4月も終わりか
(2001.4.30[月])
この日記は、本宅の私の部屋で書いている。よく言えば「書斎」なのだろうが、ほとんど主のいない書斎はただの本の収納庫になり、さらには通常この屋に生活する住人(妻)の侵略にあって、単なる倉庫と化しつつある。まあ、劣悪な日本の住宅事情考えれば致し方ない。 気がつけば、黄金の一週間も既に半ば。休みの過ぎるのは早い。 休みの前は、「休みになったらあれをしてこれをして・・・」と夢を膨らませているのだが、休みに入って夢見ていたとおりに過ごせた試しがない。計画性が無いと言ってしまえばそれまでであるが、やはり夢見る頃が一番幸せなのだろうか。 写真は先週の土曜日に、本宅へ向かう途中で撮ったスナップ。家まであと50km少々と言うところで休憩した際の写真。一番幸せな連休の第一日目の思い出である。
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かわうその休日
(2001.4.29[日])
現在、和歌山の本宅(那智勝浦町です)である。 昨日車で帰ってきたのだが、おそれていた渋滞にも遭わず、何より。
家族そろって出不精の一家なので、どこかに遠出する気など更々な い。近所をうろうろするだけ。
現在は、「端午の節供」の話しに写真を載せるため、菖蒲を探して いるところ。今晩あたりアップできたらいいのだがなどと思いながら 「黄金週間」の第二日目を過ごしている。
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昔の掲示板
(2001.4.26[木])
昔の掲示板の記録を読めるようにした。 途中で一度、掲示板CGIを変更したどさくさに、古いログを無くしてしまったため、一番ふるい書き込み番号が162番と言うのが、残念(と言うより、申し訳ない)。 このHPの掲示板は、あんまり書き込みがないように思っていたのだが、改めて古いログを復活させてみると結構な量になっている。読み返してみると結構楽しい。そうかこんなこともあったのか、この話題が出たのはこのころかと、アルバムをながめるような気分である。 思いの外、多くの方が多くの書き込みをして下さっている。顔も知らないもの同士であるが、読み返すと古くからの知人からの便りを読むような思いがする。不思議なものだ。
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春の夕焼け
(2001.4.24[火])
里の桜は緑の葉に覆われ、心地良げに春風に枝を揺らす季節。日も長くなり仕事から帰る時刻にもまだ、春の陽がわずかに残る。 誰が待つわけでもなし、急いで帰ることもない。のんびり街並みを眺めながら、ぶらぶらと帰る。 春の宵の千金の一刻を味わうのも良いかなどと思いながら。
家までもう一歩。最後の坂道にさしかかる頃、春の陽は山の端にその姿を隠していた。
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季節の変わり目
(2001.4.19[木])
季節の変わり目だからかな? なんか体調が悪い。夜行性かわうそが夜起きていられない。 なんかぐったり。
したいことはいっぱいあるのに気がつけば朝。 だめなときは、だめか。あきらめて今週は休養にあてよう。 週末には復活できるといいけど。
このHPごりようの皆様にはいろいろご迷惑をお掛けして おります。かわうそより陳謝・陳謝。
追記. 季節の変わり目。そういえば今は春の「土用」なんですね。 ウナギでも食べようか(ウナギの苦手なかわうそであったが)
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整理整頓
(2001.4.16[月])
夜、悪い仲間(失礼)に誘われて、練習に出かけ「調子悪い!!」と言いながら2時間30分の練習をしてきた。 帰ってから、積み残している新コンテンツ(日食シミュレーション)の計算式なぞを準備。この作業を始めてしばらくして前のプログラムやメモを引っぱり出す必要が生じた。ところがこの資料、探してみるといくつかのファイル(紙を挟むファイルの方)に分散していた。
「これは、使いにくいな」
思い立ったが吉日である。きちんと分類し直そう。 途中未分類の資料などもあわせて整理を始めたので気が付くとこの作業に2時間を費やし、すでに深夜。当初の目的の日食・・・は持ち越しだな。
それにしても、改めて整理なんかをしてみると、このHPを作り始めてわずか1年ほどであるが結構な量の資料&プログラムソースが溜まったものだ。HPを作るのは簡単だが、続けていくのは結構大変なものだと資料整理をしながら思った。好きでやってることだし、個人で開いているHPという気楽さで続いているのだが。
資料の整理も一段落したことだし、もう少しだけいじって今日の作業は終わるか。明日も仕事だし。
追記. 資料整理をしながら、思ったことがもう一つ。「なんか、仕事しているみたい・・・」
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いただきもの
(2001.4.15[日])
