月と桜
(2002.3.30[土])
いろいろな話しをした。 話題の限定されない会話は楽しい。 舞鶴を離れれば会う機会は無くなるだろうと、無理をして作った時間だったがその甲斐はあった。 普段の生活では気恥ずかしくて出来ないような真面目な話しが出来た。 あっという間に4時間が過ぎ、気持ちよく別れて帰る春の宵、薄い雲と咲き始めた桜の花を透かし、幾望の月が道を照らしていた。
▲ ▼
春の小川で
(2002.3.26[火])
| 逝くものは斯の如きか、昼夜を舎かず
川の流れに人の世の移ろいを感じるのは二千年前も今も同じだ。
あと一週間で舞鶴を離れる。今度の勤務地は東京、東京は前任地。出戻である。住む場所は千葉市に決まった。出戻りとはいえこの三年を過ごした舞鶴とは大分雰囲気が変わる。順応にはしばらくかかりそうだ。
転勤するとなるといろいろとする事も多く、舞鶴の春の小川を眺めるのも今日が最後かも知れない。
「移りゆくのは川の流れではなくそれを眺める人の方だ」 別れの挨拶にと立ち寄った小川はさやさやと流れながら、そんな言葉をつぶやいているようだった。 |
▲ ▼
お手軽?
(2002.3.21[木])
月の満ち欠けと暦についての質問を受けた。 いつものように回答のメールを送ると、翌日もう一度メールが返ってきた。 「卒業論文で使いたいが、メールをそのまま参照すると出典不明となるので、回答の内容を記述した本の名前を教えてください」と言うものだった。 また、いつものように答えようと思ったが、「卒業論文」という用途を考えて答えるのを止めた。代わりに送った返事は「ご自分でお調べください」。 こんなサイトを開いているので、寄せられる質問には出来る限り答えるようにしているが、自分の卒業論文に使う文献まで「ちょっと教えて」というのはあまりにお手軽な態度だと思う。特殊な文献で見つからないと言うわけではない。図書館に足を運べばすぐに解決する様な内容まで、調べる前に「教えて」と言うのはどんなものだろう。
もう一つ。 「いろいろな方からスクリプトの提供を受けて、それを自分のサイトで表示しているが、このサイトのオープニングの様な情報の表示も行いたいのでスクリプト提供し欲しい」というもの。 メールを送ってくださった方のサイトを覗くと、優れたCGI がいくつか動いていた。よく見ればそのスクリプトの表示する情報を組み合わせれば、このサイトのオープニングの情報に近いものを表示できるはず。既にあるスクリプトを良く読めば、私に提供を受けなくとも何とでもなるはず。 どこからか良いスクリプトを拾ってきて、それを並べるだけで「はい、私のサイトが出来ました」と言っているような印象を受ける。しばらく考えて、こちらの話しも断った。
「無料で出来るホームページ」なんて言う本や雑誌の特集をよく見かける。そのためかなんでも「無料」が当たり前と言う変な風潮が蔓延しているように思える。 その方へ既にスクリプトを提供した方々にしても、それを作るまでには手間も時間もかかっているはず。それを提供するのは一種のボランティア行動である。提供されること自体「有り難い(滅多にない)」ことのはずだが、どうも提供するのが当たり前という前提で連絡をしてくる方が多く、ちょっと辟易する。 みんな、「お手軽」過ぎないかな。
追記. 「無料で作れるホームページ」という言葉には抵抗を感じる。真面目に取り組むならどんなことにだって当然それ相応のコストがかかる。それはお金で有ることも労力、時間である場合も有る。 あんまり手軽手軽とあおった結果が、手軽に出来た意味不明のHPの量産につながっているのじゃないかな?
▲ ▼
松籟
(2002.3.19[火])
なぜかこの日記には、朝と夕方の風景が多い。まあ、仕事を持つ身としては日中は時間がとれないからでもあるが。 そしてもう一つ、写真のほとんどが植物である。これはなぜかと言えば、好きだからとしか言えない。
今回は前回の話題の継続。鳥取城跡への散歩の続報である。 鳥取城の濠についたときは既に日が沈んでいた。濠の内側に高校が有り、グラウンドでは野球部とおぼしき数人の生徒が練習していた。 高校を横目に、高みへと向かう。地元の方が何人か、私と同様に夕暮れの散歩を楽しんでいた。 城跡の後背に続く山(太閤平へ続く)へ登ることは、山頂に着く前に真っ暗になりそうなのであきらめ、天球丸跡と言う場所で二本の老松の間から闇に沈みつつある鳥取の市街地を眺めた。
一日中吹いていた風は、まだその勢いを衰えさせることなく、傍らの松の樹を揺らしている。並んで夕暮れの街を見下ろしながら松籟を聴く。 長い年月、街を見下ろす松が何を思って何を語っているか、私にはその声の意味はわからない。ただ、並んで闇が深まるまでその声を聴いていた。
▲ ▼
ミモザ
(2002.3.16[土])
出張で鳥取に来て5日、これまであまり自由な時間が無かったが今日は日のあるうちに解放された。 着替えて、この5日分を取り戻すつもりで街の探索(散歩とも言う)へ向かう。
