社日・住む土地の神に感謝する日
社日・住む土地の神に感謝する日
社日とは 
 社日とは暦では雑節と呼ばれるものの一つで、その名に「社」が付くことで想像できるとおり、神社に関係のある日です。
 土地の神である「産土神(うぶすながみ)」を祭った神社にお参りして五穀を供えて春には豊作を祈り(春社)、秋にはその年の初穂を供えて収穫に感謝する(秋社)といった行事が行われます。
土地を守る身近な神様
鎮守の森
 日本では各地に鎮守の森の村社のような身近な神社があるものですが、そうした神社にはその地を守る産土神が祭られています。
 社日は、そうした土地の神にその地が豊かな実りを産み出す事を祈り、そして得られた実りに感謝する行事です。
 暦に見られる節気や暦注の中には中国生まれのものが多く含まれます。この社日もまた元々は中国で生まれたものです。中国生まれのこの暦注が日本に伝来し、雑節の一つとして扱われるようになりました。

 古代中国では社日には人々が集まって一緒に飲食する習慣がありました。場所が日本に変わっても、祖先から代々同じ土地で農耕を営む生活を送る者にとって、自分たちの生活を支えてくれる土地に愛着を持ち感謝の念を抱くのは当然です。おそらくは、その地を守る祖霊や神々を祭るという行事は社日伝来以前の日本にもあったと考えられます。そこによく似た考えから生まれた社日という暦注が伝来してきたわけですから、これを受け入れることに大きな抵抗はなかったでしょう。暦の暦注として社日が伝来してからは、中国で行われていた行事とそれまで日本独自に行っていた土地の神を祭る行事とが混交し、日本の社日行事が形成されたと考えられます。

田の神様・山の神様 
 産土神は元々はその地の守護神ですが、社日に見える産土神は守護神というよりその土地の生産力を司る神の意味が強いようです。生産に関わる農業神としては日本には田の神・山の神信仰がありますが、田の神・山の神と産土神とは、生産に関わる神という点での結びつきが見られます。
農地を見守る田の神様
農地を見守る田の神様
 田の神・山の神と書きましたが、両者は別々のものではなく、田の神様は同時に山の神様でもある同一の神で、春になると山から里に下りて田の神となり、収穫が終わる秋には山へ帰って山の神となるというものです。
 農業が主要な産業であった日本ではこの田の神・山の神を信仰し、これを祭る多くの年中行事がありますが、中国から渡って来た社日の行事も土地の神を祭る行事でしたから、土地の生産力を司る田の神信仰と結びついて、春社は田の神迎えで、秋社は田の神送りの行事と考えられるようになりました。かつては、社日には田の水口に榊を立て、御神酒を供えて田の神を祭る行事などが行われていたようで、こうした行事を行う社日は農作業の始まりと終わりの時期を知る一つの目安とされたのでした。
 現在でも地域によっては、社日に農業神である「地神(じじん)」を祭る行事が行われています。そうした地域には町内の家々で構成される地神講があり、社日には当番となった家に集まって地神像を描いた掛け軸に供え物をするとか、「地神」と刻まれた石塔に供え物をするなどの行事が行われます。

社日の日取り 
 社日の日取りは、春分、秋分の日に最も近い戊(つちのえ)の日です。
 春分、秋分の日に最も近い戊の日とあることでわかるとおり社日は春と秋の二度あり、春と秋の社日を区別する場合には、春の社日は春社(シュンシャ)、秋の社日は秋社(シュウシャ)と呼びます。
 社日が「戊の日」に行われる理由は、十干の戊が五行説では土の徳を備えたものとされること(つちのえ:土の兄)から、土の霊力を祭る日として選ばれたものと考えられます。
五行木性火性土性金性水性
干支 甲(木の兄)
乙(木の弟)
丙(火の兄)
丁(火の弟)
戊(土の兄)
己(土の弟)
庚(金の兄)
辛(金の弟)
壬(水の兄)
癸(水の弟)

