上巳の節供(桃の節供・雛祭り)
上巳の節供(桃の節供・雛祭り)
 三月三日は「桃の節供」あるいは「雛祭り」。五月五日の端午の節供が男の子の節供といわれるのに対して、こちらは女の子の節供とされています。
 ちなみに、節供は現在は「節句」という文字を使う多いのですが、元々は節日に供する供御を表す言葉で節供と書くのが本来でしたので、こよみのページでは基本的に「節供」の文字を使うことにしています。

桃の花 この節供は江戸時代には五節供として、法制化された式日(当時の祝日みたいなもの)の一つでした。

 現在の三月三日では桃の花には早すぎるようですが、旧暦でいえばもう少し遅い季節になりますので、桃の花の季節としてはちょうどよい時期だったでしょう(これを書いている2001年でいえば新暦3/27です)。

 さて、現在では三月三日の節供といえば「桃の節供」あるいは「雛祭り」という呼び名が一般的ですがこの節供、元々は「上巳の節供」あるいは「元巳」といいました。「上巳(じょうし)」とは三月の上旬の「巳の日」という意味で、三日に固定されていたわけでは有りません(2001年だとこれに当たる日は新暦3/31)。「元巳(げんし)」も同様で暦月の最初の巳の日という意味です。この節供が現在のように三月三日という日付に固定されるようになったのは中国の三国時代の魏(AD220-265)の国でだったといわれます。
 日付が固定されてからは三月三日と「三」が重なることから「重三(ちょうさん)の節供」ともいわれるようになりました。

 古代中国では上巳の節供には河で禊ぎを行って穢れを落としました。この禊ぎ行事のことを上巳の祓(じょうしのはらえ)といいます。河での禊ぎが終われば、その後には宴を張ります。こうて中国で生まれた上巳の節供の慣習が奈良〜平安時代の日本に伝わり、貴族階級に取り入れられたのが日本での桃の節供の始まりです。

流雛 ところがどうしたことかというか、幸いにもというべきか、日本においては河での禊ぎは行事は一般化せず、その代わりにこの日には、紙などで作った形代(かたしろ・人形)で体をなで、これに身の穢れを移して川や海へ流すという日本独特の行事が生まれました。今でも流し雛というこの行事が各地に残っています。

 さてこの形代ですが、その始まりは紙を人の形に切り抜いたような本当に質素な(簡易な)ものだったのですが、いつの頃からか公家や上流武家の間で、この形代を上司への贈答の品と贈るようになりました。こうなると質素な形代は次第に豪華な人形へと変化し始めました。
立雛 こうして始めは川に流してしまうはずだった形代でしたが、次第に流してしまわずに家に飾っておくようなものも作られるようになってゆきました。また一方で、公家の子女が「雛遊び」として人形や小型の調度品を並べて遊ぶままごと遊びを行うようになり、この両者が融合して現在の「雛人形」への道を歩むことになりました。雛人形を川に流すことなく家に飾ることが主となったのは室町時代頃といわれます。

 貴族や上流武士の間で行われていた上巳の節供の習慣が、一般の庶民に浸透し始めたのは江戸時代のことだといわれます。一般庶民(ことに農民)にとっては桃の節供を過ぎると秋の収穫期まで続く農作業の季節となります。楽しみの少ないこの時代、これから始まる辛い労働に備えて十分に休養をとり、また楽しく遊ぶという意味で「磯遊び」「浜下り」という磯や砂浜で潮干狩りなどして楽しんだといいます。おそらくこの日に行われた浜遊びには、この節供に元々あった「水に入って禊ぎする」という意味もあったのでしょう(意識していたかどうかは別として)。もちろん旧暦の三日といえば、海の潮は大潮に近く、潮干狩りにはもってこいの日であったという現実的な理由もあったとは思いますが。
 なお、現在でも桃の節供には蛤を食べる習慣がありますがが、これなどは昔の磯遊びの名残なのでしょう。古くからの節供行事はその内容を見てゆくと、その節供が生まれてからたどってきた様々な出来事が姿を変えながら残っていることに気づかされます。

後日追記 雛祭りと蛤(はまぐり)
 貝合わせの遊びがあるように、蛤の貝は他の貝とぴったり一致することがないことから貞操を、水の汚れを嫌うことから純潔を意味すると考え、女児の節供を象徴とされたともいわれます。

 現在の雛人形の形は元禄時代にほぼ完成したといわれます。この時代は庶民の経済力が著しく増した時代で、経済的に余裕の出来た庶民が競って豪華な雛飾りを作るようになり、雛壇に沢山の人形を飾る者も現れ、現在に至っています。

