日刊☆こよみのページ スクラップブック
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■日めくりカレンダー
押し入れに入っていた段ボール箱。
引越の際に、棄てるかとっておくか迷って、
とりあえず保留
となった、ものを入れておいた箱です。
引っ越してから1年半も見向きもされなかったことからすれば、その大半は
「がらくた」として廃棄されることになりました。
さて、その箱を開けて中をあさっていたら出てきたものの中に、平成26年の
カレンダー 5種類がありました。去年のカレンダーですからこれは
確実にゴミ
ですね。もちろんゴミ箱へ一直線の運命となりました。
そのゴミ箱行きになってしまったカレンダーの中に、今では珍しくなった日
めくりカレンダーがありました。
◇日めくりカレンダーの誕生は?
ゴミ箱行きになってしまった去年の日めくりカレンダーの冥福を祈りつつ、
いきなりですが、本日は日めくりカレンダーの話です。
今では珍しくなりましたが、私の子供の頃(40年くらい前)には、どの家庭
にでも一つくらいは、日めくりカレンダーが柱に掛かっていたことと思いま
す。
調べてみると、日めくりカレンダーの誕生は明治36(1903)年のことでした。
生まれは東京・・・と思いきや、日めくりカレンダーの製造販売が始まった
のは大阪でした。大阪心斎橋にあったうちわ屋、野村商店が売り出したのが
最初だとされています。
野村商店は大阪大宝寺町の河野印刷所と正誠堂印刷所で印刷した2000個の日
めくりカレンダーを写真用の台紙に貼り付けて販売。翌年からは、日めくり
カレンダー専用の台紙も作って、本格的な日めくりカレンダー作成に乗り出
し、数年の間は唯一の日めくりカレンダー製造販売元として、人気を得たそ
うです。
最初の頃の日めくりカレンダーは、灰色の一色刷。とっても地味なものだっ
たそうです(実物を見てみたいものです・・・)が、やがて色刷りのものも
登場し、カラフルになって行きました。
◇日めくりカレンダー人気と旧暦
しばらく、野村商店の独占状態であった日めくりカレンダーでしたが、次第
に、他の人達もこの商売に参入してきました。中でも、資本力、製造力、そ
して販売力があったのが、引札製造業者(引札:商品の広告や、店舗のチラ
シ、ビラなどのこと)でした。
引札製造業者であれば、印刷も販売もお手の物ですから、日めくりカレンダ
ーの販売数は、数千の単位から、あっというまに数万の単位に増えてゆきま
した。
こうした日めくりカレンダーの発展を後押ししたことに、暦の歴史も一つ関
係したことがありました。それは、伊勢暦から旧暦が消えたことです。
明治6年の改暦で、日本の正式な暦は新暦に切り替わりました。この改暦は
明治政府の都合で乱暴に進められたものでしたが、さすがに、一夜にして旧
暦全廃というのは無理があると考えたのでしょう、官暦である伊勢暦にも明
治42年までは旧暦の日付が掲載されてづけました。
しかしこの、経過措置(?)的な旧暦の日付の掲載も明治43年の伊勢暦から
はなくなりました。
官暦から姿を消した旧暦ですが、民間には「おばけ暦」と呼ばれた非合法の
暦が存在しました。こちらには旧暦の日付や暦注が書き込まれていたので、
ある意味、官暦では満足できなかった庶民の需要を満たす役割を担っていた
のですが、なにせこの「おばけ暦」は非合法。こんなものを持っていると、
お巡りさんに、
何処で買った? 違法な暦だって知っているだろう!
と叱られてしまう、取り締まりの対象となる暦でしたから、あったらいいな
とは思っても、心ある人々はちょっと買えない。
しかし、日めくりで、その日のページに旧暦の日付も併記されている日めく
りカレンダーは、そうした非合法の暦とは違って合法。
伊勢暦から旧暦の日付が消え、旧暦の日付は知りたいけれど違法な「おばけ
暦」をこっそり買うのはどうもという真面目な人々には、日めくりカレンダ
ーは有り難い存在でした。
ということで、この伊勢暦から旧暦が消えたことも、日めくりカレンダー躍
進に大きく力を貸す結果となりました。
◇カレンダーの宣伝効果
有力な日めくりカレンダー製造元として、商品や商店の広告を作る引札業者
があることからもわかりますが、カレンダーには「広告素材」としての大き
な利点があります。それは、
1年間は棄てられない
ということです。
広告のチラシなど、興味がない人には即座に棄てられてしまうものですが、
カレンダーとなると役に立つものですから、1年間は棄てられることはまず
ありません。
日めくりカレンダーの台紙に、商店の名前や取り扱い商品の名前でも入れて
おけば、結構な広告効果が上がるわけです。
それに、あんまり大々的に宣伝するのはどうかなと思われてしまうちょっと
堅めの業種や団体、例えば銀行とか、農協、漁協・・・などでもカレンダー
なら、その名前や連絡先が書かれていても違和感はないでしょう。
そうした「広告媒体」としての重宝さも手伝って、明治末から大正、昭和と日
めくりカレンダーは、発行部数を増やしていきました。
◇日めくりカレンダーの斜陽期
こうして発行部数を増やした日めくりカレンダーですが、その隆盛期は長く
は続きませんでした。その切っ掛けになったのは戦争です。
戦中、そして戦後、日本の製造業は大きな打撃を受けましたし物資も不足。
日めくりカレンダーを作るためには、最低でも 365枚の紙が要りますから、
紙不足の時代にはこれは「無駄なもの」の筆頭ともなります。そして衰退。
では、徐々に戦争の痛手から立ち直り、紙不足も解消されてきたら、往年の
輝きを取り戻せたかというと、その頃になると綺麗な写真入りの月単位のカ
レンダーが人気となり、どう見ても地味な日めくりカレンダーは、カレンダ
ーの王座(?)に返り咲くことは出来ませんでした。
それでも、まだ私がこどもだった頃には、どの家にも一つくらいは日めくり
カレンダーがあったような気がしますが、今は日めくりカレンダーのある家
を見つけることの方が難しいことでしょう。
段ボール箱を片付ける際に、あっさりとゴミ箱行きにしてしまった昨年の日
めくりカレンダーでしたが、もっと大切に扱ってやればよかった。
本日は、ぞんざいな扱いをしてしまった日めくりカレンダーに対する罪悪感
から(本当かな)、日めくりカレンダーの話を書いてみました。
まあ、罪悪感を感じたにせよ去年の日めくりカレンダーですから、結局は棄
てちゃうことに変わりはなかったでしょうけれどね。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
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