半夏生(はんげしょう)
半夏生(はんげしょう)
 暦に書き込まれた言葉の中には、意味のよくわからないものがあります。少々怪しげな雰囲気を醸し出す言葉もあります。今回取り上げた

 半夏生 (はんげしょう)

もなんだかとっても怪しげな言葉。でもあらかじめ断っておきますがこの「半夏生」、言葉の雰囲気は怪しげですが、歴とした七十二候の一つ、主要な雑節としても取り上げられるもので、怪しげな占い関係の言葉では有りません。ご安心を。
(「怪しげな占い関係」を期待なさった方にはごめんなさいです)

七十二候の「半夏生」
 二十四節気をさらに細分化したものに七十二候というのがあります。
七十二候は奈良時代に中国から輸入された暦に既に記載されていたものです。中国の黄河中流域の季節の変化を動植物の成長や気象といった自然現象で表したもので、一種の季節暦と言えるものです。

 半夏生ず (はんげしょうず)

はこの七十二候の一つで、二十四節気の夏至の末候。現在の暦でいえば7/1か7/2頃にあたります。
 半夏生ずって、夏が半分だけ生まれるってこと?
という印象を受ける(私だけ?)言葉なのでなんだか不思議に思えますが、これは「半夏(はんげ)」という植物が生え出す頃という意味。なんだ、そんなものか。

半夏という植物 
 半夏は、カラスビシャク(烏柄杓)というサトイモ科の植物。日当たりがよい山の端や、畑に生える植物。ちょっと見た目は変わっています。
 有毒植物ですが、生薬としても用いられる植物です(毒にも薬にもなるってことですね)。ここらで、論より証拠とカラスビシャクの写真を2枚。こんな植物です。
カラスビシャク(半夏)
カラスビシャク2 カラスビシャク


雑節となった半夏生
 二十四節気や七十二候は、日本でいくらか変わった部分があるとはいえ基本的には中国で生まれたものです。これに対して雑節は日本の生活の上で必要なものが取り入れられた日本製のもの。八十八夜や彼岸といった現在でもなじみ深い日が入っています。ではどうして、中国生まれの七十二候の一つ半夏生が、この雑節の中に加えられたのでしょうか?

田植 暦の上での半夏生は、梅雨の後期に入る一つの目安と考えられ、田植えの終了を示す日としての役割がありました。昔はどんなに遅くとも半夏生の日までには田植えを終え、それ以降には田植えは行わなかったといいます。
 天候が不順で気温が上がらず、田植えの時期がずれ込んだとしても、何とかこの日までに田植えが終えられるならば、「半夏半作」といって例年の半分の収穫は上げられるといったそうです。逆の言い方をすれば、これ以降に田植えをするようでは例年の半分の収穫もおぼつかないという意味でしょう。

 八十八夜が茶摘みの好適時期を表す言葉だったように、半夏生は稲作における田植えのタイムリミットを表す言葉として、日本の生活にはなくてはならないものとして、雑節に取り入れられたものと考えられます。

 昔は夏至から数えて11日目を半夏生としました。現在は太陽の視黄経が100度となる日とされています(どちらの方式でも7/1か7/2になりますけど)。
注: 田植えの時期の違い

 現在の感覚からすると、田植えのタイムリミットとしては半夏生はあまりに遅すぎるように思えますが、これは江戸時代以前と現在とで稲の品種がちがっている(明治時代以降に品種改良が進み、耐寒性に優れた早稲種が主流となった)ことが大きな原因と思われます。
 江戸以前の田植えは現在の田植えの時期に比べて1〜2ヶ月程遅い時期だったようで、そう考えると半夏生が田植えのタイムリミットという意味が理解できます。

 田植えが今より遅い時期だったと言うことは、たとえば旧暦五月(新暦では6月頃)を表すサツキは「早苗月」のことであり、各地に残る御田植え祭りの類の多くが現在の6月頃に行われることなどからもうかがい知ることが出来ます。

