日刊☆こよみのページ スクラップブック
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■現代の「秋の彼岸の入り」はとっても早い
本日は、秋の彼岸の入り。
秋の彼岸の入りと云うことで何かそれに関わる話がないかなと考えて、秋の
彼岸の入りの時期について書いてみることにしました。
◇彼岸の入りの日付
「彼岸の入りの日付」といいながら本当は、「彼岸の入りの時期」について
の話です。でも「彼岸の入りの時期」だと、比較がしづらいので「日付」と
させていただき、旧暦時代の暦日は、新暦(グレゴリオ暦)の暦日に当ては
めることにしますので、この点はご了解願います。
さて、彼岸という仏教由来の雑節を暦に記載するようになったのは、日本の
中世に長く使われた宣明暦からです。
比叡山では彼岸会に談義説法を行っており、この説法を聞きたいがために、
都からも人々が旅をして比叡山に集まって来るようになったが、その年の彼
岸がいつなのかわからなくて、人々が難儀するという比叡山からの訴えによ
って、暦に書き加えられるようになったと伝えられています。
この宣明暦(とその後の貞享暦)での彼岸の入りは、春分の日、秋分の日か
ら数えて3日目となっていました。この当時の二十四節気は恒気法(平気法
ともいう)方式で計算されていましたので、現在の春分、秋分とはちょっと
だけ日付が異なり、春分の日は3/23頃、秋分の日は9/21頃でした(現在の、
定気法によると、それぞれ3/21頃、9/23頃です)。
このように、宣明暦の時代の秋分の日は現在より2日ほど早いのですが、彼
岸の入りはこの日から3日目なので、その日付は9/23頃となります。
宣明暦、貞享暦の時代が終わって宝暦暦、寛政暦時代になると彼岸の中日は
「昼夜等分の日」でないといけないという、不思議な理由から彼岸の時期が
変更になりました。
昼夜等分の日を彼岸の中日とするとなると、彼岸の中日は現在の定気法によ
る春分・秋分の日に移動することになります。宝暦暦・寛政暦の二十四節気
は恒気法で計算されていましたから、この修正によって彼岸の中日は当時の
春分・秋分の日に対して春は前に2日、秋は後ろに2日の位置に置かれること
になりました。
彼岸の入りは彼岸の中日の3日前ですので、この方式で計算すると彼岸の入
りは春は3/18頃、秋は9/20頃となります。
彼岸の入りの計算タイプは、この宣明暦・貞享暦方式と、宝暦暦・寛政暦方
式、そして天保暦・現在の方式の三種類。この三種類の方式での日付を並べ
て書くと
宣明暦・貞享暦方式 3/25頃 9/23頃
宝暦暦・寛政暦方式 3/18頃 9/20頃
★天保暦・現在の方式 3/18頃 9/20頃
となります。どの日付にも「頃」とついていて、歯切れが悪いこと甚だしい
のですが、これは比較に使うグレゴリオ暦の日付の問題もあり、1日程度の
前後があるため。ご容赦下さい。
こうしてみると、秋彼岸の入りの日付は、天保暦以後、現在も使われている
方式が最も早い日付となることがわかります(宣明暦と貞享暦が遅いだけと
も言えますがね)。
◇最近はもっと早い?
前段で「グレゴリオ暦の日付の問題もあり」と書いた件で、最近はさらに秋
彼岸の入りの日付が早まってきております。グレゴリオ暦は、春分の日が大
きくずれないように、閏日で調整するようになっている暦です。閏日は、1
年の長さの日付で割り切れない端数を、何年か分まとめて整数の日付にして
直すための仕組みです。
まとめて直す仕組みということは、個々の年を見て行くと、ちょっとだけ早
かったり遅かったりという問題が生じるということでもあります。この影響
で、2012年から、4年毎に9/22が秋分の日になるようになりました。という
ことは、こうした年の秋彼岸の入りは9/19。おお、また1日早くなった!
1896年までも、9/19が秋彼岸の入りとなる年がありましたが、この年を最後
に2012年になるまではこうした年がありませんでしたから、「現代は、秋彼
岸が歴史上最も早い時代」といっても大きな間違いでは無いかも。
惜しむらくは、この話に2012年に思い浮かんでいればよかったということ。
だって、今年の彼岸の入りは9/20なんだもの(2013,14,15年は9/20)。
ああ残念!!
来年は9/19が彼岸入りとなりますので、来年もこの話を私が思い出したら、
きっと暦のこぼれ話に登場することでしょう。願わくば読者の皆さんが今回
読んだ記事の内容をすっかり忘れて下さっていることを願いつつ・・・。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
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