雛人形の左右の配置・関西方式と関東方式について
 現在、関東では向かって左が御内裏様(親王:男)、右が御雛様(内親王:女)。関西では反対となっているそうです。
 お雛様が親王と内親王だとすれば、お二方は南を向いて座ります。そして男性であるお内裏様は東側、女性であるお雛様は西側に座るのが古くからの東洋的な配置となります。
関西風の雛飾り これには陰陽説による考え方が関係します。陰陽説によれば男性は「陽」、女性は「陰」の徳を持つとされており、東西では東が「陽」、西が「陰」であることから、男性が東側(向かって右側)、女性が西側(向かって左側)となります。こう考えると向かって右側にお内裏様がくる関西の方式が日本の古来からの方式と考えられます。
 これに対して関東方式は、明治以降に流れ込んできたヨーロッパ等の習慣にあわせて女性を向かって右に配する方式を日本の皇室が採用した(西洋式の行事について)ことから、東京の人形商協会が向かって右を女性、左を男性の配置を正式すると決定したためだそうです。 関西方式と関東方式というか、和式と西洋式ってことでしょうかね?

 さて最後に、なぜ上巳の節供が桃の節供と呼ばれるようになったのかです。
 上巳の節供以外の五節供にもそれぞれその節供の季節を代表する植物と結びついいた異称があります。上巳の節供においてはそれが桃の花でした。桃については旧暦当時の三月を代表する花であるということ、桃は「女性」を思い起こさせる花であるということから女の子の節供には「桃の花」となったのでしょう。桃の花が女性を象徴するという考え方は古くからあり、中国の周の時代に成立したといわれる詩経に残る王が佳い嫁を探す歌がの中に既に「桃の花のような女性」と謡われています。こういった古典に親しんでいた平安貴族にとって女性の節供の花は桜でも梅でもなく「桃」だったのでしょうね。

【参考記事】
今回の話と関係する記事を他にも書いておりますので、合わせてお読みいただけるとうれしいです。

余 談 
桃の節供に菜の花
菜の花 季節の花ということで、ポピュラーであること、春をイメージさせる暖かい花であるためか、桃の花の他に菜の花を飾る習慣もあります。
 一説には、菜の花は早世した子供達を偲んで手向けたものものだともいいます。これは菜の花の種から菜種油を取ったことから、菜の花をお灯明を意味するものと考えたからのようです。
 なんだかちょっぴり切ない話です。
節供過ぎの雛人形は縁起が悪い?
 「節供が過ぎたら雛人形を早く片づけないといけない」とか「節供を過ぎたら雛人形を早く片づけないと婚期を逃す」といった話を聞いたことは有りませんか?
 婚期については、まあ大きなお世話だといえなくもないのですが「早く片づけないとよくないことが起こる」という考えには理由があります。
 本文でも説明したとおり、雛人形のルーツである形代(人形)は身の穢れを移してこれを流し穢れを祓うためのものでした。本来なら穢れを移しこれを流すことによって、自分自身の穢れを祓い禍を遠ざけるためのものですから、その人形をいつまでも飾っておくことは穢れと禍をいつまでも身近に置くのと同じです。ですから、早くしまわなければならないと考えられたわけなのです。
 なんだか、褒められたりけなされたりみたいで、お雛様には迷惑な話でしょうね?
草餅の節供と菱餅の話
 桃の節供は別名、草餅の節供。草餅づくりに欠かせない蓬(ヨモギ)の若芽が出る頃でしょうか。雛飾りに添える菱餅は現在は白餅・草餅・桃色の餅の三色というのが定番のようですが、こうなったのは明治に入ってからとのことで、それ以前は白い餅と緑の餅。もちろん緑は草餅の色です。ただし、この草餅の「草」には元々は蓬ではなく、母子草(ハハコグサ、春の七草の御形のこと)だったそうです。
 草餅の話ついでに、なぜ雛祭りの餅は「菱餅なのか」にもふれれておきましょう。
 これは、このの節供が生まれた中国の古代の陰陽説が関係します。万物を陰陽に分けて考える陰陽説では男女を

菱餅 男性 ・・・ 陽性、天の徳
 女性 ・・・ 陰性、地の徳

を有するものと考えました(昔は天皇陛下の誕生日を「天長節」、皇后陛下の誕生日を「地久節」と呼んだのも、この考えから)。そして中国の人々は「天は丸い形をしている」「大地は四角い形をしている」と考えていたことから、女児の節供には女性の地の徳を象徴するものとして、四角い菱餅を供えたのでした。いろいろ、意味があるものですね。

川での禊ぎが日本で定着しなかったことについて(個人の感想)
 個人的にはこれは嬉しい。だって3月下旬〜4月上旬といえば水ぬるむ頃とはいいながらも川の水はまだまだ冷たい。冷たい水で禊ぎしなくちゃいけないなんて、辛いですからね。
※雉更新履歴
初出 2001/02
修正 2005/02 (後日追記 3件追加)
修正 2018/02/13 (記事の一部修正、画像1件追加)
修正 2023/03/1 (記事の一部修正、画像1件追加)
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