前回鳥取に来た際に目を付けていた定有堂書店とその先にある鳥取城跡を目指して歩き出す。風が強い。 定有堂書店手前の若桜橋を渡る。橋の下には小さな川。川の両岸にはまだ蕾の堅い桜の並木。そして桜並木の間に一本のミモザの木。 不思議なとりあわせだ。気になりコースを離れてちょっと寄り道。 近づくとあまいミモザの香り。今を盛りと咲いている。 周囲をよく見ると少し離れて倒れて枯死したもう一本のミモザの木が有った。 なぜここにミモザの木が植えられたのか、なぜ一本が倒れ一本だけ残ったのか、理由を知らぬまま花を眺めそして元のコースに戻る。 後にはただ、一本のミモザが枝一杯に花をつけ、風に揺れながら川を見下ろしている。
▲ ▼
送別会への途上に
(2002.3.12[火])
金曜日に職場の送別会があった。春の穏やかな夕暮れの情景を見ながら会場へと向う。 3月中には、出張等の都合で全員が集まる日が他に無いからと言うことで急に決まった送別会である。 今回は私の在籍する部署の12人中3人が転勤する。今年の転勤は比較的少ないほうだ。
普段から仕事の関係者とはあまり個人的な行き来をしないようにしているので特別に親しい人というのはいないのだが、それでも何年か一緒に仕事をした人達と離れるのである、一抹の寂しさを禁じ得ない。
舞鶴へ赴任して3年、今回は私も3/12の中に入っていた。ようやく舞鶴になじみ、その良さが判りだした頃に舞鶴を離れることになる。 3月はまだ出張もあり、残務処理と事務の引き継ぎ準備そして引っ越し準備と慌ただしくなりそうだ。 のんびり感傷に浸る時間は残されていない。
▲ ▼
露玉
(2002.3.9[土])
ここしばらく忙しい毎日が続いていて、日記がお留守になってしまった。 デジタルカメラで折に触れ撮しているスナップ写真もダウンロードしていなかった。土曜日になり時間も出来たので(本当は、そんな余裕なんて無いはずなのだが・・・)写真を整理した。
デジタルカメラは、現像焼き付けが必要ないので気軽に撮せるのが良い。最近のカメラは凄い機能が沢山あるみたいであるが、日常のスナップ写真しか撮らない私には無用の長物。現在2年落ちと少々古くなった今のカメラで事足りている。 いつも持ち歩くバックにデジカメを入れ、何か目に留まるものがあれば、取り出して1枚。 後で見返せば1枚の写真が日記代わり。いろんな思い出を呼び覚ましてくれる。
今日の思い出は1週間前、センス・オブ・ワンダーを読み終えた翌日のもの。 小雨の降る中、海辺の森で見つけた露をまとった苔の胞子嚢。無数の露玉が雨空を映していた。
▲ ▼
君が代
(2002.3.3[日])
北海道の高校の卒業式での出来事がニュースで流れた。 「君が代」を唱うことを強制されないようにと「人権救済の訴訟」を起こした生徒があり、また実際の卒業式でも卒業生の大部分が君が代が流れた際に起立を拒否した(起立した生徒は6人だったとか)と言うもの。 君が代は国歌ではないとする意見も知らないではない、その成立に問題があると言うのももわかる。しかし、国民の大部分或いは諸外国が日本の国歌として君が代を認知しているのは事実。オリンピックで日本の選手が金メダルをとれば、表彰式では君が代が流れ、サッカーの国際試合でも日本の国歌として演奏される。「けしからん」と思っても、これが現状だ。
考えてみれば他の国々の「国歌」にしても内容や成立過程に問題のあるものは多い(と言うか、問題が無いものなんてあるのか?)。それでも、国歌として演奏され、唱われる限り「国歌」に対しては敬意を払うべきだ。国歌に敬意を払うのはその曲を国歌としている国家・国民に対して敬意を払うことだから。
さて、いろいろ問題はあっても現状で「国歌」と考えられている君が代が公的行事において演奏されるのは至極当然。どうしても君が代に敬意を払えないと言うのであれば、それが演奏されるであろう公的行事(今回は卒業式)に出席しなければ済むことだ。 君が代に対して敬意を払うために起立するのを拒むのは個人の自由だと言うかも知れないが、君が代を国歌だと考えている私からすれば、起立しないことにより、日本という国を冒涜されているように感じられる。 日本という国によって保護されることを期待しながら(だれに「人権救済」を求めてるのかな?)、日本という国を認めないと言うような矛盾した行動を、高校を卒業する年齢になっても恥ずかしげも無く行える、おめでたい若者が本当に「卒業」しても大丈夫なのかな。 国際化なんてことがもてはやされる今日だが、国歌(どこの国のものであっても)が演奏される際に平気で座っているような人間を輩出してしまうってことは、随分危険な事じゃないだろうか。
▲ ▼
The Sense of Wonder
(2002.3.1[金])
| 夕食のために外へ出た。 出がけに本を一冊選んで鞄に入れる。本の名は、 センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder) レイチェル・カーソンはこの「センス・オブ・ワンダー」をさらに膨らませたいと考えていた。しかし、それを成し遂げる前に、彼女の生命は燃え尽きてしまった。生前、彼女が願っていたように、この本をロジャーにおくる 本の扉に書かれた短文が胸を打つ。 椅子に座りテーブルに向かってこの本を読み終えたその後で、いつか森の中で或いは海辺で、この本のことを思い出したいと思った。
帰りの道では、本の中にあった海を照らす月を彷彿とさせる既望の月が、鉄塔の上に昇っていた。 | |
▲ ▼
|