後の月見
(2001.10.30[火])
夕方、雑草の庭のセイタカアワダチソウの花を写真に収めた。黄色の花と秋空のコントラストが気持ちよかった。 昨夜は久しぶりの雨降りだったが、この写真でもわかるとおり今夜は快晴。 冴え冴えとした十三夜の月をながめることが出来た。
日付は間もなく変わろうとしている。窓のガラス越しに見える月も、やや西に傾いている。外から聞こえる虫の声は心なしかさびしく、秋の終わりが近いと告げているようだ。
追記. 昨日は久しぶりにケロリンが戻ってきた。そしてまた夜の雨とともに出ていった。
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毎度、つまらないことですが
(2001.10.29[月])
つまらないことでも、一度気になるとどうにもしようがないことがある。 昨日もまた頭に引っかかる言葉が一つ。聞き流してしまえばとは思うが、根がくどい性格なので致し方無い。
| 「民はよらしむべし、知らしむべからず。国民は従わせるものであって、詳しい政策を知らせる必要はない」 政府は防衛秘密法案によって、この言葉のように国民からその政策を隠そうとしている。 | |
TVの情報番組と言われるものの中で、現在問題となっている防衛秘密法案に対する解説として使われていた。 漢文調の言葉はこういう解説に重みを加えたい場合は適しているのだろう。だが、こういう風に曲解した使い方をされるのを聴くのは厭なものだ。 子曰、民可使由之。不可使知之。 (論語:泰伯篇) (子曰く、民はよらしむべし。知らしむべからず。) この一文だけを読めば、確かに最初のような使い方も出来るかもしれないが、文化大革命当時の批判のための批判ではあるまいし、こんな使い方によって本来の意味がねじ曲がってしまうことは耐えられない。 今回の話し、つまらないことだとは実は思っていない。
もう一つの話題 「史上最大のお母さん」は未だ史上最大のまま。 昨日の夜中、病院へ駆け込んだが今朝になると安静化して、 「また出直しておいで」ということで、二人で戻ってきた。 何時になるのかな?
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史上最大
(2001.10.27[土])
我が第二子はまだ生まれる気配が無い。居心地がいいのかな? 何時生まれてもよい状態の胎児をお腹に抱える我妻は、「自己最高体重記録」を更新中である。 というわけで、妻は現在「史上最大のお母さん」と呼ばれている(呼ぶのは私だけだが)。
現在、妻は47kg。妊娠時期はちょっと「太め」の38kgだったので「+9kg」で現在の体重。 最初の子供の時はちょっと「細め」の35kgから「+7kg」で出産したのでそのときの最高体重が42kg。 これが今までの最高記録であったので、今回は驚異の新記録である。
お腹で暴れる胎児と、未だかつて経験したことのない体重のため、妻は「よっこいしょ」といった感じでゆっくり歩く。 その動作を見ているとちょっとユーモラスでいい。本人は大変だろうと思いつつも、妻が歩いているとついついその姿を目で追ってしまう。
「大変だね」というと「分けたろか?」と答えるが、その件に関しては丁重にお断りして代わりに「そろそろ出てこい」とお腹の中の子に呼びかけてみる。今のところ呼びかけに答える様子は無い。 あとちょっとの間は、妻は「史上最大のお母さん」で居続けるようだ。
追記. この一週間、あまり外出もせず運動もせず、栄養状態のよい食生活を送っているためだろうか、ひょっとすると私も「史上最大のお父さん」になっているかもしれない。 夫婦そろって史上最大である。
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アケビ
(2001.10.24[水])
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通草(アケビ) |
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名前は「開け実」からとも 「赤け実」からとも。 |
子供の頃、秋になると山へ出かけて栗採りやアケビ採りに一日を費やすことがあった。 東北の田舎で育ったため、子供時代は周囲に手頃な里山が沢山あり、いい遊び場だった。年中周囲の山に入っているので自然と栗やアケビの分布は頭に入る。そして時期が来れば目星をつけた山から山へ、秋の山の実りを収穫して回ったものだ。 あれから30年、時は移り東北から紀伊半島へと場所も変わったが、現在の「本宅」周辺は私の幼少期を過ごした田舎とよく似たところである。家から1,2分歩けばそこに里山はあるし田圃はあるし。ちょっと歩けばアケビの葉っぱを見かけることもよくある。自然、子供の頃に身に付いた習性で「実が生なりそうか」などのチェックも怠りない。 今注目しているのは本宅から150mくらいの距離にあるアケビ。初夏に暗紫色の花を咲かせているのを見つけて以来、時々のぞきに行くが、今は十ばかり付いた実が色着き始めている。まだ口を開けていないが、割れ目の筋が見え始めたのでもう少しで熟れるな。 「どっちが先やろね」大きくなった自分のお腹を見ながら妻が言った。 「どっちかな?」
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もうすぐ?
