日刊☆こよみのページ スクラップブック
(PV , since 2008/7/8)
■西向く士(ニシムク サムライ)
A氏「ええと、三月って小の月だっけ? 大の月だっけ?」
B氏「ニシムクサムライ小の月、三月は入ってないから大の月だね」
今日は如何にも作りましたと言わんばかりのA,B両氏の会話から始めてみ
ました。なぜ突然と思われるかも知れませんが、たいした意味はありません。
明日の暦データで、3/31という月末の数字を見て、ああ 3月も終わりかと思
ったことから、月の日数、月の大小の話を書こうと思い立っただけでござい
ます。
◇現在の月の大小
現在の暦では一年十二ヶ月には大の月 7回、小の月 5回があります。その
上この大小の月が交互に現れると言った規則性がありませんから、今回の話
のニシムクサムライ(西向く士)で小の月を覚えているという人は多いので
はないでしょうか。
多分知らない人はいないと思いますが、一応説明しておくと、
ニ(2)シ(4)ム(6)ク(9)サムライ(11)
とそれぞれ数字の月を表します。「ニシムク」まではすんなりわかると思い
ますが、この語のうまいところは十一月をサムライとひねったところですね。
なぜ十一月がサムライかといえば、
「十一」 → 「十」と「一」 → 「士」 → 「サムライ」
と文字の分解合成を行ったところです。
「ニシムクサムライ」で小の月が分かると知ってから、西の海に沈む夕日を
眺めるお侍の後ろ姿を何度想像したことか・・・。
◇小の月はいつも「西向く士」か?
日本の暦が太陽暦(グレゴリウス暦と言ったほうが明確?)に移行した明治
6年(1873年)以降は、ずっとこのままでした。 130年以上も前からずっとで
すので日本に現在生きている人は生まれたときから「西向く士小の月」だっ
たはずです。多分これからも改暦されるとは思えませんので、残りの人生も
西向く士と付き合って行くことになるはず。
今では、当たり前の小の月の覚え方であるこの「西向く士」ですが、旧暦時
代はこういうわけにはいきませんでした。
明治 5年まで日本で使われてきた太陰太陽暦は、現在では一まとめに「旧暦」
と呼ばれます。旧暦の中でも時代によって暦は微妙に異なりますが、本日は
あまり深入りせず、その暦月の日数だけを考えてみましょう。
旧暦の暦月の日数は、29ないしは30日の二種類だけ。現在の二月のように、
28日といったイレギュラーな日数はありませんでした。暦月の日数の点では
規則的な暦なのですが、ただその配列はと言うと、困ったことに年毎に変化
します。年毎に変化するので、毎年大の月、小の月を覚えなければならなか
ったのです。
「西向く士」一つで済む現在の暦とは大分様相が違っていたわけです。
◇昔も存在しました、「西向く士」
毎年月の大小の並びが変化するということは、ひょっとして昔も「西向く士」
がいたかもしれませんね。
ということで、江戸時代の暦をせっせと調べ、大小の月の並びを見てゆくと、
やっぱりいました「西向く士」が。それも一人じゃなくて三人も。
その三人のお侍様は、
一人目 慶安 四年(1651年)
二人目 寛政十三年(1801年)
三人目 天保 八年(1837年)
三人もいたとは・・・とはいいながら江戸時代約 270年の間に 3人ですから、
そんなに多いと言うほどではないでしょうか。
昔の暦は年が変わる前の十一月に入ると売り出される決まりでした。江戸の
人々は十一月になれば、来年の暦と睨めっこして、月の大小の並びをせっせ
と覚えねばならなかったのでしょうね。
当時の人にとっては「当たり前」だったかも知れませんが、毎年毎年大変で
したね。
「西向く士」一人覚えていれば済む現在は、随分楽でよかったよかった。
本日は、三月の末日が近づいたことから思い立った、月の大小の話でした。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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