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「桃」じゃ無かった桃の節供の花
   今回の話は桃の節供(上巳の節供、雛祭り)にまつわるあれやこれやの話の中から、桃じゃなかった桃の節供の花の話です。

この話は「桃の節供」の説明記事から、こぼれ落ちてしまった桃の節供の話の一つです。桃の節供自体について知りたいという方は

 桃の節供(桃の節句・雛祭り・上巳の節供) 
 http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0726.htm

にまとめて説明しておりますので、そちらをご覧下さい。

桃の節供三月初めにある年中行事といえば、誰しも頭に浮かぶのは雛祭り。
別名「桃の節供」。
(節供の名前としては「上巳(じょうし)の節供」というべきところですが、この本来の名前の認知度は少々低いですね)

節供には、その節供行事と結びついた節供植物があります。
桃の節供と結びついた植物といえば、その呼び名を見れば分かるとおり「桃」です。今では当たり前の話ですが、上巳の節供の行事の源流をたずねて遡ってみると、この節供と結びついていた植物は桃では無かったようです。

  • 「桃」じゃなくて「蘭」? 
    上巳の節供と思われる行事については紀元前9〜7世紀に成立したと考えられている中国の詩経の中に

      「三月上巳に蘭を水上に採って不祥を祓除く」 (詩経鄭風)

    として既に登場しています。紀元前9〜7世紀といえば、今からざっと3000年近く昔のこと。中国四千年の歴史といいますが、その四千年の歴史でも大分初めに近いところから、上巳の節供行事はあったようです。

    さて問題は、この3000年近く昔に詩経に書かれた「三月上巳に蘭を水上に採る」です。上巳の節供の説明に登場した植物は「桃」ではなく「蘭」でした。
  • 蘭は藤袴 もっともこの蘭は我々の考える蘭ではなくて藤袴(ふじばかま)のことだと考えられています。藤袴と言えば秋の七草の藤袴ですが、藤袴は蘭に似た芳香を放つ植物なので、蘭の仲間と考えられたのかもしれません(花は似ても似つかないものですけれど)。

    「蘭」の今昔
    蘭藤袴
    「今」の蘭
     
    「昔」の蘭? 藤袴
    花期は夏〜秋
    芳香を放つ草は悪いもの、禍々しいものを祓う霊力があると考えられていたことから、これはそうした不祥を祓う行事だったのでしょう。
    また「水上に採る」とは「水辺で採る」の意味です。水辺というのは水による穢れ祓い(禊ぎ)の際にこうした芳香を放つ草をその近くで調達したと言うことでしょう。

    端午の節供と関係の深い菖蒲もまた、芳香を放つ水辺の植物ですが、これも節供が邪気を祓う行事であって、その呪術的な道具として芳香を放つ水辺の植物が使われたことを示しています(藤袴の花は夏から秋にかけて咲きますから、上巳の節供の頃の藤袴は、花ではなくて、ただの背の高い草のはずです)。

    そして、身に付いた不祥は自分の身代わりの人形(古くは草人形、後には紙や布で作ったもの)に移して川に流していました。各地に残る「流し雛」の行事はこうした古い上巳の節供の姿を残したものです。
  • 節供は邪気を祓う行事 
    古い時代の節供には、「邪気を祓う」という行為が主であったので、関係する植物も邪気を祓うための禊ぎを行う水辺近くで調達出来るものが使われたようです。上巳の節供の始まりの頃まで遡ると今私たちが普通に「桃の節供」と呼ぶ、桃の花とこの節供は直接の結びつきがなかったようです。
  • 祓いの行事から桃の節供へ 
    桃の花と上巳の節供が結びつくようになったのは何時かということはよく解らないのですが、どうやらこうした「邪気を祓う行事」の意味が薄らぎ、お雛様が川に流されるような簡易なものから、家に飾られる立派な雛人形に変わってから以降と考えられます。
    そう考えると、その時期は室町時代の終わり頃ということになりそうです。

    お雛様を家に飾り、様々な装飾を加えるようになるうちに、香りによって邪気を祓うための呪術的な道具は「草」から、装飾にも用いられる「花」へと変貌したのではないでしょうか(芳香を放つという点では通じます)。

    桃の花自体は、前出の詩経の時代から佳い娘になぞらえられる花で有りましたし、鬼や邪気を祓う霊力のある植物であると考えられていたものですから、女児の節供にはぴったりの花として上巳の節供と結びついたのではないでしょうか(鬼退治と言えば、桃太郎。これも「桃」による鬼追いの話です)。

雛飾り我々にとっては上巳の節供と言えば桃の節供のことですが、最初から桃の節供として生まれたわけではなく、少しずつその姿を変えながら桃の節供へと育ってきたのでした。

「伝統行事」と一口に言いますが、こうして見てゆくと、始めから今のような姿で生まれたわけではなくて、それぞれの時代時代に様々なことが付け足され、あるいは忘れさられながら姿を変え、今の姿にたどり着いたのですね。

この記事は、私が発行しておりますメールマガジン「日刊☆こよみのページ」の暦のこぼれ話に書いた記事に加筆したものです。

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