こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
■朔旦冬至(さくたんとうじ)
 少し前、日刊☆こよみのページの話の中で突然「朔旦冬至」という言葉が出
 てきました。突然登場したこのなじみのない言葉(暦の世界ではそうでもな
 いですけど)、

  「朔旦冬至」てなんですか?

 という方が結構いらっしゃるようなので、今日はこの「朔旦冬至」の話をす
 ることにしました。

◇暦の始まりは十一月?
 暦の始まりの月はいつ?

 これが普通の人に対して為された質問だとしたら、

  「正月」 あるいは 「一月」

 という答えが返ってくるのでは。
 もっとも、こんな当たり前のことを質問されるはずは無いと、考え込んでち
 がう答えを考えるかも知れませんが、そうした駆け引きを抜きに考えれば、
 正月と答えるのが普通でしょう。
 しかし、この質問を日刊☆こよみのページの読者に対して行ったら、

  「十一月」

 という答えが返ってくるかも。
 逆にこの質問に「十一月」と答える人がいたら、暦が大好きの変人(おっと
 失礼)だということがわかるかも。

 現在使われている暦(新暦。グレゴリオ暦)では、今年も来年も再来年も、
 暦の日並みは変わりません。1月は31日だし、2月は28日だし(うるう年なら
 29日)。こんな具合ですから、いつでも誰でも作れてしまう。
 こうなると暦の始まりの月もへったくれも有りません。ではなぜ、十一月が
 暦の始まりの月かというと、これは毎年計算しないと暦が作れなかった旧暦
 時代の暦の話。

 旧暦を作る場合、まずは暦を作りたい年の前年の十一月がいつなのかを求め
 るところから、その作業が始まります。
 旧暦の十一月にはいったい何があるのでしょうか?

◇暦の計算の起点は「冬至」
 太陰太陽暦である旧暦の「月」は新月から次の新月の日の前日までなので、
 新月の瞬間がいつかを求めると、自動的に「月」の区切りができあがり。
 ここまでは、何の問題も無いのですが、こうして出来た「月」が何月になる
 のかは、この時点では決まっていません。

 新暦に慣れた私たちからすれば、これは不思議な話かも知れません。
 だって、 1年は12ヶ月に決まっているのですから、前の年の12月の次から、
  1月、 2月、・・・、12月と12の月に順番に名前を付けるだけでいいからで
 す。しかし、旧暦の場合はこうはいかない問題があります。それは、

  1年は12ヶ月。でも13ヶ月の年もある。

 からです。どの年が12ヶ月でどの年が13ヶ月になるかは単純に周期で決まっ
 ているというものではないので、計算してみないとわかりません。そのため
 に単純に12ヶ月の名前を、月の名前に割り振ればいいという訳にはいかない
 のです。

 旧暦の月名は基本的に或る「月」の中に二十四節気の中のどの「中気」が含
 まれるかで決まります。雨水が含まれれば一月(正月)となり、春分が含ま
 れれば二月となるという具合。冬至が含まれる月は十一月となります。こう
 やって割り振ると、時折(およそ3年くらい)中気を含まない「月」が現れ
 ます。一般にこうした中気を含まない月が現れると、この月は閏月(うるう
 づき)となります。

 これだけだけでも、結構面倒なのですが、それでもこれでは十一月が暦の計
 算の起点になるという理由にはなりません。しかし、さらに面倒なことがあ
 ります。極希にですが、「月」の中に二つの中気が含まれてしまうような、
 例外の中の例外のような月が現れてしまう場合が有るのです。

 こうなった場合には暦の月の連続性を考えて、調整する必要があります。
 例えば穀雨と小満という二つの中気を含んだ月が有ったとします。普通は穀
 雨を含む月は三月、小満を含む月は四月となるのですが、二つとも含んでし
 まったら、さてどうしましょう?