 社日は、春分・秋分の日に最も近い戊の日とすると書きましたが、こうすると時々困ったことが起こります。それは、春分・秋分の日が
 癸(みずのと:水の弟)の日 
になってしまった時です。春分・秋分の日が「癸」にあたると、この日の前後の戊の日がどちらも 5番目になってしまうので、どちらを社日とするかという問題が発生するのです。
春分の日が「癸」の例
-5-4-3-2-1春分+1+2+3+4+5
 こうした問題が起こると、暦注の類いではよく「流派によって日取りが異なる」なんていう問題が生まれるのですが、幸いなことに、渋川春海が作った日本初の日本独自の暦、貞享暦には、こうした場合は「直前の戊の日を社日とする」という規定がありますので、こよみのページではこの規定を採用して、こうした場合は直前の戊の日を社日としています。

社日の日取り・その2 1874(明治14)〜1926(昭和21)年
 前述した「春分・秋分の日が『癸』にあたるとき」について、1874(明治14)〜1946(昭和21)年の官暦では貞享暦とは違った撰日法をとっていたようです。どのようにしていたかというと

 春分の日・秋分の日が「癸」にあたるとき、春分・秋分の瞬間が
 午前中なら直前の、午後なら直後の戊の日

を社日としていました。
この撰日法と前述した貞享暦の撰日法とでは73年間で
1874(秋社),1881(春社),1895(秋社),1902(春社),
1916(秋社),1921(春社),1937(秋社),1942(春社)
の8回、社日の日付が異なります。

計算方式で日付が異なる社日の
日付(範囲 2000-2070年)
西暦年春社秋社分点
時刻
貞享暦その2貞享暦その2
2005 3/15 3/25 21.6時
2019  9/18 9/2816.8時
2024 3/15 3/25 12.1時
2026 3/15 3/25 23.8時
2040  9/17 9/2718.8時
2045 3/15 3/25 14.1時
2061  9/17 9/2720.5時
2066 3/15 3/25 16.3時
1947(昭和22)年以降、公的な暦のデータとなる官報の暦要項の雑節から社日が消えてしまいましたので、どのような撰日法を使うべきかについては、はっきりしません。そのため従来は貞享暦方式のみで社日を計算していた当サイトでしたが、念のためここに記した「その2」の方式の日付も暦の雑節で参考表示するようにしました(2023年から)。

ちなみに近年(2000〜2070年)で貞享暦方式とその2方式とで日付が異なる年について、それぞれの日付を記したのが右の表です。参考として御覧ください。

社日の禁忌 
 社日は元々土地の神様、また農耕を司る「土の神様」の日と考えられますから、この日に土をいじる、掘り起こすなどの行為を忌む風習があります。土いじりは神様の歩行を妨げるとか、土掘りは神の頭を掘ることだとか考えられたようです。
 また、この日には婚礼や神事についても禁忌があり、避けるとのこと。理由はこの日は男神が妻の神が気に入らず離別する日だからとか。「何言ってるんですか」と言いたい理解不能の理由ですが、迷信の類いなんて、こんなものかな? まあ、あまり気に病まないように。

たまには近所の神社にお参りに 
 さてさて、時期的に均質してしまっている彼岸の行事に呑み込まれてしまっている感があり、影の薄い社日ですが、近所に神社があるならこの機会に立ち寄って、土地の守護神にお参りしてみては如何でしょう。守ってくださる身近な神様にご挨拶するのは気持ちのよいものですし、立ち寄った神社で何か新しい発見もあるかもしれませんしね。
 「でも、春分・秋分に近い戊の日なんていつだか解らないよ!」
という方は、こよみのページの

 暦の雑節 (http://koyomi8.com/zassetsu.php)

で社日も含め各種の雑節の日付が計算できますので、お使いください。
余 談
ツバメと田の神様
ツバメ「ツバメは田の神を背に負ってくる」という言葉があります。
そういえば、暦には田の神の去来する社日に近い時期の七十二候に
 4/ 4頃 玄鳥至る(つばめ いたる)
 9/17頃 玄鳥去る(つばめ さる)
があります。本当だ、ツバメの去来と田の神様の去来は同じ頃なんですね。
ツバメを見たら、その背中に乗った神様がいないか注意してみましょう。
※記事更新履歴
初出 2020/09/21
更新 2024/03/22 社日の撰日法の「その2」を追加
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