黄昏時の長さ(薄明の話)
日が沈み、夜のとばりがあたりを覆うまでの間を、黄昏時(たそがれどき)といいます。また夕方の黄昏時に対して夜明け前の薄明かりの時はかわたれ時といいます。そして黄昏時、かわたれ時の薄ぼんやりした明るさのことを薄明(はくめい)といいます。
今回はこの黄昏時・かわたれ時の薄明かりについて話しをしてみようと思います。

  1. 「黄昏時」と「かわたれ時」 
    黄昏、かわたれ時は
     誰ぞ彼 (たれぞかれ) → たそがれ → 黄昏時
     彼は誰ぞ(かわたれぞ) → かわたれ → かわたれ時
    つまり「あの人は誰?」と人の顔がハッキリとわからない程の明るさ(暗さ?)の時刻を差す言葉です。
    元々は明け方でも夕方でも使えた言葉のようですが、今は
     黄昏時  ・・・ 夕方
     かわたれ時・・・ 明方
    と使い分けるようです。
  2. 薄明(はくめい)とは 
    黄昏時、かわたれ時の薄明かりの状態を薄明(はくめい)といいます。
    黄昏時右の写真はある日(2006/2/3)の黄昏時の写真です。
    日が沈んで30分程後の写真です。写真ではわかりませんが、空には星がちらりほらりと姿を現しておりました。
    このように空が明るく、その空の明かりで地上もぼんやり明るい状態を薄明と呼びます。薄明を明方と夕方で区別する場合は、
     払暁(ふつぎょう) ・・・ 明方
     薄暮(はくぼ)   ・・・ 夕方
    と使い分けることがあります。
  3. 薄明がみられる理由 
    日没後の空を見上げると、あたりは暗いのに高い雲だけが光っていることが有ります。これは地球が丸いために、地上には太陽の光が届かない状態でも高いところには日の光が届いているために見られる現象です。

    左に示した2枚目の図が薄明が見られる理由を模式的に表したものです。薄明の原理 図の「薄明」と書いた薄紫の領域が薄明の領域です(模式図ですから、かなり誇張しております。悪しからず)。

    図の「薄明」地帯では太陽は地平線下にあって直接太陽の姿を見ることは有りません。しかし頭上を眺めてみればまだ空には太陽の光が当たっています。
    太陽の光は地球大気によって散乱(レイリー散乱)されます。散乱された光は四方八方に向かいますから、その一部が地上へも降り注ぎ、このためうっすらと明るい状態が続きます。

  4. 薄明の区分 
    薄明についていくつか書いてきましたが、その薄明、最初から最後まで同じ明るさではありませんね。
    明方の薄明なら、真っ暗な夜からほんの少し明るくなり、だんだんと明るさを増して日の出を迎えます。夕方はこの逆。

    薄明は、この明るさの違いによって3つの区分に分けることがあります。その区分は次の表のように定義されています。

    呼び名伏角区分明暗状況
    常用薄明
    (市民薄明)
    日出没〜6°明るい戸外での活動に支障の無い明るさ
    航海薄明6°〜12°やや暗い1〜2等星が見え、地平線や水平線も識別できる。
    天文薄明12°〜18°かなり暗い星座を形作る星の大部分が見える。
    空にはかすかな明るさが残るのみ。
    18°〜暗い条件の良い場所では6等星が見える。
    ※注 伏角(ふっかく)は地平線下の角度。この場合は、太陽の中心が地平線か何度にあるかを表す。

    薄明の区分は本来はその明るさによって行われたものです。ですから当日の天候によっては早かったり遅かったりということになりますが、それではそのときになってみないと解らないことになって不便きわまりないので、目安として区切りの良い伏角で区分けしたものです。
  5. 夜明けと日暮れ 
    「夜明けは何時頃かな?」

    と尋ねられたとき、この答えとして日の出の時刻を答えることがあります。まあ、そういえないこともありませんが、我々の感じる夜明けと日の出の時刻は同じものでしょうか?
    夜と言えば暗いものですが、日の出の瞬間まで真っ暗というわけではありません(そう、薄明がありますね)。
    素朴な「夜明け」のイメージは空が白み始め、辺りの景色が見えるようになった時ではないでしょうか。

