夏越の祓(なごしの はらえ)
夏越の祓(なごしの はらえ)
夏越の祓 六月の晦日は一年の前半の最後の日、一年の折り返しとなる日です。この日には半年の間に身にまとわりついた穢(けが)れを祓う「夏越の祓(なごしのはらえ)」が行われます。
 日々の暮らしの中で、私達はさまざまな罪を犯しています。物を粗末に扱ったり、神仏を敬わなかったり、邪な考えを抱いたり。そんな罪を犯すたびにそれは穢れとなって、その身につき、やがては疫病や思わぬ災難という形をとって我が身に返ってくる、私達の先祖はそう考えました。そして、穢れがそうした禍の形をとる前に、穢れを祓い清める必要があると考え、穢れを祓う「大祓(おおはらえ)」という行事を行うようになりました。

大祓の時期 大祓には、六月晦日に行われる「夏越の祓」と大晦日に行われる「年越の祓」の二つがあります。二つの大祓は、天武天皇の時代に朝廷が行う公式の行事として定められたものでしたが、年越の祓の方は早い時期に廃れてしまい、現在はもっぱら夏越の祓だけが行われています。
 現在の暦では六月はまだ夏の初め、あるいは夏の直前の月のように感じますが、旧暦の時代の六月は夏の終わりの月とされていましたので、この月の終わりに行われる大祓えは夏を過ぎ越える日の大祓えという意味で「夏越の祓」と呼ばれました。文字で表す場合、昔は「名越の祓」と書きました。この「なごし」という言葉は神意を和らげる、「和す(なごす)」が由来だと考えられています。
 夏越の祓はまた、「水無月の祓」とも呼ばれます。これは夏越の祓が六月(水無月)晦日に行われた大祓であることから生まれた呼び名です。

※日付について 
 夏越の祓は、六月の晦日に行われる行事ですが、こうした日付に固定された行事の多くがそうであるように、夏越の祓も新暦の六月三十日に行うところあり、旧暦の六月晦日や月遅れの日付で行うところありと、やや混乱した状態にあります。皆さんのお住まいの地域の夏越の祓がいつかということに関しては、申し訳ありませんが、ご自分でお確かめ下さい。
  • 夏越の祓と茅の輪くぐり 
     夏越の祓の行事というと思い出されるのが「茅(ち)の輪くぐり」です。
     茅(ちがや)で大きな輪を作り、この茅の輪をくぐることで病気や禍を免れようと言う神事です。茅の輪くぐりによって、病気や禍を免れるという行事は「備後国風土記」の逸文の素戔嗚尊(すさのおのみこと)と蘇民将来(そみんしょうらい)の故事から生まれたものです。
    素戔嗚尊と蘇民将来 
    昔、武塔(むとう)の神と名乗る神が旅の途中にある村で一夜の宿を請いました。その村に住む蘇民将来と巨旦将来という兄弟のうち、裕福な巨旦将来は断りましたが、貧しい蘇民将来は武塔(むとう)の神を迎え入れ、精一杯の歓待をしました。
    蘇民将来の歓待を徳とした武塔の神は旅の帰りに再びこの村に立ち寄り、自分が素戔嗚尊であることを明かし、蘇民将来とその家族には、印として茅の輪を作り腰に結びつけておくようにと言い置いて去って行きました。
    素戔嗚尊が去ると村は疫病に襲われ、茅の輪を身につけていた蘇民将来とその家族だけを残して、村人は死に絶えてしまいました。

    茅の輪くぐり(1) 多くの病気の原因が細菌やウィルスであることなど考えもつかなかった時代には、病気は自分たちの悪い行いの報いとして下された神罰の一種と考えられました。医療技術が未熟であった時代の病気は、今の私達が思うより遙かに恐ろしい禍だったでしょう。ことに大勢の人が次々に病気に罹ってしまう伝染病はとりわけ恐ろしいものだったと考えられます。
     衛生状態がよくなかった時代には、夏は伝染病が発生しやすい時期でしたから、伝染病という恐ろしい神罰が下ることのないようにと、自分たちの身に付いてしまった穢れを祓い、神意を和らげるために夏越の祓は行われました。
     夏越の祓の茅の輪は、疫病を怖れ、これを避けたいと願った人々の思いのこもった、疫病よけの霊力の象徴なのです。

