日刊☆こよみのページ スクラップブック
(PV , since 2008/7/8)
■暦の上の季節の基準地はどこ?
今日は、日刊☆こよみのページの購読者、nanoさんからの質問から。
> いつも楽しく拝読しています。
> 暦の話で、"今日はxxの日です"と言うとき
> いつも疑問に思うのは、例えば啓蟄などの日は
> どこを基準にした自然現象なのかということです。
> 札幌と那覇とではその自然現象が発生する日は自ずと違うはずです。
> どこでしょう ?
ごもっともです。
札幌生まれの虫たちは、きっと那覇生まれの虫よりは寒さに強いのでしょう
けれど、だからといって啓蟄(2008年は 3/5でした)では寒さに強い札幌の
虫にとっても外に出るにはつらすぎる季節でしょう。
ああ、生まれ変わるなら北国の虫より南国の虫・・・。
と無駄話はここまで。
質問の中に「啓蟄」と二十四節気の言葉があったように、暦の上の日付を
「今日は××の日です」
という場合は、二十四節気やさらにそれを細分化した七十二候などが使われ
ることが多いですね。そして、「啓蟄とは冬の間、地中に隠れていた虫たち
が出てくる頃という意味です」なんて天気予報の時間にやられると、
へー、でそれってどこの地方の話?
と思うのは自然の成り行きですね。
◇中国生まれの二十四節気
日本の季節や風土によく合うという二十四節気ですから、きっと日本のどこ
かに、この基準となった地方があったに違いない・・・。
しかし、この日刊☆こよみのページでも何度か採り上げたように、この二十
四節気は日本のものではなく、元々は中国は黄河の中流域、殷王朝の都があ
った辺りの気候を反映したものです(現在の中華人民共和国山西省、太原市
のある辺りです)。
二十四節気は、殷の時代の頃に発明され、それがやがて海を越えて日本に渡
ってきたもので、これに含まれる言葉は当然その生まれ故郷である殷の都の
あった地方の気候を表したものなのです。
だから、「暦の上ではもう○○ですが・・・」と日本の天気予報で語られる
のは暦があっていないのではなくて、使っている場所がその暦に合っていな
いのだともいえるのです。大陸の真ん中で生まれた季節を表す言葉をそのま
ま日本で使っているわけですから、あわなくて当然?
◇中国生まれで、日本育ちの七十二候
二十四節気をさらに細分化した七十二候についても事情は同じようなものな
のですが、七十二候については二十四節気とちょっと違って、郷に入りては
郷に従えと日本風にだいぶ変化しています。
例えば今年の 3/25は、七十二候の一つ「桜始開(さくら はじめてひらく)」
という日ですが、中国から伝わった頃は、
雷乃発声 (かみなり すなわちこえをはっす)
という言葉でした。
七十二候には中国の伝説に発したと思われるような言葉や、日本ではぴんと
こない言葉や動植物が多かったため、日本の風土に合わせて入れ替えが行わ
れてきました。
こうした点は、中国生まれのままの二十四節気とは違う、中国生まれの日本
育ちと言ってもよいのでは。
◇二十四節気は符丁のようなもの?
二十四節気は、直接季節を表すと言うより一種の符丁のようなものと考える
とよいかもしれません。
日本の場合は「多少の違い」はあっても、まあ誤差の範囲に入らないでもあ
りませんが、同じように中国の暦の影響を受けたアジアの国々では、どう考
えても、その国の気候にあわない二十四節気の言葉が今も生きています。
ベトナムでは今でも「大雪」という言葉が使われているそうですが、ベトナ
ムの人々はどんな風に思いながらこの言葉を使っているのでしょうね?
雪なんて見たこともなくとも「符丁だ」と思えば不思議ではないのでしょう。
もっとも、「ベトナムの大雪」くらい不釣り合いな言葉になると、実際の季
節と暦の上の季節が合うの、合わないのという疑問も起こらないことでしょ
うけれど。中途半端に似ている日本だから、悩んじゃうんですね。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
日刊☆こよみのページ スクラップブック