日刊☆こよみのページ スクラップブック
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■奥の細道と暦
今日は、芭蕉が奥の細道に旅立った日(の日付けをグレゴリオ暦の年月日に
換算した日)とされています。
『弥生も末の七日、明ぼのの空朧々として、月は在明にて光おさまれる物か
ら ・・略・・ 千住と云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸に
ふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。』
奥の細道に書かれた松尾芭蕉の旅出の日の模様です。
この日、芭蕉は見送りの人々と千住で別れ、奥州へと向かいました。この時
詠まれた句が有名な
行春や鳥啼魚の目は泪 (ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)
です。
日付は冒頭に書いた文章の中に「弥生も末の七日」とありますから、三月の
二十七日(末の七日)であるとわかります。
年は元禄二年、西暦でいえば1689年。この三月二十七日はもちろん当時使わ
れていた暦ですから、現在でいうところの旧暦(または陰暦)での日付です。
◇行春(ゆくはる)
旧暦では一年十二ヶ月を三ヶ月毎に区切って春夏秋冬の四季に当てています。
春は、正月・二月・三月ですから三月二十七日というのは春の終わり間近の
日付となります。
間もなく春が終わる時期ですから、去りゆく春を惜しむ「行く春」という言
葉が句に詠み込まれています。
◇「行春」の季節
ご存じの通り、旧暦では同じ月日であっても年によっては一月程も季節と暦
の日付とがずれることがあります。そのため日付がわかっても、さてその日
付の頃の気候はどのようなものだったかと云うことは直ぐにはわかりません。
季節の変化を知ることに関していえば、旧暦(陰暦)は現在使われている新
暦(陽暦)に及ばない暦といえます。
旧暦の日付だけではなかなかその句の詠まれた季節がわかりにくいですから、
この日付を、新暦(陽暦)に変換して考えてみましょう。
旧暦(陰暦) 元禄 2/ 3/27 → (新暦)1689/ 5/16
となり、それで今日が奥の細道へ旅立った日ということになるわけです。
新暦の5/22頃には二十四節気の「小満」がやって来ます。
この小満は旧暦の四月中気と呼ばれるもので、この日を含む月は、旧暦では
四月となります。
とすると旧暦の3/27は遅くとも小満の 3日前の日付となって、それより遅く
なるということは無いはずですから、一番遅い旧暦の3/27は新暦の5/19頃と
なります。
同じ旧暦の3/27でも早い年だと4/19頃という場合もあり得ますから、芭蕉が
奥の細道の旅に出た元禄二年の3/27という日付は
かなり遅い3/27 (新暦の 5/16)
と云うことになります。二十四節気の立夏を過ぎて十日あまり後ですから、
「陰暦の三月は春」とはいっても、この年は随分と遅い「行く春」だったこ
とがわかります。
芭蕉が千住から旅に出た日は、現在私たちがなじんだ暦でいえば今日の日付
に当たります。
日は長く、暖かくなって、江戸より北の東北に向かうにはよい頃合いの季節
だったのでしょう。ちなみに、「行く春」から始まった奥の細道の旅は、
季節が「行く秋」となって終わります。
ついでながら本日2017/5/16の旧暦の日付けは4/21となりますから、芭蕉の
旅立ちの年が、今年のような年なら千住での別れの歌も「行く春」ではなく
て、初夏を詠んだものとなっていたことでしょう。年が違っていたら、奥の
細道の句の中身も今とは大分違ったものになっていたかもしれませんね。
※注
元禄二年当時使用されていた二十四節気(恒気法)の日付は現在使われてい
る二十四節気(定気法)の日付と、1〜3日程異なることがあります。
本日の説明は、当時使われた恒気法に準じた日付でおこないました。
ちなみに、2017年の小満は現在使われている定気法では、5/21。芭蕉の生き
た時代に使われていた恒気法の方式で計算すると、5/23となります。
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