     なお、茅の輪くぐりには作法があり、
     「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延というなり」

    と唱えながら、先ず左足から踏み入れ 、
      左回り → 右回り → 左回り
    と、「∞」の字を描くように 3度くぐるのが正しいのだそうですが、地域や神社によっては多少作法が異なることもあります。もっとも、茅の輪くぐりの茅の輪を作っているところには、大概この作法の説明書きがあると思いますので、それに従って輪をくぐって下さい。
  • 形代(かたしろ)流し 
     夏越の祓で茅の輪くぐりの他に行われるものに、形代流しがあります。紙で作った形代(かたしろ、人形)に姓名・年齢を書いて、これで体を撫で、自分の穢れをこの形代に移して川などに流す行事が形代流しです。
     夏越の祓に行われる形代流しは、紙の形代の代わりに藁の人形を使うといった具合に、多少のやり方の違いはありますが、行事そのものは各地で広く行われています。
    形代流し 夏越の祓以外にも、穢れを祓う行事には同様に形代流しを行うものがあります。例えば、雛祭り。雛人形の旧い形であると考えられる流し雛なども、形代流しから発したものだと考えられています。形代に穢れを移して河に流すという行事は、本来は穢れを祓う本人が川や海の水に浸かって禊ぎ(みそぎ)を行ったことが形式化したものと考えられます。
     穢れを祓うためとはいえ、みんながみんな冷たい水で禊ぎをするのは大変ですから、代わりに形代達に頑張ってもらいましょうということですね。
  • 閏六月がある年はどうする、夏越の祓? 
     新暦では6月が2度ある年なんて有り得ませんが、旧暦ではそんな年もあります。六月の後にもう一度、閏六月がやって来ることが。
     さて、夏越の祓は六月の晦日に行われますが、旧暦時代で閏六月がある年の夏越の祓は六月に行ったのか、閏六月に行ったのか?
     昔の人も悩んだらしく、悩んだあげくにこうしたことの専門家、陰陽師に尋ねたという話が吾妻鏡に登場します。その「専門家」によれば、

      夏越の祓は夏の終わりの日の祓えなのだから、
      閏月であっても六月は六月であり
      夏の内であるから閏六月に行うべきだ

    余分なもの(閏月)があると、余分な悩み事も増えるようですね。
茅の輪くぐり(2)そろそろ茅の準備? 
 この記事を書いているのは2014/6/23。
 新暦の日付で考えると六月の晦日まで、あと一週間。
 先週末、歩いていると街中の小さな神社の参道に「夏越の祓」という幟がはためいていました。ここ、東京では夏越の祓は新暦の日付で行われます。
まだ茅の輪の準備はされていませんでしたが、今週末にはひょっとしたら、竹枠くらい設えられているかも知れません。茅の輪ができたら、今年もきっと大勢が輪をくぐり、さまざまな穢れを祓い落とすことでしょう。その大勢の中には、蘇民将来の子孫もいるかも知れませんね。
余 談
蘇民将来の子孫繁栄中
 茅の輪にまつわる、蘇民将来の故事の説明をしましたが、あの故事をよく読むと、茅の輪は蘇民将来の一族の徴(しるし)として使われています。素戔嗚尊は蘇民将来の一族を疫病から守るため、一族のものだとわかるように茅の輪をつけさせています。ということは茅の輪がなくても、「蘇民将来の一族」だとわかればいいわけです。
子孫繁栄? そんなわけからでしょうか、茅の輪ではなくて、

  「蘇民将来子孫」という札

を玄関にかける地方(長野など)もあるようです。茅の輪も蘇民将来札も「私は疫病を免れると約束された蘇民将来の子孫です」という徴です。夏越の祓の頃になると、蘇民将来の子孫を名乗る人がどっと増えるわけですね。
 蘇民将来も自分の子孫のあまりの多さに、きっとたじろいでいることでしょうね?
※記事更新履歴
初出 2014/06/25
修正 2014/06/28 (図の追加)
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