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■グレゴリオ暦の誕生日
今日は 10/15。グレゴリオ暦への改暦が行われ、この暦による最初の日付と
なったのは1582/10/15ですから、言うなれば本日はグレゴリウス暦の誕生日
のようなものです。ということで本日はこの話を。
◇ユリウス暦からグレゴリオ暦へ
グレゴリオ暦の前身はユリウス暦と呼ばれる暦でした。
ユリウス暦の特徴は、平年は 365日で四年に一度のうるう日が二月末に挿入
されることで 366日となるという、なじみのあるうるう日挿入方法です。
このユリウス暦はあのジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)が作ら
せた暦で、ローマ帝国の版図で使用されました。また暦そのものは解りやす
くて、またそこそこ正確な暦でしたから、当時のヨーロッパでは事実上の標
準暦となっていました。
グレゴリウス暦はこのユリウス暦の改良版です。
ユリウス暦の「四年に一度のうるう日」の挿入によって調整される一年の日
数は、ほんの少しだけ本当の一年の日数より余分でした。
余分とはいっても、その「余分」は 128年でようやく 1日分になるほどのも
のでしたから、100年や200年の間はどうってことの無い量ですが、ユリウス
が改暦してからおよそ1600年近くも使われ続けていたので、小さな差もつも
り積もって10日程の「余分」となってしまっていました。グレゴリオ暦への
改暦は、この10日の余分を取り去り、さらに年々の「余分」の量を小さくす
るための小修正でした。
「余分」の量を小さくする工夫は、四年に一度のうるう日挿入を、 400年の
の間に 3回だけ省略するというものでした。現在日本で使われている暦(新
暦)はグレゴリオ暦と同じものですので、1900年や2100年などは四年に一度
の周期にあたる年ですが、うるう年ではなく平年になります。
◇十日の余分をどうするか?
さて、うるう年挿入を 400年に 3回間引くことで、当面こうした一年の日数
の「余分や不足」はなくなりました(3000年経ったら悩みましょうという程
度には)。
この「将来のための修正」はさほどの問題とはなりませんでした。なんとい
っても1582年の改暦後、最初にこうした閏年の間引きが行われたのは改暦後
100年以上経った1700年なのですから、当面の悩みにはなりません。
問題は将来にではなく、過去との連続性でした。
当時既にユリウス暦の誤差の累積によって、10日の余分が生じていた訳です。
解りやすくいえば、暦の上での春分は3/21でしたが、本当の春分はその10日
前の3/11となってしまっていたというものです。
ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦ではこの「10日の余分」をどう扱った
かというと「余分な10日間を暦から削除」したのでした。具体的には暦の上
の日付は
1582/10/04 の翌日を 1582/10/15 とする
というものでした。10日間が削除されていますから1582年の暦の上の 1年の
日数は 355日となりました。
◇十日ずれていたユリウス暦で人々は困っていたか?
この改暦の話となると時々
暦と季節が10日もずれてしまって、人々が困った
といったことをいう人に出会うのですが、これは嘘です。
ある年急に10日ずれてしまったのであれば、暦の日付を目安に農作業などす
る人がいれば少々困ったことがあったかもしれませんが、この10日のずれは
1600年もかかってゆっくりと生まれたもの。人の一生が 100年だとしてもそ
の一生のうちでは 1日のずれも生まれません。
現在の私たちの生活を考えてみても、暦の上の春分の日が天文学的な春分と
何日か違っていたって、少なくとも「日常生活」に困ったことが起こるとは
思えません。それどころかおそらくそのずれに気付きさえしないでしょう。
この「10日のずれ」が大きな問題だったのは一般の人々の生活ではなくて、
キリスト教の祭礼の日付だったのです。
キリスト教の祭礼の中でももっとも重要な祭礼は「復活祭(イースター)」
です。この復活祭の日付は春分の日を基準として数え始めるルールがあるた
め、春分の日が正しくないと、復活祭の日付も正しくなくなってしまいます。
自分たちが信奉するキリストの復活を祝う祭礼の日が暦の不備によって正し
く行われないというのは、神に対する大変な冒涜であると考えた宗教関係者
(この場合はローマ法王)が、この暦の不備をただすために行ったのがグレ
ゴリオ暦への改暦でした。
グレゴリオ暦という名前自体が、この改暦を命じたローマ法王グレゴリウス
十三世の名から来ていることを見てもそれが解ります。
今の時代、「10/4の翌日を 10/15とする」何ていったら大変です。 10/10締
め切りの仕事はどうなる? 銀行の利子はどうやって計算する?
実際に1582年の改暦にもそうした問題は発生して大変だったようですが、そ
こは「神様のため」ですから教会の力によって何とか改暦はやり遂げられ、
現在に至っております。
ああ、改暦が為されたのが私の生きている時代でなくて本当によかった。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
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