交わりが楽しいからといって、無理に交わる点を増やそうとすれば、
それぞれの「線」を歪めなければなりません。それはお互いを損なう関係の
ように思えます。普段はただ目礼を交わすだけの間柄あっても、二人は真の
友なのかもしれません。
その表面の行動を見ただけでは交わりの深さは測れません。
日刊☆こよみのページ スクラップブック