日刊☆こよみのページ スクラップブック
(PV , since 2008/7/8)
■「松の内」と外
元日から、七日までを松の内と言います。
松は以前書いたとおり、新年に迎える年神の依り代。
この正月行事の期間は、家の中に年神様を迎え入れているわけですから、こ
の間は家自体が神聖な場所となります。
家の玄関などに飾り付ける正月飾りは、この神聖な場所と俗世間を区切るも
ので、神社などの聖所を示す注連縄(しめなわ)の形を変えたものなのです。
今日は 1/6。元日から続いた正月行事もそろそろ一段落となる頃です。
家自体が神聖な場所であった正月も、七日を以てその結界を解き、また日常
の生活の場へと戻ります。
◇七日正月と六日年越し
七日は七日正月(なぬかしょうがつ)と呼ばれることがあります。
七日が正月なら六日はというと、大晦日ということで、六日年取りとか、六
日年越しと呼ばれることが有ります。
七日の朝には、七草粥を食べて一年の無病息災を願いました。
この七草粥はその前日、六日の夜から七草囃子(ななくさばやし)を歌いな
がら準備するものだといわれました。
こうして七日の朝に七草粥を食べるという行事を最後として、ひとまず正月
行事は終了します。
七日の朝以降はこれと言った行事もなく、家は年神様の座所としての神聖な
場所から日常の生活空間へと戻って行きます。
つまり、松がとれるわけです。
◇繰り返される年越しの意味
これを書きながら思ったのですが、この六日夜から七日朝まで、則ち六日年
越しから七日正月までの行事は、大晦日から元日へ掛けての行事を二重写し
で写したもののように見えませんか?
なぜ、こんな二重の行事があるのか?
確たる根拠は見つから無かったのですが、これはもしかすると、神様と人間
のそれぞれの年取りを分けたものなのではないでしょうか?
大晦日から元日に掛けて、新しい力を運んで年神がやって来て、新年を迎え
ます。そして年神様は松の内の間、家々に宿り新しい生命力を人々にもたら
します。これがいわゆる、「お年玉」の本義。お年玉の玉は、「魂」「霊」
のこと(どちらも、「たま」と読む)。年神の霊力を分け与えられるので、
お年玉です。
ここで見られる年取りは、年神という神の年越しで、六日年取り、七日正月
は神の年越し行事であった神聖な松の内の期間を終えて、日常の時間、つま
り人間の時間へもどる、人間にとっての年取りとして用意されたものではな
いでしょうか。
神の年取りと人の年取りですから、当然七日正月等は、本来の正月より規模
は縮小されますが、内容的には似たものになっているのでは。
今のところ、最後の辺りの話はなんの根拠もない私の勝手な考えですが、な
んだかそう考えると、松の内から外へという区切りとしての七日正月、六日
年取りの意味が見えるような気がしています。
本当はどうなんでしょうかね・・・なんて考えながら、七日には七草粥を食
べてみようと思います。
またいつかどこかで、この結論が書けることを願いつつ。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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