日刊☆こよみのページ スクラップブック
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■炬燵開きの日
このメルマガの「今日と明日の日干支と主な暦注」を見てみると今日の日の
干支は、
日干支 辛亥 [かのとのい]
となっていました。つまり「亥の日」。旧暦の日付は十月四日なっていまし
たから、今日の亥の日は十月に入って最初の亥の日と言うことになります。
◇十月亥の日は、冬の始まり?
十月は月の干支でも「亥の月」。つまり十月亥の日と言うのは亥の月亥の日
と言うことです。月と日の干支が同じになる日というと思い出すのは端午の
節供。現在は五月五日に固定されていますが元々は、五月最初の「午の日」
が端午の節供でした(「端」は端っこ、最初という意味)。
正月は「寅月」ですから、寅卯辰巳午・・・と数えてくると五月は「午の月」
だと言うことが分かります。つまり端午の節供は本来午の月の午の日だった
のです。
この「午月午日」の端午と「亥月亥日」は稲作の始め(田植え)と終わり
(刈りあげ)に対応すると考えられ、十月亥の日には「亥の子(いのこ)」
と呼ばれる収穫祝い、子孫繁栄、害獣抑えといった農業と関係の深い行事が
各地で行われていました(今は廃れてしまったようです)。
さて、一年の季節の巡りを農耕という面から捉えると、田植えが行われる端
午の日(旧暦の)が農作業が本格化する夏の始まりであるとすれば、収穫が
終わり田仕事が一段落する亥の子の日は冬の始まりと考えることが出来ます。
◇「亥」は火塞ぎの神?
冬と言えば火が恋しい季節。このメルマガで何度も訴えて(?)いるように
人一倍寒がりの私には殊にこの感が強い。ああ早く暖房を。
と言うことで、十月亥の日は暖房の始めの日ですという話になります。
昔、十月の亥の日は、宮中から下々に至るまで暖房の火入れの日で、炉開き
の日、炬燵開きの日となっていました。
昔の人は、「好きなときに好きなことをする」のではなくて、「決まったと
きに、決まったことを当たり前にする」ことが粋な行いであったようです。
ですから、「今年は寒いから早めに炬燵を出そう」などという、どこぞのか
わうそのようなことは言わず、この日まではじっと我慢。
そして待ちに待った、炬燵開きの日を迎えるというわけです。
さて、当時の恐いものといえば
地震、雷、火事、親爺
と相場が決まっておりました。地震と雷はまあ天災なので、恐いながらも何
とも出来ません。親爺は・・・ひとまず置くとするとあと恐いのは「火事」。
木と紙でで出来ている日本家屋では「火」は恐い。かといって冬は火無しで
はこれまた辛い。火は使いたいけど火が恐いので、火を使い始める火には、
ひを塞ぐ(コントロールする)力のある日にしようと考えたのが、亥月亥日
だったようです。
五行説で十二支を見ると、
寅卯:木 巳午:火 丑辰未戌:土 申酉:金 子亥:水
となります。亥は子と一緒に「水」の性質の干支となります。水と言えば言
わずとしれた火の天敵。火をコントロールして、火の暴走を食い止める力を
水に求め、暖房の始めの日として、亥月亥日が呪術的なその力を期待されて
選ばれたのではないでしょうか(子の月は真冬。そこまで待つのは辛すぎま
す)。
十月亥の日には、この炬燵開き、炉開きの日(茶道でもこの日が新しい炉を
開く日だそうです)以外にもいろいろな意味や行事があるのですが、それは
またいつか書くために残しておいて、本日は暖房の始めの日と言うお話でし
た(これを書きながら気が付きました。今日の記念日に「炬燵開きの日」が
ないじゃないか! と。来年は直そう)。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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