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■「昨日は10/4だった」10/15の話
西暦1582年の今日、10/15 はグレゴリオ暦が始まった日です。
この日の前日の日付は、1582/10/4 、つまり1582年の今日は
昨日が10/4だった、10/15
だったのです。
1582年の今日、ローマ教皇グレゴリウス十三世によって改暦された暦なので
教皇の名を取ってこの暦はグレゴリオ暦と呼ばれます。
現在私たちが使用している新暦は、このグレゴリオ暦を取り入れたものです
ので、私たちは1582年の今日に始まったグレゴリオ暦を使って生活している
と言えるでしょう。
グレゴリオ暦への改暦の最大の理由は1582年当時、暦の上の春分の日と実際
の太陽の運行から求めた春分の日が10日以上もずれてしまっていたという事
態を是正するためでした。
◇なぜ春分の日はずれた?
その原因はグレゴリオ暦の前に使われていたユリウス暦の一年の長さ(日数)
が太陽の刻む一年の長さより長かったことでした。
現在 4年に一度 2月の末に挿入される閏日(うるう日)は暦の上の一年の長
さと太陽が刻む一年の長さ(四季が一巡りする長さと言い換えることが出来
ます)を一致させるための一日です。
ここで書いた、「 4年に一度の閏日」というのは実はユリウス暦で定められ
た閏日の挿入の方法です。この方式では暦の上の一年の日数は平均して
(365 × 3 + 366) ÷ 4 = 365.25 日
となります。現在の天文学的一年の日数は365.2422日となっていますから、
ユリウス暦の一年はこれに比べて、
0.0078日も長い!
のです・・・って、一年で11分程のずれにすぎないのですが。
ただ、一年でわずか11分ほどとは言いながらこの少しの差も積もれば結構な
差となります。
ユリウス暦は1582年の段階で、ローマのカエサルが改暦して以来1600年も使
い続けられていましたので、暦の上の春分の日と実際の春分の日のずれは
0.0078 × 1600 ≒ 12.5日
にもなっていたのです。
◇春分の日が12日も違っては実生活に困る?
時々この改暦の話を書いたものの中に
「暦の上の春分の日と実際の春分の日が10日以上もずれてしまっては実生
活に支障があります」
というような説明を見かけることがあるのですが、これはどうも間違いのよ
うです。考えても見てください。去年の暦と今年の暦の間で同じ日付で季節
が10日変わったとしたら、それはちょっと困った問題になります。
「今年は去年より寒くなるのが早い気がするね」
なんていう会話を今頃ならすることになるかも知れません。
季節を強く意識して暮らさなければならない農家の人などは、もっと敏感に
この差を感じ取ることだと思います。
「こんなに実際の季節と差がある暦じゃ役に立たない」
と云うことになりそうです。
しかし、よく考えて頂きたい。1582年当時ユリウス暦が示す春分の日と実際
の太陽の観測から求められる春分の日が10日以上も異なっていたといっても、
この変化は「去年と今年」起こった問題ではないのです。1600年かけて少し
ずつ変化した結果であって、去年と今年で比べたらその変化の量はわずかに
0.0078日にしか過ぎないのです。
人間の一生が 100年だとして考えると、その人の一生の間で起こる暦と季節
のずれは0.78日。つまり長生きな人でもその一生で 1日のずれすら体験する
ことは無いのです。
もし、ここでお祖父さんから
「春の種まきの時期は、3/20頃じゃ」
と聞いて育った孫が種まきの時期に3/20を選んだとしても、多分全然問題あ
りません。この孫がやがてお祖父さんになった頃には、このお祖父さんの孫
には
「春の種まきの時期は、わしの祖父さんからは3/20頃と聞いたのじゃが、
わしは3/19頃の方がいいと思っておるのじゃ」
と語るくらいの差です(現実には、 1日の差でこんな会話は生まれないと思
いますが)。実は暦と実際の季節がずれていたと云っても、このずれはゆっ
くり、ゆっくりと広がったものであるため、現実の生活には大きな問題を生
み出すことは無かったのでした。
◇誰が困っていたのか?
では誰が困っていたのかというと、それは「教会が困っていた」のでした。
キリスト教教会は、毎年教会暦とか教会典礼暦とか呼ばれる暦に従って種
種の祭礼を行っていましたから、暦が異なるとその祭礼の予定が狂ってし
まいます。
特に困った問題は、そうした祭礼の中でももっとも重要な復活祭の日取りは
「春分の日」を基準に計算を始めることになっていたことです。
教会暦での「春分の日」は西暦 321年のニカエア公会議で
春分の日は 3/21とする
と決まっていたのですが、それが現実の春分の日と大きくずれてしまってい
たことが宗教関係者にとっては大問題だった訳です。その大問題を解決すべ
く一大決断をして改暦を行ったのが既述のローマ教皇グレゴリウス十三世だ
ったのです。
ちなみにこのときの改暦では10/4の翌日を10/15 として間の10日を省くこと
によって、それまで積もりに積もった暦と実際の太陽との一年の長さの差を
解消しています。この日数がユリウス暦が作られてから蓄積したずれの12日
ないしは13日で無かったのは、春分の日の位置をユリウス暦が出来た当時の
位置に戻すことが目的ではなくて、 321年にキリスト教教会間で行われたニ
カエア公会議当時の春分の日の位置に戻すためです。
なお、これ以後はそれまでの 4年に一度の閏日を 400年で97回の閏日に変え
ることで、暦の一年と太陽の一年の差を一年で、0.0003日にまで押さえるこ
とが出来るようになり、現在に至っています。
◇人々への影響
さて、宗教界の事情で行われたこの改暦でしたが中世のヨーロッパの人々は
もっぱら、日常の生活をこの教会の祭礼を目安として行っていた(聖○○様
の祭りが終われば麦の収穫を始める時期だといった案配です)ので、それこ
そ大変。
お祖父さんの代から「春の種まきは3/20頃」と教わってきた人がいれば、い
きなりこの年から
今年から春の種まきは3/30頃にする
と云うことになるわけですが、なかなかそう簡単に頭を切り換えることは出
来ません。あちこちで様々な混乱が生まれたそうです。無くなった10日間の
日付だけを考えても、「借りたお金は10/10 に返す」という証文があったと
して、さてこのお金はいつ返したらいいの? 10/15では延滞したことになる
のかなといった問題が発生することは簡単に想像出来ることですね。
とはいえ教会が決めて、これからはこの暦を使うと云われてしまうと「泣く
子と何とかには勝たれぬ」といった具合で、従わざるを得なかったわけです。
時折、「暦の正確さ」の議論からよりよい暦への改暦の話がなされることが
ありますが1582年の改暦の影響などを考えると計算された数字の上からの議
論では実際の改暦など不可能だと思えます。
なんと言っても、暦は私たちの生活とは切っても切れないものですから「計
算上春分の日が 1日ずれている」なんてことになっても、それを直すメリッ
トより、デメリットの方がずっとずっと大きくて、怖くて改暦など出来ませ
んよね。
それになりより現在改暦を考えたとしても、1582年当時の教会のように有無
を云わせないだけの力を持った後ろ盾は無いでしょうから。
以上、本日はグレゴリオ暦への改暦記念日にちなんだ、暦のこぼれ話でした。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
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