(2001.10.23[火])
現在、本宅に戻っている。 9月末にも夏休みで戻っていたので、「また?」と言われそうだが今回はいろいろと事情があるので仕事も無理を言って休ませていただいた。その事情とは、ウリ坊の弟の誕生である。 といっても、まだ生まれてはいない。予定日まであと5日あるのだが、自然に恵まれた本宅は交通事情にはさほど恵まれないため「もしも夜中に・・・」と思うと、車と運転手は必需品。そのための帰省である。
最近は電話でもメールでも直ぐに連絡がつくので、離れていてもさほど困ることもないが、こういう場合はやはり「距離」は問題だ。仕事だから仕方がないと割り切って入るつもりだが。
妻にはこれから大仕事(十ヶ月間の総仕上げ)が待っていて大変だが、私はといえば今の所する事もなく、平和に暮らしている。普段と違うことと言えば、朝出勤しないことと、夜バドミントンの練習に出かけないことくらい。ああ、それとコンピュータに向かうのも多少は控えているか・・・
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久しぶりの日記?
(2001.10.18[木])
たまに堅い話を書くのもいいが、弊害もある。 次の日記が書きにくいことである。 まあ、今回までに日があいてしまったのはそればかりが原因ではないのだが。
ここのところ急に寒くなってきたせいか鼻風邪を引いてしまったらしく、しばらく調子が悪かった。で、夜も気がつくと寝ている状態で日記を書くまでに到らなかったのが主因。「書きにくかった」のは副因。考えてみれば、旧暦でも九月。晩秋の月。寒くなったわけだ。 もう一月もしたら、木枯らしが吹くようになるのかな。
コスモスの花あそびをる虚空かな
高浜虚子
木枯らしにはまだ早い、晩秋のコスモス。風邪の身には少々寒いが、そうでなければすがすがしい天気の一日。 この花の名前は、宇宙・調和の意味も。世の中もこの花のように。
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陰翳
(2001.10.13[土])
「争いで解決することは何もありません」・・・小学校5年
あるニュース番組で米国の同時多発テロとその報復攻撃に対する日本の対応について特集した際、一般からよせられた意見の一つとしてテロップに流れた言葉である。ビデオに撮っていたわけでもないので文言に多少の違いがあるかもしれないが大意はこのようなものであった。
これが本当に小学校5年生の言葉であったなら、そしてこれが自分の子供の発言だとしたら、「生意気なことを言うな」と叱ったと思う。あまりにきれい事に過ぎるこの言葉。試験では正解なのかもしれないが、現実の問題に対して小学校5年生がこう答えたとしたら、当事者に対してあまりに失礼な言葉だと思うからだ。 無論、全ての小学校5年生が私の考えるように人生経験が少ないとは言えないかもしれない。だから「私の子供だったら」と仮定したのだが、人生経験豊富な小学5年生が極少数だと思うことは、そんなに間違ではないだろう。
冒頭の言葉は正しいのかもしれない。だが、正しいことを正しいと言い切ることがどんなに難しいか、どんなに覚悟がいることかを考えていない発言なら、そんな上滑りな発言を認めることは出来ない。 今回のテロとそれに続く紛争の犠牲になった方の遺族や、被害に遭われた方からこの言葉が出たとしたら、それは崇高な言葉であり、強い信念を感じる言葉である。私がその立場となったとしたら、果たしてこの言葉を口にする事が出来るか、そう考えるとこの言葉を使うことは私には出来ない。 最初に今回の発言を目にしたとき、その言葉に陰翳を感じることが出来なかった。その言葉がどんなに正しいものであっても、まったく陰を持たないものに厚みを感じられないように、薄っぺらな感触が残り不愉快になった。
