茜さす季節
(2002.10.30[水])
月曜の朝から、いきなり冬が来たかと思えるほど厳しい寒気が押し寄せてきた。 二十四節気の霜降(10/23)を迎えたばかりだと言うのに、北海道や信州では里でも雪が降ったとか。 このまま冬にと言うのでは、秋があまりに短くて不憫だと思ったが、どうやらそうはならないらしい。昨日、今日と少しずつではあるが日差しに暖かさが戻ってきたようだ。
朝、いつもの公園を通ると鳥が一羽木の枝から飛び立つのが見えた。鳥のとまっていた枝の先には茜色の実。どうやら鳥の朝食を邪魔してしまったらしい。 鳥のお陰で気がついた茜色の実、もう少し近寄って写真に収めようと通路と樹々を隔てる低いコンクリートの塀に昇り、ちょっと背伸びしてシャッターを切る。 こんなところを見られたら恥ずかしいなと思いながら、塀から飛び降りると、やっぱり見ている人がいた。何事もないように歩き出し、すれ違うときも何事もないように平静を装ったが、内心は撮したばかりの花水木の実と同じ色に染まっていた。
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気がつけば朝
(2002.10.29[火])
昨夜、日付が変わったあたりまでは記憶が有るが、その次の記憶は今朝の6:20。 その前日、来月の季節のページ作成に夢中で睡眠時間2時間となってしまっていたため、昨夜は帰宅時したときには、頭は絞られた雑巾のようになっていた。
「あとは、夕食を食べて、お風呂に入って」
と今日へと日付が変わる頃に考えていたまでは覚えていたが、計画は実行不可能で、睡魔の強襲に会い、今朝を迎えた。 時計を見てびっくり、飛び起きて昨日中断した計画を続行(夕食は朝食に変わってしまったが)。その後、メールをざっと読んで返事を書き始める。 幸い、「問い合わせ」が無かったので出勤までにはなんとか送信ボタンが押せた。 (普段メール交換している方々への返事は、今晩まで保留させていただきましたけど)
そう言うわけで、不本意ながら昨夜は「撃沈」されてしまったが、そのお陰で6時間も眠ることが出来て、本日は元気。 案外これで良かったのかな?
おっと、勤務時間だ。
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うつりました
(2002.10.25[金])
知り合いから、「どうも上手く動かないんだけど見てくれない」ととあるプログラム(及びデータファイル)の入ったMOを渡された。 家に帰ってMOがつながっている普段あまり使っていないマシン(B)に火を入れ、テストのために必要なファイルをHDD にコピーをしていたら、そのマシンとLAN でつながっているマシン(A)の画面に赤い警告が。
「SCRSVR.EXE は危険なファイルです」 「BRASIL.PIF は危険なファイルです」
そのマシン(A)に入っているウィルスチェッカー(シマ○○○クスの)からの警告。 調べてみると OPASERV.A,OPASERV.Eというワームが進入しようとして捕まったようだ。 マシン(A)は、ウィルスチェッカーのお陰で感染は免れた。が、どこから来たのかこの「虫」は?
もちろん疑いはマシン(B)、そしてMOの中身。 マシン(A)からリモートで検査をすると、やっぱりマシン(B)はご病気。感染源はMO。 Bはインターネットへ接続することもほとんどないことから「まあいいだろう」とウィルスチェッカー等の備えを怠っていたので、簡単に感染。甘かったな。 仕方なく、起動ディスクで立ち上げ直し、コマンドラインで不要なファイルの削除。再起動。
「あれ、またある・・・」
と言うことで、別のデレクトリに隠れているファイルを探し、根絶し、レジストリから感染の際に書き加えられたものを削除して、作業が終わるまで3時間。貴重な時間を費やしてしまった。
今回は、大きな被害もなく無事に復旧できたが、これに懲りてマシン(B)にもウィルスチェッカーを導入する決意をする(こっちには、マカ○ィーでも入れようかな)。
追記.昔の病気 自分のコンピュータがウィルスに感染したのは今回で2度目。 1度目は10年以上も前に、「自分で作ったウィルス」に感染した。 当時はまだMS-DOS全盛の時代。コンピュータウィルスも、パキスタンブレインやカスケードと言った古典的なものばかりの時代。 他のファイルに感染する機構や、自分の正体を隠す機構などに技術的な興味を持って作ってみたものだったが、うっかりしてほんとにうつってしまった。
ま、ワクチンも同時に作っていたから、大事に至らなかったけど。 あのプログラムがひょっとして、私が書いたオールアッセンブラの最後のプログラムかも知れない。 (ネットで流したりはしていません。もちろん)
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恐るべき管理者
(2002.10.23[水])
この日記にもたびたび登場する通勤途上の公園。狭いけれども庭園風で、樹木の種類は多い。それも実の生る木が多い。 初夏の頃、黄色く色づき始めた梅の実を見ながら、「この実はどうするのかな?」と思った翌日、再び見上げた梅の枝からは、梅の実が消え失せていた。 管理者が頃合いを見て収穫しているらしい。
あれから4ヶ月、近頃気になっていたのは柿。梅の実が収穫された頃には、地味な花を付けていた柿木は、花に代わって実を付けている。 小さな柿木からすれば「たわわ」と呼べるほどの実を付け、その実は秋が深まるにつれて柿色を深めていった。
「佳い色になってきたな」
と、下心が無くもない心持ちで眺めていた。 そして昨日、たわわに生っていた柿の実の姿は消えた。正確には1つを残して。
