こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
■四月朔日さん
 本日の旧暦での日付は四月三日。
 本当は四月一日(朔日)書こうと思っていた話の種をうっかり置き忘れてし
 まっていました。申し訳ないですが、本日は

  旧暦四月一日 (一昨日。5/17)

 のつもりでお読み下さい。


◇「四月朔日」という名字
 暦の日付が名字となっている例がいくつかあります。
 その中でももっともよく(?)知られた例が、

  四月朔日 (または、四月一日)

 という名字です。クイズなどで出題されることも多い「難読姓」ですが、お
 読みになれますか?
 この名字の読みは「わたぬき」。
 これが読めれば、クイズでは一問正解ということですね。


◇なぜ「わたぬき」なのか?
 四月朔日と書いて普通はどう考えても「わたぬき」とは読めません。この読
 みは「四月朔日」という日付になれば誰でも、ああこれをしなくてはと思い
 浮かぶ年中行事に由来するのです。

 この年中行事とは衣替えです。
 旧暦の時代には、衣替えの時期は四月一日と、十月一日。
 宮中では季節にあわせて服装や調度品を取り替えます。四月一日はそうした
 節目の日で、冬の支度から夏の支度へと切り替える日でした。

 現在は「衣替え」というと服そのものが替わるわけですが、和装の時代の衣
 替えは同じ服を仕立て直すことによって行われていました。和服においては、
 日常使いの着物は何度も何度も仕立て直して使うのがごく当たり前だったよ
 うです。

 さてここで「わたぬき」という言葉ですが、これは着物の表地と裏地の間に
 保温のために入れる綿を抜いて冬装束を夏の装束に替える作業から生まれま
 した。「わたぬき」は「綿抜き」なのです。


◇衣替えは年二回?
 なるほどなるほど、四月朔日には綿を抜き、十月朔日には逆に綿を入れて冬
 と夏の服を替えていたというわけか。納得。

 と納得したところで、では服は冬服と夏服だけなのということになりますが、
 それではあまりに大雑把。もう少し細かな調整をしないと辛いです。実際に
 も、もっとこまかく行われているようです。ではそうした細かな衣替えも考
 えると衣替えの日は、

  四月 一日 ・・・ 綿入れから、綿を抜いた袷(あわせ)へ
  五月 五日 ・・・ 袷から帷子(裏地のない単衣の衣)
  八月十五日 ・・・ 帷子から生絹(すずし。生糸製の練っていない織物)
  九月 一日 ・・・ 生絹から袷へ
  九月 九日 ・・・ 袷から綿入れへ
  十月 一日 ・・・ 綿入れ(練絹の綿入れ)へ

 となっています。
 もっとも、これが全部きちんと行われていたかといえば、宮中や将軍家とい
 ったところでは行っていたかもしれませんが、庶民はそこまでこまかくは出
 来ない(練絹なんて贅沢なものには手が出なかったでしょうしね)ので、当
 然省略もされていたと思います。

 衣替えの日とは言え、年ごとに大分寒暑の具合は違います(ことに旧暦の暦
 日は、同じ日付であっても年ごとに微妙に季節が変化してしまいますから)
 から、冬装束から夏の装束に替えた日が寒かった何ていうこともあるでしょ
 うが、決まったときにきっちり決まったことをすることが粋だと考えた江戸
 の人々は、やせ我慢してでも衣替えをしていたようです。


◇「衣替え」と「更衣」
 「ころもがえ」は本来は「更衣」と書いていました。
 今でも、更衣と書く方が何となくしっくり来る気もするのですが、現在は専
 ら「衣替え」と書かれるようです。

 「更衣」が使われなくなった理由は、宮中の女官の官職に同じ文字があるか
 ら混同を避けるためだと言われます。官職としての「更衣」は「こうい」。
 この官職名は、天皇の衣を替えることを司ったからついた名だといいますか
 ら、「衣替え」でも間違いはないですが。
 源氏物語でも桐壺更衣などとしてこの「更衣」が登場しますね。


 今年は旧暦の日付は大分遅れていますから、旧暦四月一日(新暦5/17)は衣
 替えにはちょうどよい頃だったかもしれません。現在は衣替えといえば、六
 月一日と、十月一日が一般的のようです。

 ちなみに、私の現在の職場は「制服」があって、冬服から夏服への衣替えが
 行われます。日付はというとなぜか、5/10。
 そういうわけで、現在既に夏服の時期。まだ大分寒いんですけど・・・。


  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック