母の日とカーネーション
母の日とカーネーション
母の日
 5月第2日曜日は母の日。
 清々しい風が吹き抜ける5月となり、街の花屋さんの店先にカーネーションの花が並び始めると、母の日が近づいてきたことに気付かされます。
 既に書いたとおり、5月の2番目の日曜日となっているので年毎に日付が変わりますから、今年はいつだったかなと、一度カレンダーに目をやって確認しなくてはならない日でもあります(それが面倒だという貴方(と私自身)の為に用意したのが右の表ですのでご覧ください)。

「母の日」の始まり
感謝のメッセージ 現在、日本で祝われる「母の日」はアメリカの祝日の一つとなっている「母の日」の行事が日本に伝えられたもので、毎年5月の第2日曜日がその日と定められています。本家、アメリカにおいて「母の日」が正式に祝日の一つに加えられたのは1914年のこと。既に百年を超える歴史をもった祝日です。
 まずは、100年以上も前に祝日となったアメリカの母の日の誕生の経緯を見てみることにしましょう。

Anna Jarvis
Anna Jarvis (1864-1948)
 「母の日」の歴史は1907年、アメリカのウェストバージニア州に住むアンナ・ジャービスと言う女性が、母の命日に彼女の追悼式を開き、その式で母ミセス・ジャービスが好きだったという白いカーネーションを捧げ、式の参加者に母を偲んで一輪ずつ手渡したのが始まりだと言われています。

 彼女の母、ミセス・ジャービスは早くに夫を失い、残された娘二人(そのうち一人は盲目だったと云います)を苦労して育て上げました。また彼女は敬虔なメソジスト派のキリスト者でもあり、26年にも渡り教会で日曜学校の教師を努めた程でした。
母を亡くしたミス・ジャービスは苦労して自分たち姉妹を育ててくれた母(過労による死だったとも伝えられています)の恩を忘れず、母の徳を偲ぶためにこのような会を開いたと云います。

 カーネーションを参列者に手渡したのは、生前のミセス・ジャービスが日曜学校で「母の恩の深さを人々に悟らせる方法を考えましょう」と話していた事を思い出し、母の恩を母の愛したカーネーションに込め、この花に母の恩の深さを象徴させたものと思います。
  • 「母の日」の広がり 
     ミス・ジャービスの追悼会の模様が噂となり、米国初の百貨店経営者として知られた実業家であったジョン・ワナメーカーもこの話しを知りました。
     母の日の主旨に賛同したワナメーカーは翌1908年に、早速自分の経営するシアトルの百貨店で「母の日」の催しを行い、ミス・ジャービスの行いを盛んに顕彰し、これが徐々に全米に広がって行きます。この年の催しにおいては、ミス・ジャービスの提案で、母の存命する者は赤いカーネーションを、母を亡くしたものは白いカーネーションを胸に付けるようになったと云い、これが慣習化して今の母の日まで受け継がれています。
  • 「母の日」の祝日化 
     ミス・ジャービスは、当時の有力政治家に手紙で「母に感謝する日を祝日にすること」を訴え続け、これがウィルソン大統領にまで伝わるところとなり、大統領からの提案という形で「母の日」を祝日にする事が議会に提出され、1914年に正式に祝日として認められることになりました。
     この点については、ウィルソン大統領もまた牧師の家庭に生まれ育った敬虔な信者であったという事も、幸いしたのかも知れません。

「母の日」とカーネーション 
 母の日とカーネーションの関係については先に、提唱者のアンナ・ジャービスの母が好んだ花としましたが、それだけではなさそうです。
  • キリスト教とカーネーション 
    赤と白のカーネーション イエス・キリストが十字架にかけられた日、それを見送る母マリアが流した涙の跡に、一輪のカーネーションが咲いたと云われています。この故事から、キリスト教徒にとってカーネーションは「母と子」の関係を象徴する重要な意味を持つ花となったのです。
     ちなみに白いカーネーションは、十字架にかけられる前のイエスとマリアを、赤いカーネーションは復活したキリストをそれぞれ象徴すると云います。
     敬虔なキリスト者であったジャービス母子がこの故事を知らないはずは無く、母の日の花としてカーネーションを選んだのは、単なる思いつきでは無かったようです。
  • 神聖な花 
     実を云えば、カーネーションはキリスト教以前から既に神聖な花とされていたようです。
     カーネーションの原産地は地中海沿岸域だと考えられています。そのため、地中海沿岸のギリシャでは古くからこの花は様々な行事で使われたようです。ゼウスの祭りには、この花で作った冠をかぶる習わしがあったとか。また、ギリシャの文明を継いだ古代ローマではカーネーションを「ジュピターの花」と呼んでいたそうです。
     現在の花の名前、carnationは王冠を意味するcorona(コロナ)に由来すると考えられます。その花形が王冠の形に似た花と言うことです。またこの花で冠を作ることもあり、これもまたコロナと呼ばれたそうです。花自身はcoronation(コロネーション:戴冠式の意味)と呼ばれ、これがなまってcarnation(カーネーション)となったようです。
日本における「母の日」 
母娘  日本において母の日は、キリスト教教会を中心として徐々に広がったと云いますが、定着したのは戦後の昭和24年頃と云われています。
 元々カーネーションは、母の恩を忘れないように自分の胸に飾るものでしたが、何時の頃からか「母に贈る花」になってしまいました。これはやはり一人に一輪より、一人に花束一つの方が、花屋さんには都合が良いというような実利的な問題からの変化でしょうか(考えすぎ??)。
 余 談
日本のもう一つの母の日
 祝日法に書かれた文面を読むと5月5日の「こどもの日」は、日本における「母の日」なのじゃないかと思えます。法律の文面に書かれたこどもの日の意味は、
 「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、
  母に感謝する」
どう思いますか?(端午の節句でも若干触れています)。
 
丈夫な花のように
 母の日の記事を書く上で手頃なカーネーションの写真が手元になく、花屋さんで赤と白のカーネーションを購入して来て撮した写真が、文中に登場するもの。1週間たった今も、次々に蕾が開き、私の部屋を飾ってくれています。
 これを書いている時点(2002.4.28)では、私の母は健在。願わくは来年も再来年も、赤いカーネーションを飾れますように。
※更新履歴
初出 2002/04/28
更新 2020/09/22 画像追加
更新 2022/04/28 画像追加、修正。解説文の一部修正。
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