日刊☆こよみのページ スクラップブック
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■今日は亥の子、明日は十日夜
◇亥の子(いのこ)の日
今日(2011/11/4) は旧暦十月九日。日の干支は癸亥で、旧暦十月最初の亥
の日です。旧暦十月の初亥の日は亥の子の日とか玄猪(げんちょ)と呼ばれ
ます。
元は中国から渡来した風習で、十月亥の日に餅を食べれば年中の病を避ける
ことが出来るとあって、人々はこの日に餅を食べました。
また、猪(中国では豚のこと)は子供を沢山産むと云うことから、亥の子の
餅を食べると子宝に恵まれるなどと考えられ、女性同士でお互いに餅を贈り
合うと云うこともあったようです。
また、子宝に恵まれるということから、子孫繁栄の祝いとも考えられるよう
になりました。何はともあれ目出度い日でした。
この日には餅、あるいはぼた餅、丸形の菓子など「亥の子」の形を彷彿とさ
せる食べ物を食べる習わしがあります。
「元は中国の行事」の多くがそうであるように、この行事はまずは宮中から
始まり武家へ、そして庶民へと広がっていった行事です。
江戸時代には、江戸城において将軍が碁石ほどの大きさに平たく作った「御
成切(おなきり)」と呼ばれる亥の子餅を臣下に与えたそうです。
また、農村ではこの亥の子行事は大地の生産力に感謝する収穫祭の意味合い
もあり、大地の生産力を強めるため、子供たちが石に縄をつけてこれで土を
打つ、「亥の子突き」が行われることがありました。
私の自宅のある和歌山県の熊野地方では、この「亥の子突き」の伝統を今も
残しているところがありました。
◇十日夜(とうかんや)
今日は旧暦の十月九日。ということは明日は旧暦の十月十日で十日夜と呼ば
れる日です。
十日夜はどちらかというと東日本で多く行われていた行事です。
藁鉄砲で地面を打ってもぐらの害を払うとか、大根の背が伸びて肥え太るの
を祈るとか、どちらかというと作物の豊穣を祈る民間行事という性格が強い
行事です。
十日夜の日には、田の作神が一年の里での勤めを終えて山に帰る日だと考え
られていました(稲の刈り取りはこの日までには済ませてしまわねばならな
いと考えられていました)。田の神が山に帰るその道筋にいると、蹴散らさ
れ、災いがあると考えられたので、この日には田んぼや山に足を踏み入れる
のを忌む風習が各地にありました。
また一方では、この日は「大根の年とり」ともいい、大根の豊作を願って、
大根畑にぼた餅を埋めるなどという行事も有ったようです(「ふるさと東京
民俗歳時記」の田無市(現西東京市)の風俗)。
こうした行事の他にこの日の月を「十日夜の月」と呼び、中秋の名月の十五
夜の月、後の月の十三夜の月に並ぶ三の月として、お月見の対象とされるこ
ともあったそうです。ただ、月見には夜が寒すぎる時期ですから、月を見る
なら防寒対策だけはしっかりする必要がありそうです。
◇亥の子は西、十日夜は東?
二つの行事は時期的に近く、子孫繁栄や豊作祈願などその内容がよく似た行
事であったため、混じり合ってしまうこともあります。
二つの行事を何かで区別するとすれば、亥の子の行事が宮中発ということで、
どちらかというと亥の子の行事は西日本に分布し、これに対してより土着的
(?)な十日夜の行事は東日本で多く行われていたようです。
亥の子は西、十日夜は東といった具合です。
ではこの二つが出会うところは?
前出の「ふるさと東京 民俗歳時記」によれば、東京では二つの行事が混同
されていると云った記述がありますが、西と東の行事が出会ったのは関東あ
たりだったと云うことなのでしょうか。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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