日刊☆こよみのページ スクラップブック
(PV , since 2008/7/8)
■晦日の月と進朔
随分以前(2006/10/18)ですが
暦と言葉 その1・・・【晦日の月】
として「晦日の月」という言葉について説明を書いたことがあります。
(2006/10/18の記事 http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlwa/200610180.htm )
その意味は、「有り得ないこと、馬鹿げたこと」です。
さすがに現在では「晦日の月」といってもピンと来ませんが、いわゆる旧暦
のような新月から新月の直前までの期間で暦月を決めていた太陰太陽暦が使
われていた時代であれば、暦月の終わりの日、つまり晦日には月を見ること
が出来ないというのが常識でしたから、「晦日の月」で有り得ないものとい
う意味が了解されたのです。
◇常識必ずしも真実に非ず
中国生まれの太陰太陽暦は、新月から始まって次の新月の直前の日で終わり
ます。暦月の最後は、29日乃至は30日のいずれかであったので、いつの頃か
らか「みそか=三十日」と呼ばれるようになりました。
晦日は「みそか」と読む以外に「つごもり」とも呼びます。
こちらの読みは月が見えないことから、月が籠もって出てこない日、つまり
「つきごもり」から出たものです。
この言葉からも、晦日は月が籠もって出てこない日と考えられていたことが
うかがえます。つまり晦日の月は有り得ないことは常識だったのです。
しかし、この常識は果たして真実でしょうか?
往々にして常識必ずしも真実ではないということがありますが、この晦日に
月が見えないという昔の「常識」もまた、真実ではありません。
◇晦日に月が見える?
新月の瞬間は日食でもないかぎり月を見ることは出来ません。新月の瞬間に
月が見えないのは事実ですが、これと「新月の日に月が見えない」というこ
とは同じではありません。
新月の日と言うのは、新月の瞬間を含む日です。例えば新月の瞬間が、 0時
01分であっても、23時59分であっても、これを含めばその日は新月の日とな
ります。
新月の瞬間からどれくらい時間が離れれば月が見えるでしょうか。二日離れ
れば見えます。これが三日月です。
注意してみると時々その一日前、二日月が見えることがあります。つまり新
月の次の日には見えることがあるわけです。
例えば、 0時01分に新月の瞬間を迎えたとすると新月の翌日の夕方は新月の
瞬間から約1.75日経過しているわけで、こういう好条件のときがあれば新月
の翌日でも月が見えることがあるのです。
これと同じく、新月の瞬間が新月の日の夕方〜夜の時間帯にあったと考える
と、その前日の明け方には、月は十分見える可能性があるわけです。もちろ
んこうした好条件に恵まれたとき以外は、大体晦日に月を見ることは出来ま
せんので、「晦日の月」が有り得ないものというちょっと事実と違う常識が
出来上がったと考えられます。
太陰太陽暦のの暦月の晦日に月が見えたって、暦が間違っているわけでも何
でもないのです。ですが、それが正しくはないとは言え、広く常識と考えら
れていること(晦日に月は見えないということ)と一致しないと、なんだか
その暦が間違っているのではないかと誤解されることがあったのでしょう。
その結果生まれたおかしな規則が「進朔(しんさく)」です。
◇進朔
既に書いたとおり、新月の瞬間が新月の日の夕方〜夜にあるような場合、新
月の前日である「晦日」の明け方に月が見えることがあります。
これが誤った常識に反するので、これを避けるため新月の瞬間が新月の日の
夕方以降に起こる場合、新月の日を本当の新月の日の翌日に進めてしまうと
のが進朔です。「朔」は新月の意味ですので、新月の日を進める→進朔と呼
ばれるわけです。
いつの時点以降に新月の瞬間を迎えたら進朔するか、その区切りとなる時刻
を「進朔限」と言います。
この進朔限がいつかというと、現在で言うところの18時(夕方の 6時)とい
うのが一般的です。日本で平安時代から江戸時代初期までの 800年以上の期
間使われていた宣明暦はこの決め方です。
進朔を取り入れることによって「晦日の月」を避けることが出来るようにな
りましたが、暦を作る立場から考えると晦日に月が出ようが出まいとどうで
もいいことで、気にする方がおかしいのですが、世の「常識」の前に進朔と
いう「暦の世界では非常識な規則」が生まれてしまったのでした。
なお、貞享二年(1685)に宣明暦から貞享暦に改暦されてからはこの進朔と
いう暦の世界での非常識な規則は無く成りましたので、進朔は今は昔の物語
りということになりました。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
日刊☆こよみのページ スクラップブック