日刊☆こよみのページ スクラップブック
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■「おやつ」の時間・・・不定時法の話
『午後三時、そろそろ「おやつ」の時間かな?』
と、本日の話を書き出しましたが、ふと時計を見ると、本当はおやつの時間
にはまだ早かった。まだ2時前でした、それも午前の・・・。
この話を書いている実時間の話はおくとして、この「おやつ」は、江戸時代
に日常の生活で使われていた、九ツ、八ツ、七ツ・・・という時刻の表し方
で云うところの「八ツ」の時刻の頃に食べる間食だったので、こう呼ばれる
ようになったのでした。
◇不思議な時刻・・・数え方の不思議
慣れてしまえば、いろいろなことが「不思議」ではなくなるのでしょうが、
慣れないものの目から見ると、それって変だなと思えることって、あります
よね。この九ツ、八ツ・・・という時刻にもいろいろと不思議なところがあ
ります。その一つが、この時刻では、時が進むに従って数が減るというとこ
ろです。どんな風になっているかというと、
九ツ→八ツ→七ツ→六ツ→五ツ→四ツ・・・・
と減って行きます。
これだけでも、今の感覚からすると不思議な数え方ですが、さらに不思議な
ことがあります。四ツまで進むと、次は・・・九ツになります。先ほどの続
きも書くと、こんな具合。
九ツ→八ツ→七ツ→六ツ→五ツ→四ツ→九ツ→八ツ→七ツ→六ツ・・・
なぜこんな不思議な数え方をしているのかというのは定かではないのですが、
最大の陽数(奇数)九を次々に加算して、十の位を省略して表したのではな
いかという説があります。
9 → 9
9+9=18 → 8
9+9+9=27 → 7
という感じです。
江戸の街では、この数だけ時鐘を打って人々に時刻を知らせていたといいま
すから、確かに省略してもらわないとうるさくてかないません(鐘を打つ人
も大変だ)から、こうなったのかも。しかし、なぜ九を足していかないとい
けないのかと、その根本を問われると困ります。理由は正直、よくわかりま
せん。根本の疑問が解けないので、謎は謎のまま。不思議ですねとしかいい
ようがないのでした。
◇不思議な時刻・・・昼と夜とで長さが違う
この時刻にはもう一つ、不思議なところがあります。
それは、昼と夜とで一時(いっとき)の長さが違うと云うことです。
この時刻では、現在で云えば真夜中の零時(正子)にあたる時が九ツで、正
午もまた九ツになります。
なるほど、午前と午後をそれぞれ六等分したんだな!
と思えるのですが、実はそうではありません。
前半の「九・八・七」と後半の「六・五・四」の一時の長さが違います。
時代劇などで、「明六ツ(あけむつ)」「暮六ツ(くれむつ)」という言葉
を耳にしたことがありませんか?
この言葉は、午前の六ツと午後の六ツを表しています。そして、この六ツが
一時の長さを分ける基準となります。
明六ツは日出前、暮六ツは日没後のある瞬間です。寛政暦では、それぞれ太
陽の中心の高度角が地平線下 7°21′40″に相当する角度となる瞬間と定義
されています。
この明六ツ〜暮六ツまでを六等分して、昼の一時とします。同じく暮六ツ〜
明六ツまでを六等分して夜の一時とします。
この明六ツ、暮六ツがもし、現在の時刻で午前6時、午後6時となってくれ
るのなら、昼の一時も、夜の一時も現在の時間で云えば2時間となって同じ
長さになるのですが、そう上手くは行きません。
試しに、今日2015/08/22の東京における明六ツ、暮六ツを計算すると
明六ツ 午前 4時31分
暮六ツ 午後 6時57分
となり、昼の時間は14時間26分にもなりますが、夜の時間はといえば、たっ
た 9時間34分にしかなりませんから、昼の一時は、 2時間24分であるのに対
して夜の一時は 1時間36分しかありません。その差はなんと48分。随分違い
ます。
昼の一時の方が長い分だけ、「おやつ」の時間も遅くなりそうですね。
◇不思議な時刻・・・季節によっても長さが違う
さてさて、既に一時の長さの基準となるのが明六ツと暮六ツと書きましたか
ら、この一時は季節によっても変わりそうだとお気づきのかたもいらっしゃ
るでしょう。そのとおりです。昼、夜の長さは季節によって変化しますから
明六ツ、暮六ツを基準とするこの時刻系の一時の長さは季節により異なって
しまいます。
どのくらい違うかを、冬至・春分・夏至の一時で比較すると
冬至 ・・・ 昼の一時: 1時間49分 夜の一時: 2時間11分
春分 ・・・ 昼の一時: 2時間12分 夜の一時: 1時間48分
夏至 ・・・ 昼の一時: 2時間39分 夜の一時: 1時間21分
(計算結果は東京の位置でのもの)
ということになります。
昼の一時の長さは冬至に比べて夏至では50分も長い。
夏の頃の「おやつ」の時間は、冬より大分遅くなってしまいます。
夏はきっと、お腹が空くんだろうな?
もし、おやつの時間なんていうものを楽しむ機会があれば、本日の話を思い
出して頂けるとうれしいです。
◇最後に
こうした長さが一定しない時刻法を不定時法といいます。
江戸時代の人達は、今から見ると不思議な不定時法で日常の生活を送ってい
たわけです。
生まれたときからずっとそうなら、不思議にも思わなかったのでしょうが、
いつでも一定の長さの「一時間」を単位として生活する私たちから見ると、
何とも不思議な時法ではありませんか。
なお、こうした不定時法は、江戸時代の日常の生活ではずっと使われていた
ものですが、暦の世界ではというと、唯一の例外を除けば、使われたことは
ありません。暦の世界での「一刻」は、今の2時間に相当し、変化すること
はありませんでした。
唯一の例外を除けばですが。
では「唯一の例外」とは何かというと、とっても残念なことに、日本で正式
に使われた太陰太陽暦の最後を飾った、天保暦がそれ。
民衆に迎合したのか? 暦法としては「改悪」でしょう。最後の太陰太陽暦
に至って、わざわざ改悪してしまうとは。
何とも残念な話です。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
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