半夏生の禁忌 
 半夏生の日には
  • 天地に毒気が満ち、毒草(半夏)が生える。
  • 天から毒気が降るため、井戸には蓋をしなければならない
  • 地が毒気を含むので、この日はタケノコ、ワラビ、野菜を食べてはならない
  • この日には作物の種をまいてはならない
  • この日は竹林に入ってはならない
などの禁忌が有ります。

 どれもこれも「毒気が満ちる」を暗示した禁忌です。梅雨の最中でものがいたみやすい時期です。「ものがいたむ」のは天地に毒気が満るからだと捉えたのでしょう。
 そしてそれと符合するかのように少々怪しげな姿の毒草、半夏が生じる時期でもあるということから、その発想はますます強化されてこうした禁忌が生まれたのではないかと想像します。

 現在では迷信と笑って片づけられる禁忌の数々ですが、衛生管理の難しかった時代においては、生活の上で必要な注意事項だったのだと思います。

半夏と夏安居(げあんご) 
 仏教の世界には、夏安居(げあんご)という行事があります。
 元はインドにおいて始まった行事で、雨期で托鉢行が行えない時期には、僧は寺院等にとどまって学問に勤しんだということから、この時期を夏安居と呼ぶようになったそうです。

 日本における夏安居の始まりは天武14年(AD685年)。その期間は旧暦の4/16〜7/15の間の90日だったといわれます。
半夏生はこの夏安居の時期のちょうど中程に当たることから、「半夏」と呼ぶともいわれます(卵が先か、鶏が先かと? という議論になりそうですね)。ちなみに、お寺によっては今もこの夏安居を行っているそうで、たとえば法隆寺では

 5/16〜8/15 (新暦)

の期間をこれにあて、毎年「三経義疏」の講義を行っているそうです。
 また夏安居が終わる旧暦7/15のことを、「夏解(げあき)」とか「解夏(げげ)」というそうです。季節は既に秋ですから、夏解も解夏も秋の季語にもなっています。

(参考サイト 祭の日「法隆寺 夏安居」

半夏生の行事 
 半夏生の行事というと、あまり思い浮かぶものがありません。
 自分の実体験としては半夏生の日に何かした記憶は全くなし。

 地方によっては、
  • 半夏生に田の神を祭る・・・島根県、鹿児島県種子島など
  • 田植え後の休日・・・佐賀県、鹿児島県など
  • 畑作りの祝い日で新麦を神に供える・・・関東地方
などが有るそうです。はじめの二つは、先に書いた通り田植えの終わりの日に、田の神に豊作を願うという図式が思い浮かびます。
 また最後の畑作りの祝いは、半夏生の頃が麦の収穫時期であることから、その年の麦の収穫に感謝する行事であると考えるとわかりやすい。

 ただ、既に書いたとおり自分ではそれらの行事を実体験したことは有りません。
 そういった行事を行っている地方の方がいらっしゃいましたら、情報提供をよろしくお願いします。写真などあれば掲載させていただき、皆さんに紹介致したいので。

(2006.06.19 by かわうそ@暦)

余 談
半夏と半夏生
半夏生 暦の「半夏生」の説明をしてきた。
 その中で、植物の半夏(カラスビシャクのこと)を取り上げたが、これとは全く別の植物に

 半夏生 (ハンゲショウ)

というその名もズバリの植物がある。こちらはドクダミ科の植物なので、サトイモ科のカラスビシャクとは全然似ていない。
 こちらは半夏生の頃に花が咲き、ほぼ同時期に葉の表面だけが白くなるという白化現象を起こします。葉の表面は白くなりますが裏側は緑のまま。このことから、「片白草(カタシロクサ)」の別名を持ちます。

 半夏生の名は半夏生の頃に花を咲かせるからだとも、葉の片側だけがおしろいを塗ったように白くなることから、半化粧(はんげしょう)と呼んだのだともいわれます。
 それにしても暦の半夏生の頃に咲く、「半夏」とは違う「半夏生」があるなんて、何ともややこしい。
※記事更新履歴
初出 2005/06
修正 2022/07 (写真の追加、修正)
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