曜日の順番・曜日の生い立ち
曜日の順番・曜日の生い立ち
カレンダー 現在、日本のカレンダーを見るとどれも「日月火水木金土」の順に曜日が並んでいます。このHPのカレンダーも右へ倣えでその順番で並んでいるのですが、週末というと普通は「土日」を指しますよね。なら、「日」は週末の末だから、週の始めは月曜日なのかな?。こよみのページ作者としては、これは「はっきりさせないといけない!」と使命感に(勝手に)燃えて調べてみました。


ちょっと説明に入る前に恐縮ですが、調べて見たところ、説明が大変長くなってしまいましたので、最後まで読むのは面倒だなという方のために、いきなりですが結論から先に書いておきます。
  • 日曜日始まり説・・・宗教的意味における週の始め
     キリスト教・ユダヤ教などでは、週の始まりは日曜日です。
  • 土曜日始まり説・・・週の発生に遡る週の始め
     曜日の概念が生まれたとされる古代バビロニアでの週の始め。
  • 月曜日始まり説・・・慣用的?
     日曜が休日と成って以降、「働き始める日」という意味で使われるようになったものと思われる。
さて、結論を書いてしまいましたので、これ以降は心おきなく、上記の結論に至るやや眺めの説明を書いて行きますので、お付き合いください。

辞書を引いてみよう
 まずは手始めに、先ほどの「週末」をキーワードにして辞書を引いて見ると、
  • 週末(広辞苑:四版)
     一週間の末。土曜日、また土曜日から日曜日へかけていう。近年は金曜日も含めていう。
  • Weekend(研究社 新英和大辞典:第五版)
     週末(土曜日の午後または金曜日の夜から月曜日の朝まで)
やはり土曜−日曜を週末としています。ならば始めは月曜日ですか?

聖書を引いてみよう
 一週間という単位は、何となく「キリスト教」から来ているようなイメージがあるので、ものは試しと聖書を引いてみました。
  • 聖書 「創世記」(日本聖書協会1955年改訳版旧約聖書)
     神は「光あれ」といわれた。すると光があった。
      ・・・第一日である。
      ・・・神は第七日にしてその作業を終えられた。
     すなわち、そのすべての作業を終わって第七日に休まれた。
なるほどそうか、第七日目に休まれたということは、日曜日は休みだから日曜日が第七日目。週の最後の日か。ならば、週の最初は月曜日ということになりますね。、分かった分かった。しかし?

十字架 調べてみると、日曜日が「休日」になったのは実は曜日が使われるようになったずっと後のことでした。話が横道にそれますが、きっとみんなも気になると思うので書いてしまいます。
 聖書によれば、イエスが十字架にかかった日は「金曜日」。で、三日目に「復活」するわけですが、この救世主としての「復活」こそが神の栄光を示す最高の日ということで、「主の日」とされた。ここでの三日目は、磔になった金曜日を第一日と数えますから「日曜日」がその日にあたることになります。
 キリスト教がローマ帝国の国教とされた西暦321年、この日、日曜日が勅令により「主の日」として、全ての仕事を止め、神と共に過ごす公的な「安息日」となりました。
 さて、ここで2つの考えが登場します。
  • 「主の日」が週の始まりの日である。
     週の始めは「主の栄光の日」である日曜から始まるべきだという考え(「主の日」制定と同時に、この点も勅令で「週の第1日」と規定した)。主の復活は神との新しい契約(新約)が成立した日であるから、新約的な世界観から言えば新しい世界の出発した日ということで分かる気がします。
     
  • 「安息日」は週の終わりである?
     キリスト教では日曜日を安息日とされます。これは先に書いたとおりです。元々、安息日は週のうちの1日を神に捧げ、人間としての活動を最小限にとどめて神とともにある日という考えで生まれたものです。
     さてここでもう一つ、安息日は「神は6日で世界を作り7日目に初めて休まれた」の聖書の記述から神の休まれた日を安息日としようと言う考えがあります(この時点で、神様が何曜日に休んだかはわからないけれど)。
     神が活動した7日(1週間の長さ)の最後の日の安息日とすれば「主の日(日曜日)」が安息日とされたことと結び付き、日曜は「神の活動した7日間の最後の日」となりますが、この議論には問題が多いのです。
     キリスト教の母胎となったユダヤ教では週の最後の日の安息日は現在でも土曜であって日曜ではありません。ローマ帝国で日曜日を公的な休日として安息日化したことについては、古代キリスト教徒の間では根強い反発があり、土曜安息日の制度がローマ帝国末期まで残っていたそうです。そう考えると「週末=安息日=土曜」が本来の姿で、日曜安息日派は新興勢力のようです。
     
