日刊☆こよみのページ スクラップブック
(PV , since 2008/7/8)
■暦注の話・吉日と凶日の同居する日
毎日、「今日の暦」としてまともな(?)暦の情報とともに占いで使われる
十二直や二十八宿、六曜や下段と呼ばれる様々な暦注もお届けしている日刊
☆こよみのページです。
きっとこんなメールマガジンを発行しているかわうそって云う男(女)
は、毎日その日の吉凶を見て、今日は家を建ててはいけないとか、株を
買うなら明日だななどと考えているに違いない。
そんな楽しい想像をしている方がいらっしゃったら、ごめんなさい。そんな
ことは有りません。なぜなら、日毎に家を建てたり、株を買ったりする財力
がありませんので、したくても出来ないのです・・・なんて、財力が無いの
はそのとおりですけれど。
さて、与太話はこの辺まで。本題に入ります。
◇吉日と凶日が同居する日
「私は占い師ではありません。吉凶判断のお問い合わせはご遠慮ください」
とは、あちこちで云っている(正確には「書いている」ですが)のですが、
それでも時々そうした問い合わせが有ります。
そうした問い合わせの一つに、
同じ日なのに、吉日と凶日の暦注が有ります。
どちらを信じたらよいでしょうか。
というのがあります。
ちょうどよい例が明日の暦に有りますので見てみましょう。
・2011/06/19の暦
× 六曜:仏滅 大悪日.万用ゆべからず
× 十二直:閉 凶.金銭収納,墓作りは吉.造作,旅行凶
○ 二十八宿:房 大吉.婚礼,旅行,神事,造作大吉
− 二十七宿 虚 入学吉.造作,相談ごと大凶
− 一粒万倍日 慶事、事業開始、種まき等大吉.借金は大凶
○ 大明日 大吉日
○ 神吉日 神事に吉
× 十死日 天殺日ともいう.受死日に次ぐ凶日
− 重日 慶事ますます吉,凶事ますます凶
○は吉日、×は凶日、−はどちらともつかない日として判定してみました。
実際はなかなか単純には割り切れませんが、強いて分ければといったところ
ですが。この「強いて分けた」分け方で見ると明日は、
三勝 三敗 三引き分け
見事に吉凶が混ざっています。これじゃあ、どれを信じたらいいのかわから
ないという気持ちもわかりますね。
◇なぜ同じ日が吉日と凶日になってしまうのか?
同じ日がある暦注では吉日であり、別の暦注では凶日となるといった矛盾し
て見えることが起こる理由は、この吉凶が自然の法則のように厳然としたも
のが存在していてそれを発見したものではなく、人間が発明したルールだか
らです。
暦注の多くはその生まれをたどると陰陽五行説に行き着きます。
陰陽五行説は、木火土金水の 5種類の性質と陰陽の二つ性質の組合せて森羅
万象全てを説明してしまおうと云う、古代の科学仮説でした。今風にいえば、
「物理学の大統一理論」というところですが、如何せん古代のこと、発想が
単純すぎ、またその展開が強引すぎて、現実を説明することは出来ませんで
したので「科学」としては発展せず、いつしか「迷信」の世界に進んで、沢
山の暦注という名の子孫を残したのでした。
生みの親の陰陽五行説そのものが既に迷信の世界の住人ですから、その子孫
の暦注ももちろんどっぷり迷信の世界の住人。迷信の世界の住人の示す吉凶
について「正しいか否か」を真剣に考えても意味がありません。
◇計算方式が正しいからといって、吉凶判断が正しいわけじゃない
特定の占いの流派を信奉する方達は、
我が流派はかくかくしかじかの最新の科学的数値を使って計算した結果
なので、その吉凶判断は正確です
とおっしゃることがよくありますが、これはどうでしょう。
暦注の計算方式は大きく分けると月切暦方式、節切暦方式、不断方式の三通
りが基本となりますが、その中で更に細かなルールをそれぞれに作って計算
しています。細かなルールはそれぞれの暦注の考案者が考えるわけです。
さて、ここまでであれば、誰がルールを考えたかは別として一定の手順で求
めれば誰が計算しても同じ結果になります。計算に使われる数値や計算手順
が精密になればそれだけ、計算自体は正しいものとなるのでしょうが、問題
はその先、問題はその計算結果求められた日の吉凶をどうやって決めたのか
ということです。
なぜか、日付の計算方式などにはやたらとこだわる方々もその肝心の点にな
るといきなり、
ルール無用の世界
に飛び込んでしまいます。
たとえばこんな例を考えて見てください。
「今日の最高気温は30℃と予想されます」
さてこの情報をどう判断するか。
すごく寒がりな私なら「ああ、今日は暖かくていい日だ」と思うでしょうけ
れど、暑がりな人なら「今日は、暑くて辛い日になりそうだ」と考えること
になるのでは。
同じ最高気温30℃という情報(これ自体は科学的な裏付けのある情報)でも、
それを好ましいものと捉えるのか、好ましくないものと捉えるのかはそれぞ
れの主観、価値判断で決まってしまいます。
この例の「最高気温30℃の日」を地球シミュレーターのようなスーパーコン
ピュータを使ってゴリゴリ計算したりなんかして、予測したとしてもその結
果求まった日を吉日ととらえるか凶日と捉えるかで正反対の吉凶判断が出来
てしまいます。
◇矛盾じゃないんです
今まで散々書いたとおりで、どんなに精密に計算したところで、土台となる
陰陽五行説自体に意味が無いこと、さらには吉凶の決定は真偽という科学的
判断でなされたわけではなくて、発明者の価値判断によるものであるという
ことを考えると、吉凶判断の異なる暦注が同日に存在することは矛盾でも何
でもありません。
どちらを信じるのが正しいのかという問も無意味。
どちらを信じることにするか(あるいは信じないことにするか)という問題
でしか有りません。
かわうそさんは、どちらの暦注を信じます?
と問われたとすると、私は公平に「どちらも信じてません」と答えることに
しています。実際信じていませんしね。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
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