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■明治への改元
 今日は何の日データによれば本日は孝明天皇が崩御なさった日。
 いよいよ江戸時代が終わります。
 孝明天皇の崩御は、

   慶応二年十二月二十五日

 現在の感覚からすると慶応二年に崩御とは、在位わずかに 2年かと言うこと
 になりそうですが、そんなことはありません。
 一世一元というように、一人の天皇の在位期間に年号は一つというようにな
 ったのは明治以後のことであって、それ以前は在位期間中ころころと何度も
 改元なさった天皇の例が沢山あります。

 孝明天皇も随分改元しており、

  嘉永(かえい)
  安政(あんせい)
  万延(まんえん)
  文久(ぶんきゅう)
  元治(げんじ)
  慶応(けいおう)

 と 6つの元号を作りました。
 孝明天皇の生涯はAD1831〜1866。内在位期間はAD1846〜66年。在位期間20年
 に対して 6つの元号ですから平均すれば一つの元号で 3年とちょっと。
 慶応も 2年で終わりというのも仕方ないですね・・・。

  『ちょっとまった!!!』

 日本史の時間には確か、「慶応三年」の出来事をいくつか倣った記憶が。
 どれどれ、

  大政奉還・・・慶応三年十月十四日

 あやっぱり。
 どうなってるんだ?
 実は、天皇崩御と改元との関係にはいろいろなパターンがあって、

  こうなったらこうやって、改元する

 という明確な規定はありませんでした。そのため結構「まちまち」になって
 しまっています。
 多くは、前天皇が崩御後、次の天皇が即位したした日に改元となるパターン
 のようですが、天皇崩御と次の天皇の即位には結構なタイムラグがあるのが
 普通。

 孝明天皇崩御後、明治天皇が即位の礼を執り行うまでも実に1年以上もの間
 を置いた、慶応四年八月二十七日。そして、改元の発表はそれから少しあい
 た同年九月八日。慶応三年どころか、慶応四年という時代もあったわけです。

 もっとも、天皇の実質的な即位は即位の礼が行われる以前に既に行われてお
 り、こちらは「践祚(せんそ)」と呼ばれます。
 明治天皇の践祚は慶応三年正月九日のことでした。

  慶応二年十二月二十五日 孝明天皇崩御
   〃三年 正月  九日 明治天皇践祚
   〃四年 八月二十七日 明治天皇即位の礼
   〃   九月  八日 明治へ改元

 と、それぞれ微妙にずれた時期に行われています。
 既に述べた通り、こうした手順も天皇の第毎に必ずしも同じものではありま
 せんでしたので、天皇崩御則改元と短絡すると事実と異なる結果になります
 のでご注意を。

 明治改元後は、「一世一元」としたため天皇の在位期間と年号の期間の混乱
 は無くなりました(1日単位ではまだ違いがありますが)。
 更に現在では、「元号」は法律で定められた手続きに従って変更されるので
 そうした意味では曖昧さは無くなっています。

 こうして、長らく「江戸時代」と呼び習わされた時代から、明治の御代へと
 変わっていきました。

 改元の時期の「まちまち」の件に関しては、どこかでまた一つ記事を書いて
 みたいと思っていますが、本日はひとまずここまで。
 ではまた次回。


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