日刊☆こよみのページ スクラップブック
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■太陰太陽暦廃止と太陰盈虚(たいいん えいきょ)
おはようございます(というほど早くない。昨日夜更かししてしまったもの
で・・・)。
先日、何の話の結果そうなったのか忘れてしまいましたが、日本の公式な暦
に太陰太陽暦の日付が載っていたのはいつまでかという話になりました。
それは、太陽暦へ改暦された明治 6年の直前、
つまり、明治 5(1872)年までだろう?
日刊☆こよみのページの読者の方なら、この辺の事情はよくお分かりと思い
ます。基本的には、この考えは正しい。しかし・・・
裏技的にですが、もう少し後まで、太陰太陽暦の日付のようなものが残って
いました。
もちろん、現代の「○○易断△△暦」のような私暦の話じゃなく、政府が刊
行していた「官暦」の話です。
◇太陰盈虚(たいいん えいきょ)
お日様を「太陽」というようにお月様は「太陰」とも呼ばれます。
暦の世界では、お日様の動をその暦の仕組みの基礎にしたものを太陽暦とい
い、お月様の動きを基礎としたものは太陰暦と呼びます。
明治 5年まで使われていた日本の暦、旧暦はお月様の満ち欠けによって月並
み日並みの基礎とし、太陽の動きを補助的に用いて季節と暦のずれを補正す
る暦でしたので、太陰+太陽の暦ということで太陰太陽暦といいます。
さてさて、明治改暦は財政難の明治政府が、財政難脱出のためというか、差
し迫った財政問題回避のために、大急ぎでかなり無理矢理に行ったものです
から、政府としても後ろめたい部分があったのでしょう。太陽暦に改暦した
にもかかわらず、しばらくそれまでの太陰太陽暦の日付も官暦に併記するこ
とにしました。
とはいいながら、いつまでも旧暦の日付を書いていては、新しい暦の使用が
進まない。そこで、実用上では問題ないけど、建前では旧暦じゃないよと云
えるように、暦ではないような名前をつけました。それが
太陰盈虚(たいいん えいきょ)
です。「太陰」はともかく「盈虚」のほうは、現在ではまず使わない言葉で
す。この難しい言葉は月の満ち欠けを表す言葉です。辞書を引くと
【盈虚】(えいきょ)
月の満ち欠け。転じて、栄えることと衰えること。盈虧(えいき)。
《広辞苑・第六版》
という具合です。
太陰暦欄は、内容は同じながら明治13(1880)年からタイトルだけは、この
難しい太陰盈虚に変わりました。太陰暦じゃありません、月の満ち欠けです
といいたかったわけですね。
あ、タイトルだけじゃなく、形式もちょっとだけ変わってました。
それまで付けられていた「日」という単位が付かなくなったのです。
やっぱり、旧暦を併記し続けていると思われたくなかったんでしょうね。
◇太陰盈虚から月盈虚に、そして・・・
政府としては、早く官暦から旧暦の影を払拭したかったのでしょうが、なか
なか思うようには新暦が普及せず、太陰盈虚の記述もやめることが出来ませ
んでした。
途中で、太陰暦を彷彿とさせる「太陰盈虚」から「月盈虚」と呼び名を変え
るなどの改変(明治20年)はありましたが、結局この欄は明治42年の官暦ま
で残りました。この事実上の旧暦併記欄が官暦から姿を消したのは、明治43
(1910)年のこと。明治改暦から37年もかかってしまいました。
というようなわけで、こうしたことを考えると日本の公式な暦から太陰太陽
暦の日付(のようなもの)が完全に姿を消したのは、明治43年というわけで
す。こうして、官暦からようやく旧暦の日付が消えたのですが、その跡には
これに替わって
月齢 ・・・ 月ノ齢 朔ヨリ起算シタル日数
が記載されるようになりました。
あれれ?
確かに旧暦の日付じゃないけど・・・。
まあ、明治のお役人も大分悩んだみたいですね。
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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