 もしこの月の前の月が二月だとしたら、二月の次がいきなり四月とはなるは
 ずが無いので、この場合は三月となります。つまりこうした例外中の例外の
 ような月が現れると、前後の月の並びを見ないと月名が決められないことに
 なります。こうした場合を考えると、どこかに「この月は絶対○○月」とわ
 かる月が無いと収拾がつかなくなります。そうした起点となるのが「冬至を
 含む月は十一月」という決めごとです。

 もっとも、この決め事は、このために生まれたというより、太陽の動きから
 一年という長さを観測から求める場合、太陽の南中高度がもっとも低くなる
 (中国や日本のような北半球の中緯度の国では)冬至という日が区切りとし
 て使われたというのがそもそもの始まり。この「そもそもの始まり」の伝統
 がずっと続いて、暦の計算起点は冬至を含む月、十一月となったわけです。

◇やっと「朔旦冬至」の話
 さて、やっと朔旦冬至の話です。
 冬至を含む月が十一月という話は、既に書いたとおりですが、では冬至の日
 付はというと、これはまちまち。その月の中に冬至を含みさえすれば、冬至
 の日が月の何日に有るかは決まってはいません。
 ですが、人間、「きりのいい数字」が好きですから

  十一月の一日(朔日)が冬至

 というとってもきりのよい日だと、なんだか嬉しい。
 ついでに計算する人間にとっても、こういうきりのいい日付は覚えやすくて
 助かります。よって、旧暦時代に使われた多くの暦は十一月の朔日が冬至と
 なるような年(架空の年でもいい)を求め、この年の十一月朔日をその暦の
 計算の起点として用いていました。

 そうなると、実際の暦を計算してみて、十一月一日が冬至となるような年が
 現れると、その年は暦の本来あるべき姿に戻った目出度い年と考えるように
 なります。そして十一月一日が冬至となることを「朔旦冬至」とよんで、祝
 うようになりました。
 ちなみにこのお祝いを「朔旦冬至祝賀」といいました。

 古代中国の思想では天子は国という地上の支配者であるばかりでなく、天の
 星々まで支配する存在と考えられていました(天まで支配する天帝の子で、
 天子というわけです)。天の星々の動きは時間によって決まっています。つ
 まり天子は時間の支配者でもあり、時間の支配者だから時の流れを表す「暦」
 を作り、それを人々に授ける権能のある者と考えられていました。

 こうした考えからすると、朔旦冬至がきちんと決まった年に現れるというこ
 とは、その天子がきちんと星々の動き、時間の流れまで支配している天子で
 ある証と考えられますので、目出度いわけです。

◇朔旦冬至と章首
 中国の暦では19年を章と呼びます。
 古い時代の中国の太陰太陽暦はこの章の期間に 7回の閏月が入るという仕組
 みを持っており、この仕組みにしたがった暦を「章法の暦」と呼びました。

 章法の暦では暦法の計算起点となる年を朔旦冬至の年に起き、あとは19年の
 章を繰り返します。この章の始めの年は「章首」と呼ばれます。

 日本に中国から暦が伝わった時代には、既に暦はこの章法の暦を脱していて
 (日本で使われたと考えられる最初の暦、元嘉暦だけは、章法の暦)必ず章
 首の年が朔旦冬至となるというわけでは有りませんでしたが、章法時代の慣
 習が伝わっていて、章首に朔旦冬至が現れることを祝う行事も一緒に伝わり
 ました。これが朔旦冬至祝賀です。

 日本で使われた暦のほとんどは既に章法を脱した暦(破章法の暦)だったの
 で、章首の年に朔旦冬至とならなくても問題は無いのですが、日本人は、昔
 から変に律義なところが有ったようで、計算された暦の月日を変更して無理
 矢理、章首の年の朔旦冬至を実現してしまうなんて云うことを何度もしてい
 ます。

 こうした無理矢理の人為的暦日変更を行うと、その年の月の並びさえ変わっ
 てしまうこともあり、過去の暦日を「計算で求めよう」とするものを悩ませ
 ることになります。月や太陽の動きは計算出来ても、人間の勝手な行動まで
 は計算出来ませんからね。

 日本で朔旦冬至祝賀が行われた最初は延暦三年(AD 784)で、最後が天明六
 年(AD1786)でした。もちろん朔旦冬至祝賀どころではない時代もあって、
 行われなかったこともありますが。

 ちなみに、来年(2014)の冬至の日、 12/22は新月の日でもあります。つま
 り、「朔旦冬至」となる目出度い日となるわけです。
 来年まで、このことを覚えていて、日刊☆こよみのページも続いていたら、
 日刊☆こよみのページ主催の朔旦冬至祝賀でもしましょうかね・・・

 以上、朔旦冬至についての、長い(長すぎる?)暦のこぼれ話でした。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
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