  • 聖書に見る「週の始め」の手がかり
     さらに調べてみると、キリストが磔にされたのは「ユダヤの週の6日目」とされていることが分かりました。この日が「13日の金曜日」であったということは有名なことですね。そしてさらに読み進めると決め手となる記述がありました。それは「キリストは週の始めの日に復活した」と。答えはしっかり聖書に書いてあったのです。先にも書いたように、この復活の日は「日曜日」です。つまり聖書においても「週の始めは日曜日」だったのでした。もっと良く読んでおくべきでした(反省)。
 どうも、「主の日」を週の始めとしながらこの日を「安息日」としたがために「安息日=週の最後の日」との混同で
   週の始めについての「日曜派」「月曜派」
が生まれたようです。

黄道十二獣帯 さらに続く曜日の謎
 曜日についている名前「日月火・・・」は、みんな星の名前。太陽、月、火星・・・。となれば、「星占い」の発祥の地と言われるメソポタミアが怪しい気がします。ここで奇特なギリシャ人が登場します。その人の名はカシウス。歴史家です。
 この御仁、未来の「こよみのページ」作者が悩まないようにと、曜日の順番が決まった経緯を記録してくれていたのです。では、カシウス老に手を合わせながら、その御説を拝聴(拝見)致しましょう。

曜日は「バビロニア」生まれ
 古代の人々は7つの惑星(水・金・火・木・土星と月・太陽)が星座を形作る星々とは違って、星座の星々の間を動き回ることを知っていました。さらに他の星より明るいし、あまり瞬かないことも知っていました。そのためこの7つの星を特別な星と考えて神格化し、一種の信仰の対象としていました。現在の占星術のルーツになったというバビロニア文明を築いたカルデア人もその例に漏れず、それぞれに次のような神をあてはめて考えていました。

バビロニア文明における惑星と神の対応
土星木星火星太陽金星水星
エヌルタ
狩猟と農耕
マルドック
主神
ネルガル
戦争と死
シャマシュ
正義と律法
イシュタル
愛と美と豊饒
ネボ
運命と学問
シン
年月と生物の育成
遠い近い

 バビロニアでは現在と同じように1日を24等分して時間を表しており、それぞれの時間を各惑星(太陽と月も含む)が交代で支配すると考えました。そして1日の最初の1時間を支配する星がその日自体を支配すると考えました。さてそこで、最初に登場する惑星ですが、上の表の最下段に書いた「遠い>・・・>近い」は、当時のバビロニアで考えられた惑星までの遠近です。表では遠い順に惑星を並べています。

星の支配時間表
 支配星

時間
1
2
3
4
5
6
7
8
途中省略
23
24
 バビロニアの人々は一番遠い「土星」を第一日の第一時間目に割り振り、それ以後は距離の遠い順に時間の支配神(星)を割り振りました。割り振った結果を左の表に示しましたのでご覧ください。なお時間は1から始まっておりますが「1番目」と言うことで、0−1時の間とご理解ください。

 その日の最初の時刻を支配する星がその日を支配するとすると、最初の行の星が日の支配星ということになります。
 時間の1に入る星、つまりその日の支配星を御覧になって気がつきましたか? 現在の曜日の列びと同じなのです。
 これが、ギリシャの歴史家カシウスが記録した由来なのですが、曜日の列びの発生については、この説が最有力のようです。とすると、1週間の始まりは「土曜日」となります。土曜日は週末ではなく週の始めという事になります。意外や意外。でも、この説明を一からすると考えると、なかなか大変ですね(書きながら、そう思いました)。

