日刊☆こよみのページ スクラップブック
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■雷声を収む
七十二候の46番目、秋分の初候は「雷声を収む(かみなり こえをおさむ)」
です。元々は「雷乃収声」と書きました。
夏には盛んに天に轟いた雷も秋が深まる頃にはその声を収め、姿を隠すとい
うことでしょう。
今年は9/23〜9/27がこの「雷声を収む」の期間となります。
今日はこの七十二候の言葉から思い浮かぶ話を幾つか書いてみます。
◇雷と稲妻
雷は「いかづち」と読みますが、これは恐ろしい神を意味する語だと考えら
れます。そうした神が引き起こす大音響が「神鳴り(かみなり)」です。
空を暗く覆う雲から、耳を聾する音を伴って天下り、大木ですらも一瞬で引
き裂く眩しい光、雷を恐ろしい神の姿と古代の人はとらえた、その神の存在
を感じさせる音が「神鳴り」でした。
「いかづち」はそうした恐ろしい自然を象徴する言葉でした。しかし恐ろし
い力をもった自然はその一方で、人々の生きるための糧を与える力ももちま
す。それを表す言葉に稲妻があります。
稲妻は稲の夫。稲はそれだけでは実をつけることが出来ず、稲妻があって始
めて実を結ぶと考えられたことからこのように呼ばれるようになったと言わ
れます。
稲妻が少ない夏は、稲の実りが悪い
そんな言い伝えもあるそうです。
稲が育ち、実りの季節が近づくと、恐ろしい雷が見られるようになりますが、
その雷は天のエネルギーを大地へと注ぎ込む神の姿で、天のエネルギーを注
がれた大地が、そのエネルギーを結実させたものが稲穂だと考えたのではな
いでしょうか。
人間の力の限界を超えた自然の力を一方では恐れ、一方では敬いながら生き
てきた我々の祖先の姿を雷と稲妻という言葉に見る気がします。
◇雷は龍、龍は水を司る神獣
古代の中国では、龍は春分の日に天に昇り、秋分の日には天から降って深い
淵に潜んで次の春を待つと考えられたそうです。
龍は雷光の曲がりくねった形を神獣の姿ととらえたものだと言われます。
してみると、秋分の日に龍が天から降りて淵に潜むとすれば雷もまた止むの
が当然。七十二候、秋分の初候が「雷声を収む」となったのはこうした考え
からだと考えられます。
そしてもう一つ考えられるのは、中国の気候です。
龍は水に関わりの強い神獣で、水を自在に操る能力が有ると考えられました。
ここで突然ですが、次に示した数値は中国太原市の月毎の降水量です。
一月: 3.0 二月: 6.1 三月: 10.7 四月: 23.3
五月: 39.7 六月: 54.5 七月:122.3 八月: 93.1
九月: 75.6 十月: 29.4 十一月: 12.6 十二月: 3.2
(月毎の降水量の1961-1990年の平均値、単位はmm。理科年表より)
水を司る神獣である龍が活動するのは、春分の日〜秋分の日と考えると、月
で言えば、四月〜九月。淵の底で冬眠(?)している期間は十月〜三月の期
間です。見比べて見るとどうでしょう?
龍が活動している期間と休んでいる期間とでは降水量が随分違います。
中国の太原市というと現在使われている二十四節気や七十二候がほぼ完成し
た時代、それを作った中華文明の中心地域、黄河中流域に現在ある都市です。
この降水量の変化を見ると、なるほど水を司る龍が春分の日に天に昇り、秋
分の日には淵に潜むと考えられた理由がよくわかります。
そして、秋分の日が「雷声を収む」日であることも。
日本では、秋分の日を過ぎても雨は多いですし、日本海側の地域では雷は夏
より冬の方が多いくらいですから、二十四節気や七十二候の内容と気候が合
わず首を捻ることが有りますが、七十二候等の生まれ故郷を考えれば、納得
出来ますね。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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