恐るべし。 まだ一度もその姿を見たことの無い公園の管理者だが、木の実の収穫時期を見極めるその眼力は尊敬に値する。 恐るべき管理者のお陰で柿泥棒となる誘惑からは解放されてしまった。 あと残っている誘惑の対象と言えば花梨の実くらいだが、こちらも恐るべき管理者のチェックリストには記載済みだろう。
写真は木守りのつもりでか、それとも手が届かなかっただけなのか、一番高い枝に一つ残った柿の実である。
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秋晴れの空
(2002.10.21[月])
十三夜の日からずっと晴れ間を見ていない。 このところ曇りの日が多く、時々厚みを増した雲から思い出したように雨が降ることもあり、出がけには傘を持つべきかどうか迷うことが多い。 現在のところ、傘持参の判断については一勝三敗と負け越し。下駄で占った方が勝率は高いくらいだ。 もしこんな天気が続くようなら、良い下駄を買うか、野良猫でも手なずけて、毎朝顔を洗っているかどうか確認するなどの方策を考える必要があるかも。 幸い本日は朝から「雨」。このため悩むことなく傘持参。不戦勝にて二勝三敗。
昼になっても今日の雨は止まず、昼のランニングも堂々とさぼれるので、代わりにずっとさぼっていたかわうそ日記を職場で書いている(昼休みにだよ)。 職場の窓から、道行く人の傘を見下ろしているのは良いものだが、それでもそろそろ秋晴れの空が懐かしくなってきた。 明日の天気はどうなのかな? 追記. 写真は自宅に帰ってから追加。本宅裏の堀の水に映った秋の空。
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壱万年
(2002.10.16[水])
畑の道から拾われてきた本宅のクサガメ、拾われてきて間もなく卵を生んだまでは知っていた。 水槽(風呂桶?)に入れられたまま生んだので、卵は水の中に産み落とされ、これは駄目かなと思われたその卵。祖父ちゃん(我が息子達から見て)が水槽から浚って、砂を入れた洗面器に埋めてくれた甲斐あって、2個だけであるが見事に孵化した。
連休に帰った本宅で「カメは?」とのぞき込むと、よちよち歩きで砂の上を這う子ガメが居た。 写真は水から上がって甲羅干しを始めようとする一匹。脇に大きさ比較用の5円玉を並べて撮した。もう一匹は恥ずかしがり屋で、砂に穴を掘って隠れていた。
生まれたばかりの子ガメ達、余命はおよそ壱万年? 追記. お金と並んで写っているけど、銭ガメではありません。草ガメです。
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新世界
(2002.10.11[金])
どうも体調がよくない。午後に入っても調子の悪さは相変わらず。 珍しく、残業もバドミントンの練習も無しにして早めに帰宅。
駅を降りるとまだ8時。平日のこんな早い時間に駅に着いたのは何ヶ月かぶり。 時間帯が違うため、いつもの見知った駅でない気がする。 体調不良で早く帰ってきたはずなのに、時間があると思ったら、いつもと違う道で帰りたくなった。 違う道といっても、何のことはない。いつもと一本違う路地を曲がってみるくらいのこと。
通り道はちょっと古い住宅地。都心部と違い草や木が多く、草の蔭に鳴く虫も多い。 空に月でもかかっていればなと見上げてみたが、若い月は沈んだあと。街灯が満月のような顔をして辺りを照らしていた。
交通量の多いバイパスを跨ぐ陸橋を降りると、公園がある。この半年何度も横目に見てきた公園。だが入ったことは無かった。 半年目にして始めて公園に入り、いつもの道から5m離れた場所に立って眺める風景は、自分の想像したものとは違うものだった。小さな新世界の発見。
新しい世界にはベンチが一つ、人工の満月が作る樹の影だけが腰掛けている。 秋の空気は澄み、樹の影の輪郭がくっきりと見えていた。
追記. 体調不良の原因は風邪のよう。現在若干の熱あり。
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カメさんが
(2002.10.4[金])
昼休みのランニングの途中で、カメさんにあった。 H離宮公園の堀を泳いでいました。
普段はちょっと飛び込む気にはなれないこのお堀の水ですが、今日は満潮の時間にあたっていたのか水量も多く、木漏れ日が水面に作る緑の斑模様に飾られて心なしかきれいに見えます。
そのお堀のに浮かび、せっせと水掻き付きの足を動かすカメを見ることが出来て、それだけで楽しい一日になってしまいそうです。
帰ったら、「うちのカメは元気?」と家内にメールを送ることにします。
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台風の後で
(2002.10.2[水])
戦後最大級と言われた台風21号は昨夜半に駆け抜け、研かれたような朝日を残していった。(現在は、北海道付近を通過中か。被害の小さいことをお祈りいたします。)
私の周辺に於いては特に被害らしいものは無かったのだが、昨晩の風は流石に凄く、道には落ちた街路樹の緑の枝葉が目を引いた。いつも通る公園のアベリアの花もその多くが路上に落ちていた。
華は愛惜にちり、 草は棄嫌におふるのみなり
数日前、9/29が道元忌であると言うことを問い合わせのメールで知ったが、道元と聞いて思い出したのは上の言葉。難解な事で有名な正法眼蔵にある一節。 何度もチャレンジし、そのたび毎に挫折する本であるが、挫折も回を重ていれば自ずと記憶する言葉も増える。先の言葉はその一つ。
道元の哲理も、境地も到底窺い知れないが、生のありのままの姿を花の散る姿、草の生える姿に託して説く中に、「愛惜」の二文字を目にし人間として生きた道元の姿を感じたようで、この言葉が心に残った。
そして今朝、路上に散った花、何人に惜しまれただろうか。
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