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■干支(かんし・えと)の話 ・・・ その5
 さあ、干支の話最後の日は「丙戌年十月乙卯」の暦のこぼれ話です。
 本日は暦の上で特別な意味を持つ干支の組み合わせについてです。
 特に今なおはびこる困った迷信、丙午(ひのえうま)を取り上げてみます。

◇丙午(ひのえうま・へいご)
 現在でも「丙午」の年の生まれの女性はやや少ないのだとか。
 丙午は天干地支ともに「火の兄」であることから、この年生まれの人は勢い
 ・気性が大変激しく、これが女性の場合結婚相手に災難を及ぼすという、迷
 信が未だにはびこっているためのようです。

 丙午生まれには男も女も有るはずですが、あまり「丙午の男」は話題になり
 ません。また丙午の女性が敬遠される風潮は江戸時代中頃からといわれてい
 ますので、これはどうやら大当たりした井原西鶴の好色五人女の「八百屋お
 七」の話が広まった結果が影響しているようです。

 お七が火事の避難場所の寺で会った吉三郎の再び会いたいばかりに放火まで
 してしまい、その咎で火あぶりとなったというのが話の筋。
 お白州での取り調べで歳をたずねられたお七が「丙午生まれの十六」と言っ
 たとか(当時の十六は数え年)。

 物語としてはお七が十五か十六かは重要(十五までなら、死罪の適用を免れ
 ることが出来た)なので、「丙午生まれの十六」という言葉はことさらに印
 象に残ったものと思われます。
 処刑は天和 3年(1683年)のことでした。

 この話が有名になった結果、「丙午の女は恐ろしい」ということになってし
 まったのではないでしょうか。だとしたら、西鶴さんも罪作りなことで。

 ただこの話、よく考えるとちょっとおかしい。お七が亡くなった年は天和 3
 年で、数え年で16歳ですから、生まれた年は

  1683(天和 3年) - 15 = 1668年(寛文 8年)・・・戊申

 あれ? 計算が合いません。丙午ならその 2年前の1666年に生まれていない
 と。サバ読んだわけじゃ無いでしょうし。西鶴さんの計算違い?

 本日は干支にまつわる有名な話をしましたがいかがでしたか?
 丙午が恐れられている割にその理由は「大したものではない」ですね。
 多くの暦注はこんな風に解ってしまえばなんと言うこともないものばかり。

 丙午生まれ(最近だと昭和41年)を気にする人が身近にいたら、「たいした
 ことのない理由」を説明して上げてくださいね。

 干支の話は4回も続きましたのでこのたびはひとまずこれまで。
 生まれ年(十二支)の話や、丙午以外の特別な干支の年の話などまだまだ沢
 山有りますが、連続すると疲れるので(書く方も、読む方も)、それはまた
 日を改めて。

 ではまた次回をお楽しみに。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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