自分でも「こんな事で」と思わないではないが、どうしても書かずにいられず、この文を書いてしまった。読んで下さった方にも不愉快な文章になってしまったかもしれないが、かわうその戯言。赦して欲しい。 (写真は、「自分の不愉快さの理由」を考えながら眺めた、夜明けの風景)
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今日の目覚め
(2001.10.10[水])
朝、目が覚めると雨が降っていた。というより強い雨の音で目が覚めた。 同じ起きるでも、目覚まし時計のアラーム音で起きるよりいい。
窓から見下ろす瓦屋根や、国道のアスファルトが雨に光っている。 雨の朝、街は色を無くしモノクロの写真を見るようである。 そのせいだろうか、古いアルバムを眺めているような、懐かしい気持ちになる。
静かだ。
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連休も終わり
(2001.10.9[火])
天気予報は連休の半ばから崩れるとのと言っていたが、幸いにも予報ははずれ、雨は降らなかった。
休みになったらあれをして、これをしてと夢は膨らませていたが、終わってみれば考えていたことの何分の一も実現していない。一人暮らしの休日なんてこんなものか。 ただ、秋が終わらないうちに書いておきたかった秋の七草は、最後に残っていた藤袴の写真が撮れたので書けた。これが書けただけでも、まあ良しとしよう。
連休最後の日は白い雲の焔とともに暮れ、明日からはまた新しい1週間が始まる。がんばるとするか。
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崩れる
(2001.10.6[土])
幸田文の本の話ではない。我が家の本棚の話である。
単身赴任の身としては、余り物を増やすのは良くない。引っ越しが大変になる。 とはいうものの、この生活も6年も続けばいろいろと物が増える。 その最たる物が本。
6年前、東京へ赴任するときにさんざん悩んで6段のスチール製本棚2本分の本だけを持って出たのであるが、随分増殖している。 本棚ももちろん増えてはいるが、中身ほどでは無い。ということで入りきらない分は2段済み3段済みにする。我が家の本棚はいつも規格以上の重荷に苦しんでいるようだ。 そして今朝、けなげに重圧に耐えてきた1本が崩れた。紙質の良い写真集などを多く詰め込んだ棚を支えていた金具が曲がっていた。 最近は「収納不能」になった本が床の上にも散らばり始めていることでもあるし、潮時である。本棚を増やすことにしよう(本を処分するという発想はなぜか無い)。
そんなに長くはないと思うが、新しい本棚の追加で他の本棚たちの重荷も多少は減らせることだろう。
追記. 引っ越しの苦労は引っ越の時にて足れり・・・「新約聖書」のわけはない
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ケロリン
(2001.10.1[月])
ケロリンが帰ってきた。 放浪の旅に出て3日目の朝、彼は帰ってきた。 放蕩息子のように多少の後ろめたさがあったのか、定位置である傘立ではなく雨樋のかげに隠れるようにして帰ってきていた。昨日の朝だった。
今朝は昨夜来の雨がますます強く、窓から見る山の樹々との間に幾重ものカーテンが降りたようだ。秋の雨だが不思議と冷たい感じはしない。
玄関先では、傘立てに戻ったケロリンが雨の飛沫に濡れながら陽気に唱っている。 冬眠まではまだ間がありそうだ。
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