掲示板に季節の便りを寄せて下さる水辺の仲間、りんさんより贈り物つきメールをいただいた。 まだ返事を書いていないのだが、一足先にいただきもの自慢をさせていただく。 右の写真が、送られてきた写真(の一部)。りんさんが育てた椿の花だそうだ。 潔い、椿の花に感じることばはこれか。濃緑の葉の茂みにくっきりと浮き出す鮮やかな紅色。
私の記憶の中では、椿は木登りの木。木は細くとも強靱な木質のため、子供の木登りには支障が無い。枝に掴まり、葉の茂みから顔を出すと、鼻先で深紅の花が笑っていた。
追記. 早速、りんさんにお礼のメールを出そう。事後承諾になったことも。
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週末の過ごし方
(2001.4.9[月])
土曜日。サクラが満開。ふらふらと桜見物にでかける。 ちょっとのつもりが、午後一杯「ふらふら」。HP更新作業は滞る。
日曜日。100kmほど離れた街での試合に出場するため、朝から出かける。 途中の道は眺めがよく、ドライブが楽しい。好きで出かけるにも関わらず、「こんな天気のいい日曜日に一日室内とは」とちょっと、惜しい気もする程の好天。 試合はトーナメント方式であるから、あんまり早く負けると折角来たのに「昼に帰る」ことになる。そうならないように頑張ろう(幸いに帰りは「夕暮れ時」)。 帰ってくるとやっぱりくたびれていて、気がつくと寝ていた。たぶん昨日の就寝時刻は11:00PM?。これによりHP更新作業は滞る。
ということで、体よく週末の更新作業遅れの言い訳をして、かわうそ日記でお茶を濁す。 (ごめんなさい)
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サクラ、サクラ(その2)
(2001.4.7[土])
またや見ん交野の御野の桜狩り花の雪散る春の曙 (藤原 俊成)
大阪の寝屋川市に姉が住んでいる。同じ近畿圏に住んでいるので時々遊びに行くことがあり、その途中で「交野(かたの)」の地名を見る。 たぶん難読地名の中に数えていい地名だ。普通だったら読めない。最初に書いた俊成の歌を覚えていなければ私も読めなかったと思う。 もっとも歌の印象が強烈すぎて「交野」と聞いて浮かぶのは、朝日が昇る前の茜色の空のもとで音もなく花びらを散らす桜。現実の交野の風景はとんと浮かんでこない。 私にとって交野は、平安時代の交野のまま(想像した光景と俊成が見た光景が同じという保証はないが)。 「もう一度見る日もあろうか」と問いかけながら、もう二度と見ることは無いだろうという確信に近い予感を俊成は抱いていた気がする。
さて、本日は「サクラ・サクラ」で書いた夜桜の写真を載せてみた。十三夜の月と桜である。あんまり重い画像は載せない方針ではあるのだが、今回はちょっとだけ贅沢(といっても19Kbyte)。あんまり圧縮率を高くするとせっかくの桜の花が見えなくなってしまうので。
ねがわくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ (西 行)
こちらは説明するまでもない、おそらく西行の歌の中で最も有名なもの。 少々残念なのは、今回の夜桜が西行の望んだ「如月の望月のころ」からは一月遅れた「弥生の望月のころ」の桜だったことか。
追記. 夜のお寺の境内でフラッシュをたいた不心得者は私です。ごめんなさい。
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サクラ、サクラ
(2001.4.6[金])
昨日、今日とフェーン現象が発生しているとか。大変暖かな日が続いた。おかげで舞鶴の桜も一気に満開。 昨晩は思い立って、近辺で有名な桜の古木を見に出かけた。樹齢300年以上という滝桜。お寺にあるということもあって、厳かな雰囲気。 晴れ上がった夜空を背景に、十三夜の月に照らし出された桜は荘厳であった。
一夜明けて朝、勤務先の駐車場に車を止めると、ここの桜も満開。こちらはまだ青年の木。背景は朝の青空。こちらは荘厳さではなく、陽気さが漂う。折しも本日は金曜日。今晩あたりからこの週末は「陽気な花見」があちらこちらで行われることだろう。
昨夜の古木の桜と本日の若木の桜、荘厳さと陽気さ。桜の花の二つの顔。さて今日はどちらの顔に縁があるかな?
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戦い済んで夜が明けて
(2001.4.2[月])
昨日もまた1日体育館で過ごした。朝体育館に入って出てきたときはすでに陽はとっぷりと暮れていた。窓から見える外の様子から、日中はどうやら「快晴」だったようだ。太陽を「無駄にした」ような気がする(表現が変?)。 社会人スポーツの常で、試合の後はもう一つのイベント・・・世間一般では「宴会」と呼ばれている・・・が待っている。中には宴会の前哨戦が「試合」だと思っているものもいるようだ(私のことではないとしておこう)。 試合から一夜明けた今日、仕事中も時々頭の中に白い靄がかかる。寄る年波、疲労が抜けないのかな。ただ、試合そのものでそんなに疲労したとは思えないのだが、この疲労の正体は・・・。想像に任せよう。
現在の私の努力目標は、「摂生して疲労をとること」。次の日曜日も試合だから(全く懲りないかわうそである)。
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