おまけ
 いくつかの言葉での曜日の名前です。
各国語に現れる曜日の名前   (新人物往来社・暦の百科事典より)
日本語日曜月曜火曜水曜木曜金曜土曜
英語SundayMondayTuesdayWednesdayThursdayFridaySaturday
ドイツ語SonntagMontagDienstagMittwochDonnerstagFreitagSonnabend
フランス語dimanchelundimardimercredijeudivendredisamedi
イタリア語domenicalunedimartedimercoledigiovedivenerdisabato
中国語星期天星期一星期二星期三星期四星期五星期六

 最後に、国や地域によっては曜日の呼び名に順番を表す言葉を含む場合がありますので(上の表にあります)、その「順番」から週の始め(ここでは1番が最初と考えます)を考えて表にして、世界ではどんな風に考えているかの手がかりにしてみる。あくまでも参考としてです。
日曜日派ポルトガル、ギリシャ、アラビア、インドネシア、ヘブライ
月曜日派ロシア、ポーランド、ハンガリー、中国
注意
 上の表は既に書いたとおり、曜日に数詞を当てている国において「1」に相当するのが何曜日かと言うことで書いたものです。中国のように日曜日が「星期天」、月曜日が「星期一」の場合、「一」とある月曜を最初として示しましたが、星期天が一の前なのか、六の後なのかは何とも言えません。あくまで形式的に「一」が最初であればと言う表ですので誤解の無いようにお願いします。

余 談
ユダヤ教・キリスト教への週7日制の浸透
 バビロニアでの週7日制をバビロンの捕囚を経験したユダヤ人が、教会での礼拝が出来ない代わりに週の内1日を神に捧げるものとして「安息日」を設けたのではないかと言われます。このバビロンの捕囚時の経験がやがてユダヤ教そしてキリスト教圏に広がったと考えられます。
 
安息日いろいろ
 先に書いたように、安息日はキリスト教が日曜日」、ユダヤ教が「土曜日、そしてイスラム教が金曜日とされています。
 
東洋の「五行説」
 目に見える惑星(ここでは月・太陽をのぞく)が5つだという事で、洋の東西に関わらず、この惑星数が思想に強く影響を与えていることは間違いありません。中国で発生し、日本にも多大な影響を与えた「五行説(木火土金水)」」もこの惑星数に影響されたものです。だから、遠くから渡ってきた曜日の名前もすんなり五行説+日月の7つで収まりました。元々同じようなものだったのですね。
 
西洋占星術のルーツ
 本文にも書きましたが、西洋占星術のルーツはバビロニアにあったと考えられています。
 バビロニアを築いたカルデア人は、それぞれの惑星は神であり、それが全ての物事を支配していると考えていました。そしてその考えから、人間が生まれたときに、それぞれの惑星がどのような配置であったかによって、その人の運命が決まるという誕生占星術(genethlialogia:ゲネトリアロギア)を産み出しました。
ホロスコープ このバビロニアで生まれた誕生占星術が、ギリシャに伝わり宗教色を加えながらホロスコープ占星術として中世ヨーロッパで大流行し、現在に至ったわけです。伝説では占星術の生みの親のバビロニアは、神の怒りで滅ぼされたといいますが、占星術自体はしぶとく生き残って、これからも生き残っていきそうな勢いです。
 
占星術と天文学
 現在でもケプラーの法則に名を残す大天文学者ケプラーですが、その本業は占星術師。昔から天文学なんて、お金にならない学問でしたから中世の天文学者には占星術を副業(本業?)にしている場合が多かったようです。「占星術は、天文学の不肖の娘である。だが、この不肖の娘の淫売家業によって両親は養われている」なんて言葉も残っています。天文学はお金にならないけれど、占星術はお金になったようです。
 
占星術と天文学・その2
 ずっと、水金火木土星と月・太陽の7つで人の運命が決まるなんてことを言っていた占星術師たちにとっては、ハーシェルの天王星発見は「驚天動地」の出来事だったことでしょう。大慌てで天王星を組み込んだ占星術理論を作って・・・。その後この驚天動地の出来事が海王星・冥王星発見とあったわけですが、それまでいなかった神様を作らないといけないのですから大変です。神様もいい迷惑でしたね。
※記事更新履歴
初出 2001/01/05
修正 2003/08/14 (文章追加(後日追記))
 〃 2014/07/11 (画像追加)
 〃 2023/01/02 (文体等修正・画像追加)
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