冬と秋
(2001.12.8[土])
海が間近に迫る舞鶴では、冬の朝「けあらし」と呼ばれる光景が見られる。
季節とともに低下する気温と、まだかすかに夏の暖かさを残す海水がふれあって起こる気象現象である。
けあらしは、「気嵐」の意味か。放射冷却により冷え込んだ朝は一際見事な光景が広がる。
職場が海に面しているため、初冬のこの時期には出勤時にこの光景を目にするチャンスが多い。
この日も舞鶴湾は気嵐の中、その深い靄の隙間から日の光が射して、対岸に残る遅い紅葉を照らし出した。
冬と秋の交差する朝だった。
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深い霧の夜
(2001.12.4[火])
この日記、どうもタイムラグがある。
書いている人間がのんびりしているからなのか、はたまた他の理由からなのか。日付と書いている内容とに1~2日のずれがある。
「日記としてはまずい」かもしれないが、即時性のある内容を書いているわけではないので問題はないかだろうな。
先に長い言い訳を書いたところで、本日も1.5日前の日記を書く。「2日前」でないところに努力の跡を見ていただきたい。
週末を本宅で過ごした私は、いつものように月曜の明け方に舞鶴にたどり着く。中国道から分かれて舞鶴道へ入ると、まもなく車は霧に取り囲まれる。ここを通るとき霧に出会う頻度は高い。地形的なものなのだろうか。
それにしても今回の霧は深い。ヘッドランプの光もすぐに白いカーテンに覆われてしまうようだ。
風景も見えない単調な道で頭にも霧がかかりそうになり、危険を感じ、舞鶴を間近にしながらも、パーキングエリアで一休み。
交通量の少ない舞鶴道、パーキングエリアに止まっている車は、2台だけだった。
自動販売機でコーヒーを買い、頭の霧を晴らす。少しすっきりすると、霧に滲む高速道路の街灯とその下に列をなして歩いているような木の影が気になった。Edgar Allan Poe の Dreamland を彷彿とさせるような光景。
その詩の一節にあるように、霧に包まれた暗い森をとおり、ようやく舞鶴にたどり着くというわけか。舞鶴まであと40Kmだった。
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お宮
(2001.12.2[日])
| 「鳥居って?」 6歳の息子は鳥居を知らなかった。 「鳥居って言うのは、これ」
鳥居をくぐり玉砂利を踏んで歩くと、どこからか花の香りがした。 今日は、下の子が産まれて一月。 上の子の時は、那智大社に詣でた記憶があるが、妻の体調が今ひとつということもあり、近場の村社へ出かけた。 近所の社は私の家族4人が御参りしている間、他に詣でる人もなくひっそりしていた。
東北で生まれた私には神社の杜は杉の杜だった。しかし黒潮の流域で温暖なこの地では神域の木々も明るい雰囲気の照葉樹である。 参道脇にはナギの木がその実を落とし、クロガネモチの赤い実が木の葉の隙間から見えていた。
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御参りを済ませて帰ろうとすると、再び風にのって花の香りがする。 家内と辺りを探してみると山茶花と名前を知らない白い小さな花をつけた木があった。芳香はその白い花の香り。 何という木なのか今もまだわからないが、香りの記憶だけは長く残るそうだから何年か後に判明することもあるだろう。この木は逃げないだろうし。
追記. この日記のアップは、1日遅れてしまった。 私の家族が社殿の前で賽銭の額を検討していた頃、巷では「内親王誕生」のニュースが駆けめぐっていたらしい。
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