日刊☆こよみのページ スクラップブック
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■八十八夜のお月様
立春から数えて八十八日目は、「八十八夜」としてしられる暦の雑節の一つ
です。雑節は主として日本で生まれた暦の上の季節点(季節の変化を示す目
印)で、八十八夜もその一つ。
昔から「八十八夜の別れ霜」のように霜が降りる時期の終わりの日であると
か、一番茶摘みの時期を示すなど、農作業の目安とされてきました(まさに、
季節点ですね)。
◇八十八夜の日取り
雑節の中には八十八夜や二百十日のように立春から数えて何日目とその日取
りを決めるものが有ります。
今から考えればこんな回りくどい事をしなくても「何月何日」と覚えればよ
さそうなものです。現に八十八夜は現在の暦でいえば5/1か5/2 (今年は5/1)
ですし、同じように二百十日も8/31か9/1(今年は8/31) 。
八十八夜ではなくて5/1 、二百十日ではなくて8/31でいいじゃないかと。
なぜ「何月何日」という表し方ではなく、立春から数えて何日目というちょ
っと判りにくい方法によって日取を決めた理由は、太陰太陽暦である旧暦で
は太陽の位置と強く結びつく季節点が毎年同じ(ほぼ同じ)月日にはならな
かったためです。これを補う方としてこの「立春から数えて××日目」とい
う方法が考えられのです。
この立春から数えて何日目という方法は、例えば桜の開花時期のようなもの
にまで、「立春から数えて五十四五日目」などと使っていた事から、旧暦使
用当時には広く普及していた方式のようです。
ちなみにこの起点となる「立春の日」というのは、太陽の位置と密接に関係
した二十四節気の一つですので、これを起点として日数を数える方式は、太
陽暦の考え方です。現在なら、八十八夜は5/2 頃と言えるのは、現在の暦が
太陽暦の一種であり、この立春からの日数を数える方式と考え方と同種のも
のだからなのです。
◇立春の月と八十八夜の月
では八十八夜と太陰暦(正しくは太陰太陽暦)の旧暦の日付との間には何ら
の関係がないかというと、そうでもありません。その理由はこうです。
月の満ち欠けの周期(朔望周期)の平均は 29.53日、29.53 日の 3倍は
29.53 × 3 ≒ 88.6 (日)
お、何と88と言う数字が現れるじゃないですか。
太陰太陽暦であった旧暦時代の暦ではその月の日数はこの朔望周期で決まり
ますから前述の事から考えると、立春と八十八夜は当時の暦でほぼ 3ヶ月ち
ょうど離れた日付となるはず。試しに去年〜来年の 3年分を調べてみると
2007年 立春 12/17 (新暦 2/4) 八十八夜 3/16 (新暦 5/2)
2008年 立春 12/28 (新暦 2/4) 八十八夜 3/26 (新暦 5/1)
2009年 立春 1/10 (新暦 2/4) 八十八夜 4/08 (新暦 5/2)
旧暦の日だけを見ると、立春は17,28,10で、対応する八十八夜は16,26, 8と
なり、それぞれの差は1か2。
更に、新月や満月との関係で見ると
2007年 立春(満月の 2日後) 八十八夜(満月の当日)
2008年 立春(新月の 4日前) 八十八夜(新月の 4日前)
2009年 立春(満月の 5日前) 八十八夜(満月の 7日前)
です。こうやって新月や満月との関係でみるよとよりはっきと、立春の日の
月と八十八夜の月の形はほぼ同じという事が出来ます。
ぴったりとならない理由は、29.53×3≒88.6 の「0.6」という端数と、八十
八夜の日付が「立春を 1日目として数えて88日目」という事によるもの(立
春の日が 0日ではない)での 1日。あわせて 1.6日の差が生まれてしまうか
らです。
まあこうした差がある事から、確証とまでは言えないのですが、「八十八夜」
という日が季節点として使われた裏に、太陰暦としての考えがいくらかはあ
ったのかもしれないという気もします。まだまだ、暦の謎は尽きません。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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