    江戸時代の庶民は一日を
     「明六つ」
    に始まるとしていたのですがこの明六つとは日の出ではなく、腕を伸ばして自分の手のひらを見たときに、筋の太いものが2、3本見えるくらいの明るさとなる時だったと言います。我々の「夜明け」の感覚も大体同じようなものではないでしょうか。

    この「明六つ」は上で書いたとおり本来は明るさによって定められたものなのです。とはいうもののそれでは計算できないのは薄明の区分で書いたのと同じこと。ということで貞享暦以来、薄明の区分のように「明六つ」は
     「太陽の中心の伏角が7°21′40″となった瞬間」
    と計算されるようになりました。

    まあこの辺りが我々が「夜明け」と感じる辺りのようです。夜明けが有ればその反対には日暮れがありますが、これも同様で夕日が沈み上記の伏角に達した瞬間が日暮れの時刻と考えられます。

    ちなみにこの「夜明け」「日暮れ」の時刻に関しては国立天文台が刊行している暦象年表やそれを収録した理科年表の暦部には東京での計算値が掲載されています。この計算値は上記の貞享暦で定められた伏角に太陽中心が達した瞬間の値です。
    理科年表、よく見るとおもしろいことがいっぱい書いてあるんですね。
  6. 黄昏時の長さ 
    薄明時間薄明の起こる理由や、その区分を説明してきましたが、薄明の長さとはどれくらいなものでしょうか。それを計算した結果が次のグラフです。
    このグラフは日出没の瞬間を0として、前述した薄明の区分となる太陽伏角までの時間の長さを表したものです(夜明けなら、日出前を。日暮れなら日没後の時間を表しています)。

    横軸は、1年のうちのいつ頃かを示すため、それぞれの月の始めの位置(「2」なら、二月始めという意味)を表しています。

    見てのとおり、薄明が継続する時間というのは季節によって変化します。皆さんも実際の経験でそれを知っていることと思いますが、夏至の頃は薄明の継続時間は長く、冬場は夏に比べると短めです。
    そして最も薄明の継続時間が短いのは春分・秋分の頃。

     「秋の日はつるべ落とし」

    とはよく言ったもので、秋は日が沈んでから暗くなるまでが早いのです(その割には、春の日は・・・とは言いませんが)。

    グラフは、北緯35度での計算結果です。二至二分(冬至・夏至・春分・秋分)頃のそれぞれの薄明の長さを数字で書けば、

    北緯35度での薄明の継続時間(単位:分)
    時期常用薄明夜明・日暮航海薄明天文薄明
    冬至27.8 (0.4)35.0 (0.5)59.5 (0.8)90.4 (1.2)
    春分・秋分24.9 (0.3)31.6 (0.4)54.3 (0.7)83.9 (1.1)
    夏至29.3 (0.5)37.7 (0.7)66.1 (1.3)106.7 (2.6)
    ()内の数字は、北緯+1度あたりのおよその補正量

    北緯35度以外の場所での薄明の継続時間は?
    北緯35度との緯度の差と表中の薄明継続時間及び()内の補正量を使って、およその薄明継続時間を求めることが出来ます。

    計算例:北緯33度での夏至の頃の天文薄明の継続時間
     106.7 + (33 - 35) × 2.6 = 101.5(分)

    あまり正確な計算とはいえませんが、目安として使う程度なら十分だと思います。
    薄明の時間が知りたいというような(そんなことあるかな?)ことがあったら思い出してみてくださいね。

余 談 
至極色(しごくいろ)
払暁、薄暮の空の色は刻々と変化して行きます。何色と呼んでもとても一色の名前でその千変万化の空の色を表現することは出来ません。
様々に変化してとらえることの出来ない色の名として与えられたのが「至極色」。
とらえられない色をとらえようとする無意味な努力を放擲して、有るがままに受け入れて名付けた名前でしょうか。よい響きです。

至極色の空を眺めて、明け方のあるいは夕暮れの散歩でも如何でしょうか?
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