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■復活祭の二つの日付
 本日は土曜日、明日の日曜日(2007/4/8)はキリスト教教会の復活祭(イース
 ター)の日です。

 現在普通に新暦と呼ばれている暦は、グレゴリウス暦(または、グレゴリオ
 暦)に則った暦です。この暦の名前となっている「グレゴリウス」とは、16
 世紀のローマ教皇、グレゴリウス十三世の名です。グレゴリウス暦は1582年
 の途中から、それまで使用されていたユリウス暦に替わって使用されるよう
 に暦です。

 暦にローマ教皇の名が冠されるのは、ユリウス暦からの改暦を命じたのが、
 この教皇であったからです。
 でもなぜ、「暦」の修正にローマ教皇が関係しているかでしょうか?

 それは、キリスト教教会にとってもっとも大切な行事である復活祭の日付と
 暦が密接に関係しているためです。


◇復活祭の二つの日付
 この復活祭の日付ですが、西方教会(カソリック、プロテスタント他)と東
 方正教会(ギリシャ正教、ロシア正教他)とでは異なった日付となることが
 有ります。異なった日付となる場合があると書きましたが現実には、異なる
 ことの方が多く、最近の 5年を見ると次のような日付となります。

  2005年 西: 3/27  東: 5/01 (J 4/18)
  2006年 西: 4/16  東: 4/23 (J 4/10)
  2007年 西: 4/08  東: 4/08 (J 3/26)
  2008年 西: 3/23  東: 4/27 (J 4/14)
  2009年 西: 4/12  東: 4/19 (J 4/06)

 ()内の日付は、この日に対応するユリウス暦の日付です(東方正教会はユリ
 ウス暦の日付で復活祭を計算するため)。

 今年はどちらの教会の計算方式でも 4/8と同じ日付となりますが、この 5年
 間では、一致するのは唯一今年だけです。多くの年には西方教会と、東方正
 教会の異なる復活祭があると言うことになります。

◇暦と復活祭の日付
 復活祭とは、イエスが十字架にかかった三日後にキリストとなって復活した
 ことを記念したキリスト教の最重要祝日です。

 キリスト教には様々な祝日があり、キリスト教圏の国々ではこの祝日を記録
 した教会暦に沿って長い間一年を過ごしてきました。その教会暦において、
 もっとも大切な祝日が復活祭で、他の多くの祝日は復活祭の日付との関係で
 決められていました。

 ところが困ったことにこの復活祭の日付は毎年一定では有りません。どのよ
 うに決まっているかというと、およそ次の通り

   復活祭は、「春分の日」以後の満月の日の後の最初の日曜日

 実際の計算にはもう少し細かな規則を考慮しないといけないのですが、基本
 は上に書いた規則です。

 なぜこんな規則が生まれたかといえば、それは聖書に記されたキリスト復活
 の日です。聖書によればイエスは、過越しの祭礼の時期にエルサレムに入城
 し、間もなく捕らえられて十字架にかけられます。この日付が有名な、

   十三日の金曜日

 です。そして復活の日はこの日から数えて三日目(つまり日曜日)。
 これが復活祭の日付を決定する元になります。

 過越の祭礼は、ユダヤ教の過越節(すぎこしのせつ)。過越節はユダヤ暦の
 「ニサン(Nisan) の月十五日」に行われます。ニサンの月はグレゴリウス暦
 やその前身であるユリウス暦の三月に相当する月です。

 ところでここに問題があり有ります。それは、ユダヤ暦は太陰太陽暦で、太
 陽暦であるグレゴリウス暦やユリウス暦とは、年ごとに月の関係が変化して
 しまうこと。更に、どの月がニサンの月になるのか、その月の始まりはいつ
 かといったことは最終的にはユダヤ人会議がこれを決定することです。

 もし聖書の記述の通り、ユダヤ暦から復活祭の日付を求めるとすれば、自分
 たちの信仰するキリストの復活の日(いわば、神様の誕生日)が異教徒が決
 める暦によって左右されることになるわけです。

 キリスト教教会としては、これはどうしても受け入れがたい事柄です。
 そのため、ユダヤ暦によらずに独自に復活祭の日付を求める方法をいろいろ
 と研究することになりました。


 さて、その研究結果、どのように計算するようになって、そして、二つの復
 活祭の日付が出来るようになってしまったのか。
 この肝心な話は、また明日。復活祭の日の朝のメールマガジンに続きます。
 ではまた明日。


  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
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